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- / ISBN・EAN: 4907953025141
感想・レビュー・書評
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TIME
2006年 韓国 98分
監督:キム・ギドク
出演:ソン・ヒョナ/ハ・ジョンウ/パク・チヨン
https://zettailove.exblog.jp/
セヒ(パク・チヨン)はジウ(ハ・ジョンウ)と付き合い始めて2年。嫉妬深い彼女は、ジウが少しでも他の女性と親しくすると、自分が飽きられたのではないかと心配になっていた。思い詰めた彼女は整形を決意、ジウの前から失踪、整形で姿を変えて半年後、再びジウの前に現れ、スェヒ(ソン・ヒョナ)と名乗る。ジウはスェヒ=セヒだと気づかないまま、次第にスェヒを愛するようになるが…。
昨年(2020年)の12月、キム・ギドク監督の突然のコロナで死亡のニュースにとても驚いた。移住予定だったらラトビアを訪問中のことだったようで、詳細不明なまま。過激な作風、女優さんにセクハラで告訴されたりもしていたし、日本ではあまり大きく報道されなかったけれど、とても好きな監督だったのでショックでした。映画館で観たのは「春夏秋冬そして春」「サマリア」「弓」「ブレス」「嘆きのピエタ」の5作だけだけど、いずれも心に刺さる作品でした。亡くなったのは残念だけど、多作な監督なので見れていない過去作がたくさんあり、少しずつ補完していこうと思います。
閑話休題。本作は整形大国・韓国らしい、顔が変わっても愛は変わらないか?という疑惑のラブストーリー。整形科医が良心的対応だったのは意外。まず「今より可愛くはなりませんよ(そのままで十分キレイですよ)」と本人の容姿を肯定、さらに手術のグロい映像を見せて「こんなことしますけどそれでもいいですか?」と確認。それでもやる!というセヒの強い意志を確認したうえでやっと手術。とはいえ、お医者さんの良心なんて、セヒの狂気の前では役に立たないだけともいえる。
さて整形後半年は顔をまだ見せられないため、セヒは巨大マスクにサングラス姿で、こっそりジウの後をつけ回します。恋人セヒの失踪にショックを受けているジウを立ち直らせようと、友人たちが合コンを開いたりしようものなら、即座に相手の女に嫌がらせ。自分のいない半年の間に、ジウに悪い虫がつかないよう万全の警戒を行い、満を持して半年後スェヒとしてジウの前に現れます。
まんまとジウはスェヒを好きになってくれるのだけど、彼女はジウを試すために、セヒの手紙をジウに届けたりする。セヒがどこかにいてまた自分に会いにくるかも、と期待をするジウ。ジウは結局、今もセヒを愛しているから付き合えないとスェヒに告げ…。
このへんのセヒ=スェヒの言動は、ちょっと一貫性がなくて、なんというか、そもそも整形にまで踏み切ったものの、彼女自身が本当はどうなりたかったのか、ブレていたのが本人にとっても盲点だったと思われます。セヒとしては、ジウが今も自分を忘れられない、今も愛している、ということを確認できて喜ばしいはずなのに、スェヒとしては、つまりジウに振られることになる。もしジウがスェヒを選び、もうセヒのことを忘れたと言えば、スェヒとしては満足だけれど、セヒとしては結局自分のことを本当に愛してなかったのか、となる。つまりジウがどちらを選んでもスヒ=スェヒにとって100%満足する結果はありえないということ。スェヒは自分自身であるのにセヒに嫉妬するはめになり、セヒはセヒでスェヒに嫉妬、同一人物なのにものすごい自己矛盾を抱えてしまうことに。
ジレンマに陥ったスェヒは、整形前のセヒの顔のお面をつけて(写真拡大コピー)ジウに会う。この場面がもはやホラー。ジウはようやく、スェヒ=セヒだったことを悟るが、なんのために彼女がそんなことをして自分を試したのか、結果どうしたいのか理解不可能。整形科医にいちゃもんをつけにいった彼は、混乱のあまりある決意をし…。
終盤の迷走っぷりはいかにもキム・ギドク。自ら地獄につっこんだセヒ=スェヒは、ジウを求めてさらなる迷走を繰り返す。しかし彼女に同情する気持ちには全くなれず、ひたすらジウが気の毒なのみ。そもそも序盤のセヒの嫉妬深さが異常で、私がジウならこの時点でセヒとはお別れしたいところなのだけど、ジウはそれでもセヒを愛している。こんな献身的な彼氏がいて、どうしてあんな奇行に走るのか。愛ゆえにしてもあまりに闇が深い…。
二人がデートで何度も行くアートだらけの島が、日本でいう直島みたいなところで面白そうでした。整形シーンがグロい以外は、キム・ギドクのわりにはライトなストーリーだったと思います。 -
原題はTIMEです。
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怖い映画だった。整形への抵抗の少ない韓国での整形にのめり込んでしまう男女の物語。
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(2006年作品)
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普通に引き込まれたし、一生懸命観れた。
あっという間だった。
けれどもギドクファンとしては(ギドク作品はこれで9作目)中盤~後半が少しストーリーに特化しすぎている印象。
ギドク監督の持ち味である残酷さの中の幻想的で艶やかで…というのがあまり感じられなくて物足りなかった。
ギドク監督の魅力は、やはり映像と視線や背中などの体で力をほとばしらせで心情とかを伝えてくるところだとわたしは思う。
わたしはそういうところが好き。
そのほとばしるパワーがこの映画は
他のギドク監督作品と違った気がした。
セリフや行動が多いからだろうか。
それとも他の映画より広い、現実世界だからだろうか。
(ギドク監督の他作品は小さな箱庭の世界に絡まりあうイメージをわたしは持っている。)
それでもさすがギドク監督で、痛々しい部分を直視している潔さはとても好きだった。
テーマも好き。移ろいゆくものへの恐れ。
あと移ろいゆくものを諦めない主人公へ尊敬と侮蔑を感じながら、複雑な思いで観ました。 -
心の証明と、見るということ、
そして、時間について考えさせられた。 -
2009.1
これが愛なんでしょうか。
執着とか執念と、愛は違うものか延長線上にあるものなんでしょうか。
こわいよ。 -
キム・キドク監督の映画はいつも、
心の奥底の渇望を
包み隠さず曝け出す
って感じがします。
見ていて、痛い。