風の中の牝鶏 [DVD] COS-020

監督 : 小津安二郎 
出演 : 佐野周二  田中絹代  村田知英子  笠智衆  坂本武  高松栄子  水上令子  文谷千代子  長尾敏之助  中川健三 
  • Cosmo Contents
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Amazon.co.jp ・映画 / ISBN・EAN: 4582297250406

感想・レビュー・書評

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  • 大傑作「晩春」前夜。
    筋は別として、カメラ位置や画角は、前作「長屋紳士録」よりぐっと小津っぽくなった印象。カメラが横にも縦にも動かない、カットの力。ぱっぱっと移り変わる画面のリズムが、アバンギャルドすれすれ。
    で、アニメみたいだと感じた。というか逆に、アニメでカメラがぐいーっと動いたら、ちょっと驚くので、カメラ位置だけでも実写とアニメでは作法が違う。のかな。近接場面にも関わらず90度、180度、ねじって別角度で映すとか、空間感覚リテラシーを超えないギリギリのカット割りを、次々見せつけられる。やっぱりこりゃアバンギャルドだ。
    もう少し連想が脱線するが、PS「ファイナルファンタジー7」で、カメラ位置が変わった時のゾクっとした、あの感じ。あるいは「バイオハザード」の、カメラ位置の変更で、見えなかったところが見えたときの快感。
    あとは、画面外の音。工事とか、夜汽車とか。

    以下内容について。
    田中絹代、上品で、小ぶりで、かわゆい……。子供が治ったのはいいが、支払いのためには自分の身を売るしかないと、鏡を前に気づいた瞬間の悲嘆。すごい演技だな。帰らぬ夫の写真立てに語りかけるって、1948年当時には、すんげーアクチュアルな描写だったんだろうな。
    序盤つらく、反動で夫が戻った中盤、嬉しく、でも悲劇、という、映画的カタルシスを生む定石とは、まったく逆の作劇。買春したときの男はどうだった!と暴力を振るわれるところを、同室の息子が目覚めて見ているとか……、視線の地獄。
    その流れにある、55分くらいの、凄まじい夜……。一階の間借りしている家族の寝姿。常にどこからか工事の音が聞こえ。翌朝まで帰らない夫。空き地の土管。橋。なんと印象的。
    夫、その足で曖昧宿に行き、妻の売春は一度きりだった、と言質を取るとか、なんというリアルな行動。しかも女を用意されて。ここで近場から、唱歌が聞こえてくる! この対位法はむしろ黒澤明的だと感じた。
    女に、なんでこんな商売を、と問う男の愚かさ……しかし、わからぬでもない。金だけ投げて去る、やりきれなさ。わかる。
    川辺へ。ポンポン汽船(宮崎駿「風立ちぬ」の次郎がいそうな)。お弁当食べにきた女と会話……このへんが絶妙で、「誤配先」でまったくの他人との関係が、癒し合いにつながりそうな予感。他の売春婦に親切になれたことで、一度きりの妻への、愛情の回路を開く……開け……開いてくれ……と見ながら祈っていた。
    で、夫が相談する相手が笠智衆。もはや妻の話ではなく、男の話になっている。許すとかどうとか言い出して、あちゃー。
    が、帰宅して実際面と向かい、謝られると、むかむかしてしまう。突き飛ばしたら階段落ちって、鮮烈すぎやろ! 心臓止まるかと思った。 「宗方姉妹」のビンタに続き、田中絹代、小津作品で暴力受けがち。さすがにスタントらしいが。
    いい話ふうに夫が宣言して、妻が縋り付いて、優しげな音楽が流れるが、もうオワッテルよ! と個人的には思った。

    wikipediaによれば、
    >映画監督の黒沢清は、子どもが全快する作劇や夫が妻を突き飛ばした後の夫の対応に不自然さを認め、子どもは実は亡くなっているのではないか、夫もそもそも戦死していて、劇中に登場する夫は亡霊なのではないかと分析したうえで、階段から妻が転がり落ちることで家族全員が死ぬという「気味の悪い映画」であると結論づけている[14]。
    なんという独特な見方……。でもそれくらい不穏で不吉で居心地の悪い雰囲気が続く。そういえば「岸辺の旅」でも、帰ってきた夫が幽霊だったので、こういう見方を自作に活かしているんだろうな。

