母なる証明 スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

監督 : ポン・ジュノ 
出演 : キム・ヘジャ  ウォンビン  チン・グ  ユン・ジェムン  チョン・ミソン 
  • Happinet(SB)(D) (2011年10月17日発売)
3.86
  • (109)
  • (158)
  • (89)
  • (23)
  • (9)
本棚登録 : 728
感想 : 163
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4907953028388

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 【ストーリー】 (Amazonより)
    漢方薬店で働きながら一人息子のトジュン(ウォンビン)を育て上げた母(キム・ヘジャ)。二人は貧しいながらも、母ひとり子ひとりで懸命に生きてきた。息子は、内気だが朗らかな純粋な青年であった。ある日、二人が住む静かな街で凄惨な殺人事件が起きる。一人の女子高生が無惨な姿で発見されたのだ。事件の第一容疑者として、トジュンの身柄が拘束された。彼の無実を証明するものは何もない中、事件の解決を急ぎ警察は形ばかりの捜査を行い、トジュンの逮捕に踏み切ろうと画策する。一方、弁護人はやる気もなく、有罪判決は避けられないように見えた。無実を信じる母親はついに自ら立ち上がり、息子の疑惑を晴らすため、たった一人で真犯人を追って走り出す。





    観る前は感動モノかと思っていたけど 観終わってみたらなんだかゾワゾワしてきました。
    息子思いのお母さんかと思いきや 過干渉すぎて怖いです。けれどトジュンはちょっと知的障害があるのかな...?過干渉はだからなのか...?
    ラストのシーンはお母さん、壊れちゃったのかと思えるほど...それほどお母さんにとっては衝撃的な真実だったのだと思います。私もまさか...と思ってしまいました。やられた感が...

  • 息子の冤罪を証明出来るのかという重たいテーマかなと思ったけどそこはさすが韓国映画、喜劇要素もあり。よく作られてるなあ、面白かったです。

  • 緊張感を帯びたオープニング。寂寥とした荒野にゆらゆらと現れ、突如舞い踊る一人の女。狂気を帯びた悲しげな表情が物語を奈落へと突き進ませる。

    だれもが顔見知りのような小さな村で女子高生殺人が起こり、知的障害を抱えた愛息トジュンが犯人に仕立てられてしまう。
    「あの子に人殺しなんてできるわけない」ここから彼を溺愛する母親の、事件究明に向けた奔走がはじまり、その村に潜む腐敗や若者達の実態が明らかになってゆく。

    知的障害者にまつわる「純粋無垢たるべし」なる偏見、母なるものの「わが子へのかけがえのない愛」という誤謬。そうした我々の危うい倫理の見方を逆手に取った怪作である。彼は何も記憶がなく、言われるがままに犯罪者となったのか。この母と子の間にはたして何があったのか。

    韓国の母とも称される大女優キム・ヘジャの怪物ぶりが最後の最後まで際立つ。

  • 凄絶な女子高生殺人事件の容疑者となってしまった息子の無実を証明するために 、母親が狂気的に真犯人を探す。

    登場人物それぞれの背景や生い立ちについての説明がないまま進むが、主人公は貧しい母子家庭であり、息子には少し知的に問題がありそうで、母親はどこか偏愛的であることは想像に難くなく、その説明のなさが、かえって、物語の余白を見る側に想像させる。

    母親が無条件に子どもを守ろうとするのは女性”性”のなせる本能だが、本作の母親はそれだけではなく、息子への贖罪や自身の存在意義や、あるいは懸命な記憶の改ざんや、様々な個人的要素を内包しており、それらが渾然一体となって、常軌を逸した行動へ駆り立てる。

    後半、時々挟まれてきた、よく分からない映像が全て見事に回収されながら、怒涛の展開を見せる。息子とは違う「彼」に面会し泣き崩れるシーンが秀逸。母親の息子への躾が因果応報的にきいてくるあたりは無情。

  • あまり好きなタイプの映画ではなかったが、ポン・ジュノの描く映像美と、「バカ」という言葉や鍼や殺された少女の鼻血等の随所に散りばめれた暗号のようなディテールに拘った演出には流石だと感じた。勿論キム・ヘジャの貫禄ある演技とウォンビンのバカ面白痴演技の素晴らしさが前提の演出であることは言うまでもない。

  • 母なる証明 2009
    MOTHER
    映画サスペンスミステリードラマ
    韓国 Color 129分
    初公開日: 2009/10/31 公開情報:ビターズ・エンド 映倫:PG12

