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本 ・映画 / ISBN・EAN: 4932487023998
感想・レビュー・書評
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NYの路頭で絵を描き続ける自称巨匠のホームレス、ミリキタニ。
女性(どうでもいいけど独身若手)映画監督のリンダ・ハッテンドーフが、彼に興味を持って取材を始めると、彼は、戦時中に強制収容所に住んでいたこともある日系二世だということが判明する。そして取材中、同時多発テロが発生、彼の身を案じたハッテンドーフは、無謀にも(?)彼を自らのアパートに住まわせ、二人の奇妙な共同生活が始まった・・・。
ドキュメンタリーというには、あまりに作り手が対象に介入している。
なので、分類としてはノンフィクションなのだろうけど、それにしてもドラマティック。まさに事実は小説よりも奇なり。
ミリキタニ氏が、よくもまぁこんな逸材を見つけたなぁという程に面白い人物。
彼はサクラメント生まれの純粋な日系アメリカ人だが、3歳のときに日本に渡り、18歳まで日本で過ごす。その後、日本で軍に加わることを拒否し「自らはアーティストであり、東洋と西洋を融合させるアートを作る」という意思を持ってアメリカに戻る。しかしそんな彼を待っていたのは、太平洋戦争と、アメリカ政府による日系人強制収容所送りとアメリカ市民権の剥奪。
その後、紆余曲折あり、ホームレス画家となるのですが、とにかく自負心が強いのなんのって。
何かと言えば「俺は巨匠」。そして、ハッテンドーフのアパートに居候しているくせに、彼女の留守中に何度も電話がかかってくると怒るし、彼女が彼を受け入れてくれる福祉施設を探しても「俺はクソ米国政府の援助など受けん」的な発言をし、さらには10時までに帰ると言ったハッテンドーフが深夜過ぎに帰ってくると「若い独身女性がそんな遅くまで出歩くとは!」とお説教まで始める始末。
ハッテンドーフが頑張って福祉先を探したのは、自分の作品をドラマティックにするためでもあり、彼を助けるためでもあり、何よりも彼を早く追い出したかったからではないかとすら邪推してしまう(笑)。
しかし、原爆や日系強制収容所などの過去を怒りをあらわにし、同時多発テロとそれに伴うアラブ・バッシングに苦言を呈し、家族を見つけ出して感動し、そして、過去を受け入れるまでが面白い。ハッテンドーフがどういう映像作家を目指しているのかは知らないけれど、「人間を撮ること」に関しては、本作がライフワークとして誇れる作品になったことは間違いない。
日本の学校で社会科の教材にしても良いと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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中野先生のオススメで観た。
ホームレスの状態でもアーティストとしての誇りを失わず、でもアメリカ政府や「社会保障」には不信感がいっぱいで。そんなJimmyさんが、この映画をつくったLindaさんとの出会い、そして思いがけない大事件をきっかけに、居場所を見つけ、いろんなこと・モノ・人との関係を紡ぎ直していくプロセスにとても感動。Lindaさんちの猫ちゃんがいい味だしてる。 -
http://youtu.be/ax9K9a0FS5U
ニューヨークで路上生活を送る日系アメリカ人画家ジミー・ミリキタニを追ったドキュメンタリー。
映画監督リンダ・ハッテンドーフはミリキタニから一枚の猫の絵をもらった事が縁で撮影をはじめる。
やがて9.11が起き粉塵が街を覆ったため、ミリキタニはリンダの家で暮らすようになる。
アラブ系アメリカ人への迫害が起きる中、
ミリキタニは2次大戦中に日系人がいれられた収容所の事、
社会保障を受け取らず路上生活を送っていた理由を語り始める。
リンダの部屋で暮らすようになってからの
ミリキタニの表情、絵の変化が印象的。
赦しの物語だと思った。
それにしてもドキュメンタリーに登場する猫達の表情は
