バルタザールどこへ行く [DVD]

監督 : ロベール・ブレッソン 
出演 : アンヌ・ヴィアゼムスキー  ヴァルテル・グリーン  フランソワ・ラファルジュ  ジャン=クロード・ギルベール 
  • 紀伊國屋書店
3.65
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感想 : 11
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  • / ISBN・EAN: 4523215036801

感想・レビュー・書評

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  • 白黒であり、少ないセリフながら映像で十分魅せる映画でした。
    言葉による説明や音楽も最低限に抑えて淡々と進むストーリー。
    決定的な部分は見せない所に独自の演出を感じる。

    ロバの一生も、人の一生も共に苦労と不条理の連続だ。
    何も語らないバルタザールが体現する生が
    人間を上回る説得力を持つ。
    結婚は時代遅れと語るヒロイン。この時代ですでに・・・!

    現在の映画がどれだけのもので着飾っている、
    纏っているのかを感じずにはいられない。
    この静けさと荒さに新鮮さを感じました。

  • ロバを通じての人間模様、ロバの目が語る。

  • ロバ、バルタザールの一生と共に描かれる、少女マリーの一生でもある。
    マリーはジャックと恋をするがマリーの父は裁判に負け借金しているが人に屈することができず孤独であり続ける。
    マリーは村の問題児のリーダーであるジュビエールに手篭めにされ、彼を愛するも彼の悪は止まず…バルタザールは居場所を転々としながら鞭を打たれ、殴られ、売られ、殺されかける。
    しかしマリーの元に戻ったのもつかの間、マリーはジュビエール達に悪戯され命を絶つ。マリーの父も死に、ジュビエール達はマリーの荷物とバルタザールを盗んで国境を越えようとして税関に撃たれる。バルタザールも脚を撃たれ、たどり着いた牧草地で最期を迎えるのだった。

    バルタザールがかわいくも可哀想で、マリーもバルタザールより幸せな人生かって言われたらわからない、その父も、1人残された母も。物悲しくもロバの一生を描くという斬新な映画でした。

  • ロバのバルタザールと、それを取り巻く人間模様。

    ロバの子供を初めて見たが、とにかくかわいい。ロバは成体でも顔や体躯がつまった感じだが、それがより一層つまっている。顔は馬より人間的。

    制作が1966年、舞台はピレネーの小村らしい。自動車もあるがバルタザールは畑を鋤いたり荷物を運んだり、鞭うたれたり。最後羊の群れの中に1人?入ってい行く様がとても悲しい。


    1966フランス、スウェーデン
    2018.9.19BSプレミアム

  • 校長(マリーの父)がどういう嫌疑を掛けられたとか、浮浪者の処遇が釈然としない。
    誰かのブログでストーリー展開は重要ではないとあったが、映像で見せるから作品だからこそ、ストーリーはもっと単純でも良かったと思う。

    またもっとお涙頂戴もののメロドラマチックになったとしても、マリーとバルタザールが心を通わせるシーンが欲しかった(特にマリーの心が乱れて以降、二人が目と目を合わせるシーンもなかったような…)。

    最初にマリーの家に逃げ込むシーンと、最後の銃弾に倒れるシーンには号泣。
    バルタザールの演技(つぶらな瞳)だけなら★5だし、もっとバルタザール目線でのカメラワークでも良かったのかな…

    追伸
    鑑賞後、様々な解説を読んで、やはりもう何度か観てみたい、奥の深い作品なり。

  • 人間の罪悪を冷徹に見つめるロベール・ブレッソン監督が、無垢なロバを写し鏡に人間の醜さを炙り出す。
    ヴェネチア国際映画祭で審査員特別表彰など3部門受賞。
    人間関係とか、分かりにくいし
    よく分かんない系
    好みでないなぁ。

  • 販売終了している作品な故にアマゾンでもプレミア価格。定価の2倍以上の価格で中古を購入。普段100円とかで映画を観れる環境にあって、高いお金を出して、市場価値を失った名作を見る喜び。映像特典より引用。

    映画評論家ドナルド・リチー「(主演のアンヌ・ヴィアゼムスキーに)あの見事な演技をどう作ったのか聞いた。彼女は微笑み答えた。『私は作っていないわ。立ってただけ』と。ブレッソンは何も指示しなかった。彼女の中にすでに存在するものをカメラを使って映し出そうとしたんだ。エックス線写真のように人の正体を見抜く目を持っていた。彼は演者を人間そのものとして使った。無名の人々を使い、俳優ではなくモデルと呼んでいた。演者に何度も同じことをさせて、その人の本来の個性が削ぎ落とされるのを待った」

