1時間20分、見始めたらあっという間でした。
やはり黒澤明はエンターティナーですね。
しかし戦時下の検閲で大分カットされたようです。
冒頭に映画会社からの説明が入ります。
御詫び
本編は昭和十八年三月完成封切
された黒澤 明氏の第一回監督作品
「姿三四郎」を昭和十九年三月
再上映した際に當時の國策の枠をうけ
監督 黒澤 明氏並びに製作スタッフ
の関知せぬまま一八五六尺短縮され
たものであります
此のたび公開保留が解除されました
ので再上映に際し原形に戻すべきで
ありますが不幸にも戦時の混乱の中で
短縮した部分のフィルムを散逸し
どうしても原形に戻すことが出来ません
但し當社は此の作品がそう云う不充分な
姿でも尚且つ再び世に問う価値が
あると信じますので−
右の形のまま公開する事と致しました
以上簡単ながら事情を申述べ
観客各位の御了解をお願いする
次第であります
昭和ニ七年 四月
東宝株式会社
それからタイトル。バ、バ、バーン!バババ、バーン!
姿三四郎
一九四三年三月作品
戦争はよくないね。まともな判断力を失わせます。
−さて、本編。
時は明治十五年
ひとりの若者が柔術に入門しようとある道場の門を叩きます。
しかし文明開化後の日本で柔術は見世物で日銭を稼ぐ有り様。
聞くと今から、日の出の勢いの修道館 矢野をやっかんで懲らしめに行くという。
因みに無論ですが、修道館とは講道館、館長の矢野正五郎とは嘉納治五郎のことですね。
結果、ここで嘉納治五郎の強さを目の当たりにし、魅了された三四郎は、そのまま講道館に入門しました。
その時、三四郎が道端に脱ぎ捨てた下駄が、その後転がされ、子犬に噛じられ、風雪を凌ぎ、また夏を迎えます。
この季節の移ろいと時の流れの表現が面白かったです。
街の景色とかでなく、「下駄」ですからね。
バンカラな三四郎が一年間修行を積んだことを上手く表現していると感じました。
向うっ気が強く、強情っ張り。若き三四郎。
嘉納治五郎の門下に入り、メキメキ頭角を表します。
調子に乗って街では無頼漢相手に暴れ放題。
未熟者が武術を身に付けるのは、狂った人間に刃を渡すことと同じだ!という師匠の言葉が言い得て妙です。
実力では師を越えたが人間力が足りぬと諭されます。
それでも納得できない三四郎は
「私は理解してる!本気だ!死んでやるー!」
と蓮池に飛び込みますが思わず杭にしがみつきます。
兄弟子達は許しを請いますが、師匠はほっときます。
奴は今考えているのだ。出るときは出てくる。と。
蓮池の杭にしがみつき、一晩過ごし、夜明けに咲いた「一輪の蓮の花」の荘厳さに三四郎は悟りを得ます。
不意に力が抜けるというか、付き物が取れるように力みが消えて、ぱぁーっと気持ちが晴れ広がり、心にゆとりが拡がる感じでしょうか。
武術は暴力に非ず。三四郎は一歩成長します。
−ジャンプの主人公と同じですね。未熟な主人公にヤキモキしながら、成長体験を共有してワクワクする。
そしてまたしても試練が。
三四郎が初めに入門しようとした道場主が、
講道館へのリベンジを挑んできました。
その対戦相手を投げ殺してしまった三四郎。
対戦相手の道場は潰れ、自宅は廃れます。
対戦相手の娘からは恨まれ、三四郎はひどく狼狽します。
世間の童たちは歌い囃し立てます。
♪向こうへ来るのは 三四郎
♪あれに触るな 三四郎
♪寄るな触るな みな逃げろ
♪触ると怖いぞ 三四郎
師匠に連れ立って次の対戦相手の視察に向かう道すがらの神社で、
熱心にお祈りする娘を見掛けます。
姿、あの美しさは一体、どこから出てくるか分かるか?
祈るという事の中に、己を捨て切っている。
自分の我を去って、神と一念になっている。
あの美しさ以上に強いものはないのだ。
我を無くす無心の境地。三四郎はレベルがあがった。
その後神社の階段で何度か出会った三四郎と娘。
案の定、三四郎は娘に惚れてまいます。
しかし惚れたあの娘は、今度の決闘相手 村井の娘 小夜。
慢心!鈍根!
試合前に思い悩む三四郎に、蓮池の杭を指す和尚。
修道館柔道の姿三四郎はあすこで生まれた。
お前はその命を忘れたのか?
お前の命は何だ!三四郎!
柔術と柔道との決着を見ようと会場は超満員。
村井との勝負は三四郎の勝利で決まり、負けた村井は戦ってくれた三四郎に感謝しつつ場外に運ばれます。
しばらくして三四郎は、試合の後病床に伏している村井を見舞います。
目当ては小夜の気もします。
村井はあの試合の素晴らしさと、勝った三四郎を賞賛します。
村井、三四郎、小夜。いい感じです。
そこに村井の弟子の陰険な檜垣が現れ不穏な空気が流れます。
檜垣との決闘の日の空
流れる雲が雄大で美しい。
三四郎は絶体絶命に陥りますが、自分が生まれ変わるきっかけとなった蓮の花を思い出し、檜垣に逆転勝利しました。
その後檜垣も人が変わったように好青年になったとか。
矢野さん、姿もどうやら一人前になりましたな。
いやぁまだまだ。姿はいつまでたっても赤ん坊のような奴です。
……そこが愛される所以でしょうね。
自分を見つめ直す決意で旅に出る三四郎。
父に言い付けられたとか言って見送りに来る小夜。
見送りの車中、目にゴミが入った小夜を介抱する三四郎。
決意はどこへやら。やはり小夜にほの字の三四郎。
ぼく……すぐ帰ってきます!
