愛を読むひと (完全無修正版) 〔初回限定:美麗スリーブケース付〕 [DVD]

監督 : スティーヴン・ダルドリー 
出演 : ケイト・ウィンスレット  レイフ・ファインズ  デヴィッド・クロス  ブルーノ・ガンツ  レナ・オリン 
  • 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
3.58
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本棚登録 : 1101
感想 : 242
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988142764324

感想・レビュー・書評

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  • 原作を読んでいたため筋は知っていたが、関係なく入り込めた。
    美しく哀しい物語。

    ケイト・ウィンスレットが素晴らしかった。
    視線や口元、震える手など、細部で伝わる喜びや戸惑い。
    面会の場面での絶望。

    人は大きな隠し事をしていると
    大事なものを失ってしまうのだろうか。
    ハンナもマイケルも、
    本当のことを言わないがために
    人生が大きく変わってしまった。
    そこで一歩踏み出す勇気があれば、
    というのは平和ボケした感想なのか。

    マイケルの娘が父の話をどう受け止めるのかわからないが
    ナチスの犯罪が遠くの歴史ではなく
    自らのすぐ横にあるものとして
    捉え方が変わるのは確かだろう。
    こうして記憶が受け継がれてゆくことは
    ハンナの遺産のエピソードと並んで
    悲しみにあふれたこの物語の
    光あるラストだと思う。

  • 恋愛ものだけれども、
    もっと人間的なものに触れるドラマ。
    少年の成長と、一人の人間の特殊な愛し方。

    少年も女性も、単純に恋愛感情として、
    いつもでもお互いに愛し合っていたというわけではないと思う。
    少年がいつまでも彼女を忘れえないのは、
    初めて出会った大人の恋が、唐突に終わってしまったからであり、
    また自身が一つの重大な事実を抱えたまま、それを秘密にしてしまった罪悪感である気がする。

    そして一番の疑問がケイト・ウィンスレットが少年に対して、本当に恋愛感情を持っていたのかどうか。
    彼女はどんな思いで少年と付き合っていたのだろうか。
    またどんな思いで大人になった彼の朗読を聞いていたのだろうか。

    かといって、二人はもっと別の次元で互いにつながり合っている。
    その絶妙なバランスがなかなか興味深かった。

    ストーリーとしては、予告編で引っ張っておきながら、
    ケイトウィンスレットの「謎」部分が、いち早く鑑賞者に察知できるようになっているあたりは、少し拍子抜けした。

  • 1958年、当時15歳の主人公は猩紅熱を発症した際に救われた年上の女性に恋をする。路面電車の乗降員であった彼女に物語を読んでから、愛を交わしてきたが、ある日彼女は消える。
    法学生となり傍聴した裁判で、被告としての彼女を見つける。彼女はアウシュビッツで看守をしていた。筆跡鑑定をされそうになり、看守の先導的地位にいたと認め、有罪刑を受ける。主人公が失読症であることを認めれば結果は変わったと告げても。
    主人公は朗読を吹き込んだテープを送り続ける。そして、彼女も文字を覚えるようになる。
    出所前日の面会。彼女が坊やと呼んだ少年はすっかり成人した大人になり、彼女は年老いていた。そして出所の日、彼女は首を吊った。

    仕事をしていた、と裁判で訴える彼女の言は「私は貝になりたい」みたい。必死に失読症であることをひた隠し生きてきた彼女と、罪を着せる他の元看守と、誰が悪いなんて、言えないのに。誰かが罪を着ないと落ち着かない群集心理のためのまるで魔女裁判、人身御供のような嫌なものだった。
    ドイツ的エロスってなんかこう、朴ってした中に官能を入れてくる感じ、好き。

  • ・「愛を読む人」
    https://www.youtube.com/watch?v=Wb8mx1Z7Jt8

    圧巻だった。レイフ・ファインズをはじめすべての共演者が素晴らしい演技を見せていたが、全てぶっ飛ばしたのがケイト・ウインスレットだった。彼女を知ったのは「タイタニック」だったがそれほど評価できることもなく、その後の演技を見てもあえて購入しようという気はなかった。

    本作は素晴らしいとしか言い様がない!レイフ・ファインズの役柄は青年期と成年期を二人で演じ分けているのに比べてケイトはすべてをひとりで演じ切った。美しさと老いの中に昔から見せる気の強さがなんとも言えずにマッチしていた。演技を見ている中で「素晴らしい」や「上手い」というよりも「美しい」という言葉がどんどん膨らんでいく、彼女の魅力が全て詰まった作品かと思います。

  • 組織での犯罪で、末端の職員として雇われた人間に罪はあるのか?組織に忠実に従うということは日本では美徳とされてきたことだが、『es』でも描かれていたようにこれは集団心理として扱う問題だと思う。同調圧力によって、人はいとも簡単に洗脳されてしまう。

    集団心理として扱うべきこうした問題は、歴史の中で常にこの映画のように個人の罪や責任として問われ詐称され、歪められてきたんだろう。看守仲間みんなでハンナを指差し、簡単に嘘を付き罪をなすり付ける様は、観ていて非常に心苦しかった。

    そして埋められそうで埋まらない二人の間の深い溝、強烈なプライドに傷付いた心。相手への愛のあまり、お互いに同じ極同士のように反発し合う様が狂おしくもどかしい。
    捨てられた少年は、年老いた老女を捨てる。

