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Amazon.co.jp ・映画 / ISBN・EAN: 4988105055438
感想・レビュー・書評
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有馬稲子の魅力にすっかりやられてしまった作品。
元はといえばFive Japanese Divasと題したシリーズで原節子と山田五十鈴が共演している作品という位置づけで取り上げられた中で鑑賞したのであるが、その二人を差し置いて自分の注意を惹きつけてしまったのが彼女だった。運命のいたずらとは面白いもので元々は岸恵子に行くはずの役どころだったのがスケジュールの都合で彼女に回ってきたとのこと。岸恵子の演技については本フェスティバル中に「早春」(1956) にて「きんぎょ」とあだ名される軽薄な女性を演じる形で遭遇するのであるが、そのイメージから判断する限りではこの役は有馬稲子の方がハマっていたように感じる。
印象深い役どころを演じている役者のひとりに高橋貞二がいた。彼はこの作品の公開2年後に自動車事故で33歳の短い一生を終えており、小津作品では本作の翌年に公開されている「彼岸花」が最後の出演ということになる。一度目に本作を鑑賞したときはそんな感慨をもって彼を眺めることは出来なかったが、今はそういうところにも心が飛躍して行くようになった。これを成長と呼んで自己満足しておこう。
小津監督の音楽の使い方はときどき混乱させてくれる。全編を通して流れるのんきな旋律はどこかに明るい結末や救われるシーンが現れるのかと期待させてくれるのであるが、その期待とは裏腹にこのお話の中ではいつまでたっても現れず…そして終焉を迎えてしまう。この同じ旋律を他の小津作品のどこかで聴いたのだがどの作品だったか忘れてしまった。はてさてこの旋律の意味するところはなんだったのか、これまた天国の彼に訊いてみたいことがひとつ増えたかたちになる。
ここでも理想の父を演じた笠智衆。小津はその像をもってしてそんな父がいる家庭でさえもこうなってしまうことがありうるということをみせてくれる。姉妹が父から受けたのは愛情と型にはまった理想というようなものが表裏一体となった何か。娘たちを不幸せにしたのも父だったと言えば少し酷な言い方か。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今から60年前の作品だけれど、全く古くない。
この頃からすでに人間は同じ問題で悩んでいる。
「暗い」と言われる本作。
確かにメインテーマは重くて暗いものの、ユーモアの感じられる部分もややある。
お見合い話を持ってくるおせっかいなおばさん!
こういう人いるいる…って芸人の人間観察ネタみたい。
さすがの演技力の杉村春子先生。
さらに、
・電信柱におしっこをひっかける野良犬…。
・警察で尋問を受けている下着ドロボーの年配男が、女みたいにカン高い声で供述しはじめること。
・明子を孕ませた遊び人の色男が、なぜかオカマっぽい口調でしゃべりだすこと。
・中華料理屋の店名が「珍々軒」
話が深刻なだけに、ギャップでおかしみが倍増するも、映画全体のバランスを考えると、余計なような。
こういうのは、監督の意図なのか、話が暗すぎるので、息を抜ける場所を作ったほうがいいと周りが配慮したことなのか。
明子を病院まで送り、連絡を受けて駆け付けた家族に「珍々軒」のオヤジが自己紹介する時に店の名は言わず、個人名を名乗るのは、この場面で不要な笑いを取ることを避けたものか。オヤジは去り際、夜勤で居眠りしている当直の看護婦には店名をあえて告げている。
それにしても、昭和30年くらいの病院て、夜中に救急搬送されても医師不在で翌朝まで何の処置もしてもらえないんだろうか…。
居眠り看護婦と「珍々軒」のオヤジののんびりしたやりとりから、明子のケガは大したことないのかと思ってしまったが、家族以外の他人は、人が死のうが堕胎しようがどうでもいい…という、人間の冷たさ・残酷さをあからさまに描いていたらしい。
母親が山田五十鈴で、娘が原節子と有馬稲子。こんな超絶美人母娘が身近にいたら、ゴージャスなファンタジーだと思う。 -
小津監督の作品は淡々と日常を描いたものが殆どと思っていたが、本作は、不倫、死別などを扱う重いものだった。
母親が列車で北海道に発つとき、見送りに行かないシーンが良かった。現代の作品であれば涙を誘うために見送りのシーンを作るだろうが、リアルさを追求するのであれば行ってはいけない。それがわかるのが小津監督だ。 -
原節子さんの顔がこれだけたくさん真正面から撮られているのは珍しくないだろうか?