    監督:ポン・ジュノ  出演:キム・ヘジャ | ウォンビン | チン・グ ...more

    知人からあらすじをきいていたにもかかわらず、手に汗を握る展開。
    そして衝撃の結末。誰もが顔を知っているような地方の話というのが、一層社会から隔絶された絶望感を煽る。社会的弱者がさらに弱者を貶める姿を誰も見ようとしないのが現実なのか。

  • *母心、子知らず&子心、母知らず*

    お母さんは好きだけど僕を殺そうとしたんだよね。
    でも、お母さん、これを置き忘れちゃ駄目だよ。

    庇って、庇って、庇って・・・子供に真実を突き付けられる。

    やり切れないから踊ってしまうのも頷ける。

    「オールドボーイ」もよかったけど本作も面白かった。

    神経衰弱的作品って面白いですね、大好き!

    忘れられない作品となりました。

  • “絆”って、その由来から好きな言葉ではないのだけれど、意味が正しく使われているなと思いました。これは“絆”。
    「息子の無実を晴らす為に、真犯人探しに奔走する母親の強い愛」と下手したら良い感動作になりそうなのに…流石です。ポン・ジュノ監督作品は筋が読める良い話展開になどならない。愛憎だ。。

    真犯人探しに奔走する前半も危うくて心配しました。
    後半の、息子さんが「5歳の頃を思い出した」って言ってから母親の凄味が一段と深まって圧倒されました。ウォンビンさんそんなに??って思ってたけどやっぱり凄い。このシーンゾッとした。
    母親役のキム・ヘジャさんは圧巻です。覚悟決めたり呆然としたり。真犯人とされた子と面会したときも…『殺人の追憶』にもあったけど、韓国の警察は身寄りのない障害者を犯人にするとか、想像ではなかなか思い付かないと思うから本当にやってたんじゃないかと勘繰ってしまいます。
    チョン・ミソンさん出演されてました。写真屋さんのこの真顔は拝見したことある…と思ってたら。。

    息子さんが出所してからも、母親は(よく考えたら息子さんも)全く嬉しそうじゃないし、バスターミナルでも。息子さんはいつ鮮明になるかわからないから一生気が抜けない……鍼打って忘却して踊っても母の心は救われはしない。
    壮絶です。


    “絆”って「ほだし」の方だよなぁ…漢字一緒だし。情に絆されるのよ。つらい。


    ジョンパル役のかた、『チョコレートドーナツ』のマルコ役のかたと同じで見るからにダウン症。この映画はワンシーンだけれど重みがありました。

  • 極私的ポン・ジュノ映画祭も後半にさしかかっているが、たぶん作家性の極北というか到達点なのだと思う。
    2006年の「グエムル」、2013年の「スノーピアサー」という娯楽作の間にある、2009年本作は、2003年「殺人の追憶」や初期作の総決算であり、その後「オクジャ」や「パラサイト」につながっていく結節点にも、なる。
    どこからどう見てもポン・ジュノらしい、オフビートかつサスペンスかつスリラーかつ韓国家族ものかつ映像的シニカルさ。
    すべてのジャンルを網羅しつつジャンルから逃れていこうとする作風?……脱ジャンル?……それがポン・ジュノの作風?
    話を単純に見れば、いわゆる人怖、田舎のマジックミラーな感じ(こちらからは見えない、世間からは執拗に見られている)、非都市部の田舎なのに人々(特に若者)の感性は都市部と地続き(若者は先取りしているという世代間格差)で、デタッチメントに針が振れている感じ。
    画を単純に見れば、草原、田舎というかほぼ郊外の町並み、倦んだ日常が続いていく感じ。
    ……やはり黒沢清が連想されて仕方ない。サイコスリラーとしても、廃墟感覚としても、ウォンビン≒萩原聖人、と結び付けたいくらいの存在感も。

    とある人に、あなたがポン・ジュノを見るなら一番好きだと思うよと勧められて見てみたが、果たしてこれが一番好きかどうかわからないし、そう言われた裏の意図もわからないし、ポン・ジュノ作中でいいのか悪いのかもわからない。
    ポン・ジュノはおそらくカメラ内に何をどれくらいの割合で収めればこういう効果が現れる、と計算しつくしているはずだが、視聴者としては、ただひたすら「顔の映画」だったな、という感想。あの人やあの人やあの人の顔。ときどき、携帯をパカパカしたり、踊ったり。
    鑑賞後一週間おいて感想を書いているにもかかわらず消化できていない、胃に落ちず喉の少し下あたりに引っかかって、ただひたすら反芻しつづけている、いいんだか厭なんだかとにかく強烈な映画。
    踊るしかない。
    「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」(閑吟集)