    緻密で繊細に描かれるハンナの存在感が素晴らしく、見終えた後も、主人公の脳裏に呼び起こされる彼女の記憶を垣間みているような感覚の余韻が残った。

  • 知り合いの女性演出家に勧められて鑑賞。

    年上の女と10代の少年の青いラブストーリーかと思いきや、後半まさかの展開。
    普通に驚いた。

    何と言うか切ない。
    主人公のミヒャエルにとってハンナとの出会いとは何だったんだろう。
    愛とか恋という言葉で簡単に表せない。
    人生を変えてしまう人。
    そればイイ風には転ばないこともあるんだなぁ。

    面会から帰ってしまうシーンが印象的。
    何か残る作品でした。

  • まさかのナチス絡みで期待してたより重たい物語だった。けれどその重さが苦痛にならない胸をしめつけられる物語。道ならぬ恋に身を焦がしすれ違っていくハンナとマイケルの想いに、観終わった後であーでもないこーでもないと想像を巡らせてみたり。

    レイフ・ファインズもいいけど、悲愴極まるケイト・ウィンスレットの演技がとにかく凄い。重量感のある崩れかけた裸体もリアルすぎる。彼女は間違いなくメリル・ストリープになれるわ。

  • パトカーにPOLIZEIって書いてあるドイツが舞台の映画なのに、名前がマイケルでしゃべってる言葉は英語で本にはtheって書いてあって手紙も英語っていうのはかなり興ざめ。あと、女優さんが若い時期は適度に年で色気もあるけど体型は崩れてる人を持ってきたなと思ったけど、老年期は全然老けて見えなくてもう少しメイクでなんとかならないのかと思った。特に顔のラインが綺麗すぎて、年をとると輪郭全体がたるむのにそれがないのがとても不自然。

    その2点以外は、とても好きな作品。ドイツではナチズムに対してすごく厳しいと聞くけど、情があってもそれだけではすんなり受け入れられないのだろうなと思った。社会的にもだけど、主人公自身の中でも。

    主人公が、ハンナの尊厳を尊重するのがいいね。

  • 監督スティーブン・ダルドリーは、
    『リトル・ダンサー』で果てしない夢を描き、
    『めぐりあう時間たち』で死の淵を描き、
    本作で喪失を描いた。

    日本の童画の創始者であると同時に、恋愛の至高を繰り返し綴った、武井武雄は「触れてこそ愛はきわまる」との一文を私家本(刊本)にそっと潜り込ませた。

    making love 以上に、reading you a story は相手に触れる行為。もちろん肌の触れ合いは繊細かつ重要。しかし、そこに言葉と心の触れ合いが加わったとき、繊細さは、奥深さを増し、しっかりと大きく響き合うものになっていく。それは独りになっても、生きていける泉になる。

    繰り返して言うが、この映画が描いたのは秘密ではない。
    喪失を内面に抱え持つこと。
    それでも生きていくこと。

    しかし、その喪失を内面に抱え込めなくなったとき、何かが終わる。生きる、って何?・・・ここからやっと本当の生が考えられる。考えるというよりは突きつけられる、という感じだろうか。

    本作では、時間軸がしばしば錯綜する。
    そのため、物語は複雑になるが、喪失の大きさを描くためには仕方のないこと。過去は過ぎ去ったことではなく、今の自分そのものだから。より深く理解しようと思ったら、もう一度、観る必要があると思う。

    たどたどしく書かれたハンナにとって「最初」の手紙
    "Thanks for the latest kid. I really liked it."
    を見た瞬間、全てが分かった。ここから彼女の本当の人生が始まり、自殺をもって幕を閉じた。

    マイケルは、離婚を経て、朗読テープを送り続け、ハンナの死のきっかけを作り、そして、その死を引き継ぐ。そして、長らく抱え込んでいた喪失を娘と共有しようと試みる。

    物語からは、誰が正義で、誰が悪人かは分からない。ただ、二人の生き様に、世界の文学が結晶化させようとあがき続けた「人間」そのものを見てしまうのは私だけだろうか。

    『リトル・ダンサー』のような喜びは本作にはない。
    『めぐりあう時間たち』のような衝撃は本作にはない。

    しかし、本作には深い喪失がある。この喪失を味わうには、まだまだときが必要だと感じた。それは原作者やキャスト、スタッフであっても例外ではなく、同じ思いなのではないだろうか。

    一人の人の人生も、アウシュビッツ(ポーランド語でオシフィエンチム)のような出来事も本当に理解するには「とき」が必要だと思った。「とき」とは、ただ単に流れる時間ではなく、誠実さを伴った営みである。ドイツの哲人政治家ヴァイツゼッカーの言葉を借りれば、「erinnerung」=心に刻む(「荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領演説全文より」)ということになる。

  • 2010/04/16

    最初、どうして主人公は面会をしなかったのだろうと疑問が沸きましたが、
    しばらく観ているうちになんとなく分かったような気がしました。

    以下は私なりの解釈ですが、
    おそらくハンナは他の被告人とは違って
    あまりに自分自身に対して誠実であったがために、
    アウシュビッツが人々にもたらした不幸の十字架の責任の一端を背負う必要性を
    ずっと心のうちにしまいこんで、戦後も生活を送ってきたのではないでしょうか。

    そんな自分が安穏と暮らしていることに無意識のうちに違和感を感じていたから、
    ある種恋愛不能な状態に陥っていた彼女は
    純粋な少年であるミヒャエルとの繋がりを求めたのかもしれません。

    ミヒャエルはそこまで考えハンナを理解したからこそ、
    苦くも彼女の選択を尊重するという行動を取ったのではないでしょうか、と。


    最後に、獄中の彼女へ送ったテープレコーダーのシーンでは、
    ミヒャエルの深い愛を感じてじんときました。

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