何故こうも生き生きと愛おしいのだろう。 -
アメリカサクラメントで生まれた日系アメリカ人ジミー・ツトム・ミリキタニ。路上生活者であり、芸術家と自称する彼を取材する形で本作ははじまる。
アメリカの市民権を得ていたミリキタニ(=三力谷)は幼少時?に広島へ移り住むが、18歳のときに海軍兵学校へ行くことを拒否し芸術家として生きるためにアメリカへ移住する。真珠湾攻撃後日系アメリカ人は有無を言わさずキャンプ(強制収容所)へ収監。キャンプから解放されるには、市民権を放棄するしかすべがなく、日系人の多くがこれを受け入れるしかなかった。
終戦後、市民権がないことから再びキャンプ送りになる。後に叔父の元でコックとして働くが、叔父の死後路上生活者となる。
間違っているかもしれないが、おおよそこのような略歴がミリキタニにはある。
取材時のミリキタニはすでに80歳を超えていたが、昨年ニューヨークで亡くなられたそう。
ドキュメントとして面白いのは、監督リンダ・ハッテンドーフがミリキタニを自宅に引き取ることにあり、そこから生まれる対話と彼の独白をメインに編集していることから人間くさい変化が見えるところではないでしょうか。また、取材中にアメリカ同時多発テロが起こることで、序盤で展開されるある種偏執的に思えるミリキタニの主張が、アジテートではなく真実を多分に含む主張であり、彼なりの現代への警句だということもわかってくる。
アメリカ同時多発テロ時、日系アメリカ人が受けた迫害がアラブ系アメリカ人に向けて起こっていると伝えるニュースとミリキタニの独白がそれを後押ししているし、これはセネカのいうところの『何人も判断するよりはむしろ信ずることを願う』という言葉を体現しているかのようだった。この言葉は当時のアメリカ国内の政治的動向と呼応しているように僕には見えたし、そこから名前のあるミリキタニという個人を推察するのに助けになった。
ミリキタニの猫という題も見事。その意味するところを映像を見ながら考えてみると、何か考える助けになるかもしれない。 -
NYの路上で、生活する、日本から来たおじいさんアーティストのドキュメンタリー。
みりきたにさんの人生そのものなドキュメンタリーでした。
凄く心温まりました。
お勧めです。 -
(The Cats of Mirikitani; 2006/米、74min.)
ドキュメンタリーというけれど、作り手が対象者の生活、日常、感情に入り込みすぎている。
そのため、想像を絶するような生涯を送ってきたミリキタニ氏の影は薄れてしまい、私が彼を発掘したの!私が彼を守っているんだ!私が私が.. というような、監督のマスターベーション、という印象しか残らなかった。
日本メディアは下らん番組を作ってないで、こういった人のことをもっと取り上げるべきだと思う。 -
ニューヨークの路上で暮らす高齢の日系アメリカ人画家を撮影したドキュメンタリー。
猫の絵を見て興味を持ったリンダがなにげなく撮影をはじめる、最初はそれだけだったのが、9.11で様相が変わってくる。
なにかに導かれたような奇跡的な巡り合わせの映画。
危険な路上のミリキタニを放って置けなくてリンダはミリキタニを家に招き共同生活を始める。
親しく付き合ううちに第二次世界大戦時の強制収容所を経験したミリキタニの過去と、どんどん排外的になっていく「現在」のアメリカが重なって見えてくる。
映画の中のミリキタニはいかにもディアスポラだった。
英語のまったくわからない私にもとても聞き取りやすい発音の(すなわち日本訛りの強い)英語を話す。
故郷を懐かしんで日本の歌を歌い、思い出の中の風景を描き、忘れないために書くような文字を繰り返し刻み、ふるさとを美化する。
でも、日本語で話すときにはとっさに言葉が出てこなくて、英単語が混じる。
「自分はアメリカ人である」「自分は日本人である」「自分はアーティストである」と繰り返す言葉が、プライドとそれを否定された悔しさを同時に強烈に滲ませる。
強く有らねばならなかった人の強さで、ある程度はオープンに、しかし一定以上は入らせない距離をかたくなに貫いていた人が、絵を(自分の存在を)認められたときに嬉しそうに笑う。