    追記。母の性について言及されると、人はそもそも思考が止まるように設計されているのではないか。
    そこを炙り出すように、視聴者の感想や批評をあらかじめキャンセルするために、作中に母の性が陰に陽に組み込まれているのではないか。
    さらに考えを進めれば、「知的障害者たるもの純粋無垢たるべし」という偏見とも重なってくる。
    母とセックス、障害者と悪意・犯罪、それぞれ重ね合わせて考えたくない事柄を、さらに二重に重ねて描いているからこそ、見ても「よくわからない」と感想を放棄してしまうような作りに、あえてされているのではないか。

    表面的な人情モノはもう時間の無駄だが、悪を自覚した人情モノは人の業を肯定にせよ否定にせよ認めているものだから、射程が広い。

  • とある静かな町。漢方薬店で働く母(キム・ヘジャ)は、一人息子のトジュン(ウォンビン)と2人暮らし。純粋無垢なトジュンの存在は、この上ない彼女の幸せだった。
    ある日、トジュンが猛スピードの車にはねられる。幸い軽傷で済んだトジュンは、友人のジンテとともに逃げた車を追いかけ、乗っていた男たちを襲う。警察署。トジュン、ジンテ、車の男たちが捕まり、絞られていた。
    迎えに来た母は、息子を心配し、ジンテとは付き合わないように忠告する。
    ある日、ジンテに待ち合わせをすっぽかされたトジュンが酔って歩いていると、1人の女子高生に出会う。声を掛けるトジュンだったが、返事の代わりに石が飛んでくるのだった。
    翌朝。ビルの屋上でその女子高生の無残な遺体が発見される。数年ぶりの殺人事件にいきり立つ警察は、大規模な捜査を展開。
    数日後、トジュンが名前を書いたゴルフボールが現場に落ちていたことから、容疑者として逮捕されてしまう。
    必死に弁明するトジュンだったが、早期解決を狙う警察によって、犯人にされてしまう。
    母も息子の無実を警察に訴えるが、全く相手にされない。やむなく母は、自分で真相を突き止めることを決意。
    まず疑ったのは、事件当夜トジュンが会い損ねたジンテ。トジュンのゴルフボールの件は彼も知っていたからだ。ジンテの留守宅に忍び込み、怪しいゴルフクラブを警察に届ける。
    だが、それは凶器ではなく、却ってジンテとの関係を悪化させてしまう。
    だが、ジンテとの会話で事件についての疑問が生じる。
    死体を隠すなら埋めるのが普通だが、女子高生の遺体は、これ見よがしに屋上に置かれていた。
    しかも、彼女には以前から色々な噂があった。彼女を調べる必要があるのではないか?
    土砂降りの雨の中、遺体発見現場へ走り出す母。
    そこは町中が一望でき、遺体を隠すには目立ちすぎる場所だった。息子を救うべく、母は1人で走り出す……。
    母のいつまでも自分を子供扱いする粘着質な愛を疎ましいと内心思う知的障害者のトジュンとトジュンとのある出来事から粘着質で盲目的な愛を注ぐ母の歪な母子密着関係、トジュンの殺人の汚名をはらすために取り調べしている警察官に直談判したりトジュンとつるんでいるチンピラのジンテに罪を被せようとしたりだんだん常軌を逸していくトジュンの母の真犯人探しとだんだん明らかになる女子学生殺人事件の援助交際などが絡んだ凄絶な真相、トジュンを連れた警察官が殺人現場の検証シーンなどのぐだぐだしたユーモラスなシーン、クライマックスに明らかになる凄絶な真相と驚愕の展開、イケメンオーラを消して役になりきるウォンビンの熱演や息子に対する盲目的な愛のあまり暴走する母を演じるキム・ヘジャの熱演が印象的な傑作サスペンス映画です。

全163件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1969年生まれ。映画監督。2019年『パラサイト 半地下の家族』がカンヌ国際映画祭でパルム・ドール、アカデミー賞で作品賞を含む4部門受賞。監督作品に『ほえる犬は噛まない』『母なる証明』ほか。

「2021年 『ポン・ジュノ映画術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×