お父さんお大事に。
終
−かわいい奴です!
「姿三四郎」(1943、日本)
監督:黒澤明
脚本:黒澤明
原作:富田常雄「姿三四郎」
音楽:鈴木静一
撮影:三村明
編集:後藤敏男
製作会社:東宝映画
配給:映画配給社紅系(1943初公開時)、東宝(1952再公開時)
出演:
矢野正五郎:大河内傳次郎
姿三四郎 : 藤田進
小夜:轟夕起子
檜垣源之助:月形龍之介
村井半助:志村喬
お澄:花井蘭子
飯沼恒民:青山杉作
三島総監:菅井一郎
門馬三郎:小杉義男
和尚:高堂国典
八田:瀬川路三郎
壇義麿:河野秋武
戸田雄次郎:清川荘司
津崎公平:三田国夫
新関虎之助:中村彰
根本:坂内永三郎
虎吉:山室耕
あらすじ:
明治15年。姿三四郎は柔術家を志し、東京の神明活殺流の門馬三郎の門を叩く。入門初日の夜、門馬たち柔術家は新進の柔道家・修道館の矢野正五郎に対して夜襲をかけるが、簡単に撃退されてしまう。矢野の柔道に魅せられた三四郎は矢野に弟子入りする。月日は流れ、三四郎は「修道館の四天王」と称されるほど強くなるが、矢野は無頼の徒を相手に乱闘を演じた様を嘆き、精神的に未熟な三四郎を罵倒する。叱責に耐えかねた三四郎は庭の池に飛び込み、ここで死んでみせると叫ぶ。心配する兄弟弟子をよそに三四郎をそのままほっておく矢野。翌早朝、まどろむ三四郎の目の前で蓮の花が咲く。その荘厳さに三四郎は悟りを得、謙虚な男として生まれ変わったのだった。ある日修道館に柔術家・良移心当流の檜垣源之助が道場破りに訪れるが、稽古止めとなっていた三四郎は仲間がやられるのをただ見ているしかなかった。檜垣源之助の師は村井半助と言い、好人物であったが病に冒されていた。そして檜垣は村井の娘小夜に言い寄るが、彼女は檜垣の冷酷な性格を嫌悪する。しばらくして講道館に門馬三郎からの他流試合の申し込みが届く。稽古止めが解かれた三四郎は修道館の代表として、門馬と対戦する。試合が始まるがもはや門馬は三四郎の敵ではなく、三四郎に壁に投げつけられた門馬は死んでしまう。その様子を見ていた門馬の娘・お澄は悲鳴を上げ、激しい憎悪の目で三四郎を睨み付けるのであった。その憎悪の目に三四郎は取り憑かれてしまう。そんな中、柔術と柔道との決着を付けるため、警視庁武術大会が開催が決定した。柔道代表は三四郎が、柔術代表は村井が決定する。自分が代表に選ばれなかった檜垣は自分でなければ三四郎に勝てないと小夜に告げる。一方三四郎は未だ門馬を投げ殺したことの後悔から立ち直れていなかった。そんな三四郎を刺し殺そうとお澄が現れるが阻止される。三四郎は更に狼狽する。覚悟が出来ていない三四郎を叱責した矢野は、道場でひたすら三四郎に稽古を付ける。投げられながら三四郎は徐々に立ち直り始めたのだった。ある日矢野と共に神社に向かった三四郎は、社殿に祈る小夜を見かける。その一心不乱な祈りに心打たれた二人は邪魔をしないように立ち去る。その数日後の雪の日、三四郎は神社の石段で鼻緒が切れて困っている小夜と出会う。三四郎は手ぬぐいを裂いてすげてあげるのだった。それから幾度か石段で出会う二人。すっかり打ち解けた三四郎は、小夜が村井の娘で、父の勝利を祈っていることを聞きショックを受ける。自分がその対戦相手だと告げた三四郎は足早に駆け去る。警視庁武術大会当日、迷う三四郎を叱責する和尚。気を取り直した三四郎は会場に向かう。柔術と柔道との決着を見ようと会場は超満員だった。そして村井との試合が始まる。勝負は三四郎の勝利で決まり、負けた村井は戦ってくれた三四郎に感謝しつつ場外に運ばれていく。しばらくして三四郎は、試合の後病床に伏している村井を見舞う。村井はあの試合の素晴らしさと、勝った三四郎を賞賛する。そこに檜垣が現れ不穏な空気が流れる。檜垣から雌雄を決するための果たし状が三四郎に届く。場所は右京ヶ原。強風で荒れる草原で繰り広げられる死闘。三四郎は絶体絶命に陥るが、自分が生まれ変わるきっかけとなった蓮の花を思い出し、檜垣に逆転勝利するのだった。修道館の引越しの日、三四郎の姿は道場になかった。列車の客席には、旅に出る三四郎とそれを見送る小夜の姿があった。きっと戻ってくると三四郎は小夜に約束するのだった。