居場所ができて受け入れられて、それでようやくアメリカへの憎しみを杖にしなくても立てるようになる。
だけどそもそも憎しみだけに凝り固まって破滅することなく生きてこられたのはきっと絵があったからで、絵はこの人の「寄す処」なのだろう。
面倒くさい頑固爺だけど魅力的な人だ。
近くにいたら「この野郎!」って思うけどいなくなったら寂しい、そんな感じの人。 -
監督リンダ・ハッテンドーフの言葉(インタビュー映像より)
”9.11後の数日間、私達はテレビで一日中 戦争と恐怖と憎しみのみを見続けました。それは自分の存在を卑小に感じさせます。何かを変える力を持っていないという無力感。しかし私は何かポジティブな行動をおこす必要がありました。人間は優しく善良であるという私の信条を維持するために私にはジミーが必要でした。彼を助けることに集中したかった。恐ろしい時間を乗り越えるための仲間が必要だったのです。だから私は彼を助けましたが、彼も私を助けたのです。”
3月11日以降にとった行動はこの監督を突き動かしたものと同様に、「恐ろしい時間」を乗り越えるためのそれだったのかもしれない、と思うひとも多いんじゃないかな
高橋一修(法政大学法学部教授)の言葉(DVD付録内「クソッタレのアメリカを見限らなかった理由」より)
”アメリカの連邦議会も1988年の立法で、日系アメリカ人(とアリュート人)の強制収容は「人種的偏見と戦時ヒステリアと政治指導部の誤り」によってひき起こされたと公式に認め、赦しを乞い、補償を定めた。しかし、第2の真珠湾たる9.11によってひき起こされた「人種的偏見と戦時ヒステリアと政治指導部の誤り」によって、今毎日目の当たりにするイラクの地獄絵図の責任をとって、アメリカが赦しを乞うのはいつのことになるのだろうか。これが見終わったあとの残像のようなものである。” -
9.11でビルが崩壊するすぐそばで絵を描き続けた男。
アメリカ生まれ、ヒロシマ育ち。18歳でアメリカに戻るも時は第二次世界大戦。市民権を失い、収容所暮らしになるなど、人種と戦争に翻弄されながら生涯芸術家としてニューヨークの路上で絵を描き続けるジミーミリキタニ80歳の人生を垣間見るドキュメンタリー。
あれから60年経ち、再び収容所を訪れた彼は言う。
もう怒ってはいない。思い出を通過するだけだ。思い出も亡霊たちも自分には優しかった。と。 -
2009.01.01.-01.18. シアターキノ 公開
アメリカ2005 -
絵がいい、ミリキタニのピースがいい。猫好きなんだよなぁ。
ミリキタニ、もだし、リンダ(?)監督もだし、なんか、顔が猫ににてる。
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DVD購入してみると、小冊子がついていました(笑)。
…というより、小冊子にそっとDVDがついてる感じ。
最初、DVDがどこにあるのか判らなかったくらいだもん(爆)。
でもこの小冊子、薄いとばかにするなかれ。
読み応えありました。
これからDVDを観ます。楽しみです。
☆はまだ小冊子のみの評価なのだ。 -
どんな映画だって、ジミー・ミリキタニの人生ほどドラマチックではない。
私の(そして君の)人生のどんな嫌な事もつらいことも、ジミー・ミリキタニの人生に比べればちっぽけで取るに足らないものにすぎない。
平和の意味を知っている?
私達には誰にも分からない。(私達って一体誰だ?)
ミリキタニは、ソーホーの路上で絵を描いて暮らす。
ミリキタニは、広島の原爆を知っている。
アウシュビッツ同様の地獄を知っている。
2本のビルに刺さった飛行機を見た。
ミリキタニは怒る。
ミリキタニはピースという。
ミリキタニは故郷日本の歌を歌う。
ミリキタニは強制収容所で死んだ少年のために猫の絵を描く。
これはあくまでアメリカ人の目から見た映画だ。
彼らの日本人へ向ける目は我々の望むものとは異なるかもしれない。
それでも、この世界にミリキタニのような人間がいることは事実。
すべての日本人がアメリカ人が世界中の人が知らなくてはいけないことがある。
私達に出来るのは、知ること。
それだけ。