  • 小津映画祭での栄えある36本目、最終鑑賞作品となったのは本作。

    小津作品として一般的に知られている作品群とは一線を画する題材、撮り方、俳優起用法が散りばめられておりスクリーンに釘付けとなった。今回の映画祭で何度も見かけた田中絹代と佐野周二がそのどの配役にもない、重苦しい役どころを好演している。敗戦の世相を知らない世代としてこの映画を20代そこそこで鑑賞していたとすると、なんの感想も思い浮かばなかったことだろう。確かに万人受けする作品ではないだろうし、小津本人からマイナス評価を受けていたという記述をみかけた本作ではあるが、なかなかどうして今の自分にとっとては高評価を与える作品となった。どうも自分は世間一般で高評価を受けている小津作品群と自分のものとの間にはズレがあるようだ。とにかく今出会えてよかった。

    小津談義では「階段」が話題となって出てくるらしいことも今回学んだことであったが、それがこんなにも強烈な使われ方をして登場してくるとは思いもよらず。その階段シーンを小津はフィルムをループ状にして繰り返しみていたことがあるという逸話をみかけた。フィルムが溶けそうになって他の人が止めるまで観ていたという、そのときの小津本人の頭の中には何がよぎっていたのか…。終戦後たった3年、2本目の作品、そんな頃の彼の頭のなかを少しだけ覗かせてもらったような。そんな感じ。

  • 突然、階段から落ちるホラー性

    前兆は、家族が寝静まった階段から不意に落ちる空き缶、音もせずタンスから落ちる紙風船=不穏の象徴

    不吉な予感=白熱電球の周りを飛ぶ蛾

    虚無感=原っぱに落ちている、錆びて穴の空いたバケツ

    夫を抱きしめる手と、抱きしめる背中だけを写す省略

    酒ビンと茶碗、そして影を強調

    夫のために、と譲られた酒ビンは、影うつさず

    小上がりで、差し込む朝日と手前に暗い階段を映し、時間の経過を表現

    深夜に及んだ夫婦の言い合いで起きて、こちらを振り向く子どもの冷たい視線

    二階で言い合いをしている、その下の階下では、みなスヤスヤ寝ていて、夫婦2人だけの問題と際立たせている

    妻の気持ちの揺れを表現するため、川面に揺れる舟、風に揺れる草花のイメージショットの挿入

  • 小津安二郎は田中絹代に恨みでもあるんだろうか。今回は田中絹代に売春をさせ、階段落ちをさせている。階段から落ちたあとの足の引きずり方は演技とは思えない。
    戦争が終わって日本は男が希少になって、女が支える世の中になった。しかし、男たちはむやみに威張っていて、女の苦労を知らない。この映画でも夫役の佐野周二は田中絹代に対して本当の同情心を持っているかどうか怪しいもので、だからエンディングも、男である私にはけっして気持ちのいいものではなかった。

  • バッドエンドでも良かった気もするが、戦後間もない頃なので、それはそれでチトきついか…

  • 純愛とか夫婦愛。どちらかが起こしたどんな過ちも許し乗り越えていくのが夫婦、・・・の理想だろ、と。そのテーマをひとつの物語作品として突き詰めていくとここまでのものに行き着くか、と思った。
    佐野周二の怒りの演技がよかった。

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著者プロフィール

日本の映画監督(1903~1963)。日本映画を代表する監督の一人。サイレント映画時代から戦後までの約35年にわたるキャリアの中で、原節子主演の『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)など54本の作品を監督した。ロー・ポジションによる撮影や厳密な構図などが特徴的な「小津調」と呼ばれる独特の映像世界で知られる。親子関係や家族の解体をテーマとする作品を撮り続けた。黒澤明や溝口健二と並んで国際的に高く評価されている。

「2024年 『小津安二郎発言クロニクル 1903~1963』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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