そのせいか原さんの持つ柔らかく包み込む様な優しい表情を見ることが少なく、こちらを突き刺す様な真剣な眼差しが強く表現されていたのではないかな。
そして余計かもしれないが原さんの顔って結構四角いんだなと思いました。 -
脚本としては確かに評価の分かれる作品だと思うが、私は評価する。
これまでの多少滑稽で皮肉の利いた作品群に期待している人々でも、「エデンの東」へのオマージュ作品と見れば合点が行く気もするが…
かく言う私も若い頃に観た時は全然面白いと感じなかったが、50歳を過ぎてから観直すと全然違った。 -
BSプレミアムにて。子どもを身ごもって娘(有馬稲子)は相手の男を探し街をさまよう。父親(笠智衆)はなんで自分に言わなかったのかと怒るばかり。彼女の実の母親が登場したりと、終始ドロドロした話でした。有馬稲子の凛とした美しさは非常に印象的。
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レトロな洋装と昭和の和装とか、古びれた飲屋街とか、懐かしさがぎっしり詰まった作品。姉と妹の性格の対比もおもしろい。ただ、どうしようもないダメ男に人生を棒に振ってしまった妹の生き様には同情ではなく、嫌悪に似た感情を抱いてしまった。男に遊ばれるなかれ・・・
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小津安二郎監督 1957年作品 白黒
銀行監査役 周吉(笠智衆)には、二人の娘があった。
孝子(原節子)は、嫁ぎ子供がいる。
明子(有馬稲子)は、まだ結婚していない、独身。
その家族の物語である・・
周吉が家に帰ると、孝子が子供を連れて家に帰っていた・・
周吉の妹 杉村春子は、一緒に昼ごはんを食べるときに・・
(杉村春子は、何故かいつもチャカチャカした役をしている。
明子が、お金を借りに来たことをつげる・・・
明子が、何か問題を抱えているらしい。
子供心に、有馬稲子を知っていて、
自由奔放な銀幕のスターという印象が強かった。
この作品の中では、とげとげしていて、
眼光するどい・・女性で、意外感があった。
小津安二郎の描く男たちは、
相変わらず自堕落な・・生活をしているようだ・・
明子(有馬稲子)が、顔を出した麻雀屋の女将さんに
あれこれと質問される・・・
明子の中に大きな疑問が広がる・・・
『いったい私は誰の子供だ?』という・・・
そして、堕胎する・・・。
明子の抱えている問題が
家族を崩壊させていく・・・
孝子は、家族が大切といって嫁ぎ先に戻り・・
周吉は、一人残される・・・
家族は、生まれ、崩壊する。
そして、一人に戻る・・・
平凡な家庭の中にある
ニンゲンというもののたどらなければならない運命。
小津は、家族の世界を丹念に描くが・・
今の時代に小津が存在したら、
家族の大きな変容に驚き、絶句するのかもしれない。 -
まさか小津映画で「ズベ公」という言葉が出てくるとは思わなかった。(他の作品でも出てきますが)個人的に神のいたずらを感じる作品でした。
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心に傷を抱える人々の、人生の哀愁が胸に迫る。
夕暮れは皆に等しくやって来る。赤い夕暮れ、黄色い夕日、暗い路地裏、ネオンの光…。
色は十人十色だが、何に染まるかその人次第。
出口の見えない孤独から出るも出ないもその人次第。明日という日も皆に来る。
明子は若さゆえ思い込みも気も強く、そして脆かった。
喜久子は十字架を背負い旅立った。
孝子は大人ではあるがまだ若い。
「やっぱり両親の愛情は必要だと思うの。母さんがいなくて寂しかったんだと思うの。」
「やってきたいと思う。やってけなくても、やってかなきゃならないと思う…。」
もう一度歩み始めた孝子。そして父の温かい言葉。
「まぁやってごらん。やってできないことはあるまい。」
東京物語同様デリカシーのないオバタリアン杉村 春子が逞しい。
これぞ意地とハッタリよ!逞しくならなきゃ生きてけないもん。
真っ赤な夕日が眩しいぜ!