    以下脚本をリバース・エンジニアリング。

    〇穀物商の家・玄関・中(夜)
      雨に濡れたマリーが穀物商の家に入る。
    マリー「優しいのね。お礼にキスするわ」
    穀物商「来なさい」

    〇穀物商の家・居間(夜)
    穀物商「服を乾かそう」
       マリー、服を脱いで穀物商に渡す。
       マリーは布を体に巻く。
    穀物商「見られたか?」
    マリ―「誰にも」
      穀物商、マリーの服をストーブで乾かす。
    マリー「汚い家ね。死ぬにはもってこいね」
    穀物商「死ぬだと?」
    マリ―「誰だって死ぬでしょ」
    穀物商「わしは死は嫌いだ。金は好きだが」
    マリ―「あなたも死ぬわ」
    穀物商「長生きするつもりだ」
    マリ―「年寄りね」
    穀物商「まだ若い」
    マリ―「醜いわ」
       マリー、棚からジャムを取り出そうとする。
       穀物商、阻止する。
    マリ―「ケチね。腹ペコなのよ」
       マリー、ジャムをスプーンですくって舐め始める。
       穀物商、マリーの肩に触る。
       マリー、穀物商の手を叩く。
    マリ―「靴にお金を隠してるの? 噂よ」
       穀物商、奥の部屋から札束を持ってきてテーブルに置く。
    穀物商「あげるよ」
       マリー、ジャムをなめた後、札束を取る。
       穀物商、マリーの手を引く。
       マリーは穀物商の膝の上に座る。
    マリ―「金持ちなのに電気がない。私たちは家も庭もなくしたわ。裁判に負けたの」
    穀物商「名誉を重んじた結果だ。君のお父さんは義務感が強い。それでも町の人から疑われている。わしは自由だ。自分に有益なものを大切にしてきた。だからこんな財産が築けた。人生は市場だ。そこに言葉はいらない。金が全てだ。金を払えば義務さえ免れる。ただで働かせたいが、そうはいかない。金さえあれば敬意だって得られる。それが人生だ」
       マリ―、札束をテーブルの上に置く。
    マリ―「いらない。お金よりも友達よ」
    穀物商「そうだな」
       穀物商、胸に札束を入れる。
    マリ―「逃げるための情報も友達ならくれる」
    穀物商「逃げる?」
    マリ―「そう。快楽も苦痛も分かち合いたいの」
    穀物商「苦痛よりは快楽を分かち合いたいものだ」
       穀物商、マリーを抱き寄せる。
       場面かわり、マリー、上着のボタンをしめる。
       マリーが逃げる。
       その様子を見つめるロバのバルタザール。

    〇公園
       ベンチにマリーとジャックが座っている。
    マリ―「わずかの間に何もかも奪われた」
    ジャック「僕が償うよ」
    マリ―「どうやって?」
    ジャック「裁判で失った金を返す」
    マリ―「パパは受け取らないわ。自尊心が許さないのよ」
    ジャック「マリー」
    マリ―「あなたの夢を見たいわ。私を迎えにきて言うの。『君のせいじゃない』」
    ジャック「そのとおりだ」
    マリ―「目覚めたくなかったわ」
       バルタザール、草を食べている。
    マリ―「それでも、私と結婚する?」
    ジャック「ああ」
    マリ―「後悔するわ」
    ジャック「しないよ」
    マリ―「後で責めない?」
    ジャック「責めないよ」
    マリ―「一生のことよ」
    ジャック「ああ」
    マリ―「でも結婚は時代遅れよ」
    ジャック「結婚したら今の倍働くよ」
    マリ―「(立ち上がって)うんざりね」
    ジャック「(マリ―の手を引き座らせて)怒らないで」
    マリ―「あなたは私たちの思い出を見ている。私には見えない。私は何事にも無感動なの。あなたの言葉にも。私たちの愛の誓いは想像世界のことよ。現実は、現実は違うの」
      マリー、立ち去る。

  • 白い手がロバの体毛をなでながら、のていく。モノクロの、この冒頭シーンだけで、傑作を予感するのに充分である。

    バルタザールのまなざしは変わらない。感情が出ない分、冷ややかなのか、怒っているのか、想像させられる。それは、抑制がきいた演出ゆえである。

    カランカランという鈴の音はもちろん、バルタザールの、どこか肩を落として歩く後ろ姿が、切ない。そして、銃撃を受け、羊たちに囲まれてパタンと足を閉じ、力尽きる。その何も語らない姿は、人間の愚かさへの究極の皮肉でもある。