〔081011鑑賞〕 -
小津映画の中では異色とされる、重くて暗い作品。とにかく笑わない悲劇のヒロイン有馬稲子さん。暗い作品ということ自体はいいのですが、彼女を妊娠させて責任をとろうとしない木村という男の態度にイライラ。そして過去に家族を捨てた母親との再会のシーンの軽さに、ちょっと感情移入ができませんでした。家族の心のズレを考えさせられるという意味では、観る価値はあるかも。
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【東京暮色】これ程暗く重い小津映画は極めて稀、数あるフィルモグラフィーの中でも間違いなく異色作と言える。娘達を振り回す男共以上に酷いのが母親、家族を捨てておいて見送りを期待する身勝手さには呆れ果てる。一般的には失敗作かも知れないが、この陰鬱な雰囲気が私は好きだ。70点
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小津監督の悲しい話(悲劇という表現にはあたらない)
夫婦、親子、姉妹、それぞれの錯綜とした関係をしっかりと捉え、感情的なものに不都合も見られない。
的確に心理を描写しているのは心憎い。
そもそも・・・母親の不貞のせいで不幸を呼んでいるにもかかわらず、当の母親の「のんきさ」もしっかり表現している。
母親が最後までノーテンキであることを、電車の見送りを期待しているところでもあらわしている。
少しも無駄のない時間の流れにも感服する。 -
先頃亡くなった山田五十鈴が出演している。同じ作品に出演している有馬稲子が朝日新聞の夕刊で、この作品ついて語っている記事を目にして、もう一度手元にあるDVDで観ることにした。
小津作品には珍しく、暗くて重い作品だが、何よりも登場人物の描き方が中途半端で、物語にも奥行きが感じられない。なぜかと考えてみた。台詞に頻出する説明や解説が多く耳障りだ。「あれほど説明を嫌った小津がなぜ?」と、気になって手元にある資料を調べてみると、やはり、脚本が出来るまでにいろいろな経緯が絡んでいたことが分かる。共同で脚本を書いていた野田高梧がこの題材には消極的で、脚本執筆中もしばしば意見が対立したらしい(『小津安二郎映画読本(フルムアート社)』)。これには、さらに裏事情があって、「この脚本執筆の直前、野田高梧が自動車事故で入院したり、小津安二郎が肥厚性鼻炎の手術で入院したりで、二人の体調が万全でなかったことも響いているのかもしれない」と井上和男も書いている(『小津安二郎作品集Ⅳ(立風書房』のあとがき)。興行のスケジュールなども絡んで、じっくり脚本を錬る時間がなかったのだろう。
しかし、ラストシーンは見事だ。山田五十鈴演じる母親が、上野駅で列車に乗り込んだ後、娘が見送りに来てくれるかもしれないと一縷の望みを懐いて窓から乗り出す。出発間際になっても列車の窓ガラスの曇りを拭いている。ホームでは歓送会が行われていて、明治大学の応援団の応援歌が流れ続けている。駅は人々の交錯し、喜びや悲しみが混在する場所だが、このシーンは映像と音だけでそのことを如実に見せてくれて心に染みる。 -
早稲田松竹にて
笑わない有馬稲子
中村伸郎の味わい -
人に借りていたDVDをようやく見る。ストーリー的には小津映画の中では異色といえるのかな。有馬稲子が美しい。
音楽がメチャクチャでした。クライマックスでどこからか聞こえてくる『安里屋ユンタ』がとても印象的。
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