    【ストーリー】
     ピレネーの、ある農場の息子ジャック(W・グレェン)と、教師の娘マリー(A・ヴィアゼムスキー)は、1匹の生れたばかりのロバを拾って来て、バルタザールと名付けた。それから10年の歳月が流れ、いまや牧場を任されている教師とマリーのもとへ、バルタザールがやって来た。久しぶりの再会に喜んだマリーは、その日からバルタザールに夢中になってしまった。
     
     これに嫉妬したパン屋の息子ジェラール(F・ラフアルジュ)を長とする、不良グループは、ことあるごとに、バルタザールに残酷な仕打ちを加えるのだった。

     その頃、マリーの父親と牧場王との間に訴訟問題がもち上り、10年ぶりにジャックが戻って来た。しかし、マリーの心は、ジャックから離れていた。訴訟はこじれ、バルタザールはジェラールの家へ譲渡された。バルタザールの身を案じて訪れて来たマリーは、ジェラールに誘惑されてしまう。その現場をバルタザールはじっとみつめていた。
     
     その日から、マリーは彼等の仲間に入り、バルタザールから遠のいて行った。もめていた訴訟に、マリーの父親は敗れたが、ジャックは問題の善処を約束し、マリーに求婚した。心動かされたマリーは、すぐにジェラールたちに話をつけに行ったが、仲間4人に暴行されてしまう。その日から、マリーの姿は村から消え、父親は落胆のあまり、死んでしまった。
     
     一方、バルタザールは、ジェラールの密輸の手仕いをさせられていた。しかし、ピレネー山中で税関員にみつかりバルタザールは逃げおくれ、数発の弾丸をうけてしまう。翌湖、ピレネーの山かげを朝日が染めるころ、心やさしい羊の群の中に身を横たえ、バルタザールは静かに息をひきとった。
     
    バルタザールと名付けられた1匹のロバを主人公に、人間の本能と罪悪を追求した。監督・脚本・脚色・台詞は「ジャンヌ・ダルク裁判」のロベール・ブレッソン。撮影はギスラン・クロケ、美術はピエール・シャルボニエがそれぞれ担当。音楽はフランツ・シューベルト、ジャン・ヴィーネ。
    出演者は、ブレッソン作品の例にもれず、すべて素人で、「中国女」のアンヌ・ヴィアゼムスキーはこの作品でデビュー。他にフランソワ・ラファルジュ、フィリップ・アスラン、ナタリー・ジョワィヨー、ヴァルテル・グレェン。1966年ベネチア映画祭審査員特別賞受賞。

  • 動物映画は、そもそもあまり得意でない。
    とりわけお涙頂戴に徹する類は、どうも受け付けない。

    しかし、先日観た「戦火の馬」は動物を撮ってはいるものの、そこに嫌らしい演出はあまり感じられず、むしろ馬の躍動美がスクリーン一杯に映し出されていたことに目を見張った。

    すると、知り合いから、この「バルタザールどこへ行く」を紹介された。
    「戦火の馬」はこの映画にインスパイアされているに違いない、ともことだった。

    実際観てみると、その構成といい動物を中心に進む点といい、大変よく似ている。
    馬の疾走感のすがすがしさとスピード感もよかったが、ロバの瞳の語りははるかに馬を超えていた。
    また、構成自体も「バルタザール」の方が圧倒的によく練られていた。

    ラストシーンのキリスト教的な映像もかなり良い。

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著者プロフィール

(Robert Bresson)
1901年、ピュイ゠ド゠ドーム県ブロモン゠ラモットに生まれる。画家として活動を始めるも映画監督へ転身。1934年に短編『公共問題』を監督。第二次世界大戦に従軍し捕虜となった後、1943年に『罪の天使たち』で長編デビュー。『ブローニュの森の貴婦人たち』(1945年)を経て、3作目となる『田舎司祭の日記』(1951年)以降、徐々に職業俳優を排除し、「モデル」と呼ばれる素人を起用、他の諸芸術に依存しない自律した芸術としての「シネマトグラフ」を探求していった。『抵抗』(1956年)、『スリ』(1959年)、『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962年)、『バルタザールどこへ行く』(1966年)、『少女ムシェット』(1967年)、『やさしい女』(1969年)、『白夜』(1972年)、『湖のランスロ』(1974年)、『たぶん悪魔が』(1977年)を監督。1983年の『ラルジャン』が遺作となった。著書に『シネマトグラフ覚書―映画監督のノート』(松浦寿輝訳、筑摩書房、1987年)がある。1999年、パリにて死去。

「2019年 『彼自身によるロベール・ブレッソン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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