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- / ISBN・EAN: 4532318403373
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『カティンの森』[Katyń] (2007)ポーランド
“1939年8月23日、ドイツとソ連は極秘裏にポーランド分割占領を含む不可侵条約を結び、9月1日ドイツが17日にはソ連までもがポーランドに侵攻。
ポーランド南部の都市クラクフから、アンナが娘のニカを伴い第八槍騎兵連隊所属の夫アンジェイ大尉の安否を気遣い駐屯地のポーランド東部に探しにきていた。
ブク川でソ連赤軍に追われクラクフへ向かう大将夫人ルジャに出会い、クラクフに戻るように忠告を受けるが聞き入れなかった。
教会が野戦病院になっていると聞きつけ、教会でさらに駅にいると聞きつけたアンナが駅に向かうと、偶然ソ連へ連行される直前のポーランド軍将校たちの中から、夫のアンジェイ、夫の友人イェジに出会うことができた。
アンナはアンジェイに逃亡を勧めるが、アンジェイは軍への忠誠のためそれを断り、他の将校と共に捕虜としてアンナと追っかけてきたニカの目の前でソ連赤軍に列車に乗せられ移送されてしまう。
ソ連赤軍は、将校だけを捕らえ兵士は帰郷させたことに疑問を持ったアンジェイは、これから起こることをすべて日記に残しておこうと心に決めるのだった…”
“カティンの森事件”
第2次世界大戦中にソ連国内スモレンスク西方20kmに位置するグニェズドヴォ近郊の森で約4400人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連赤軍の挟撃によって、ポーランド全土は占領下に置かれた。政府はロンドンへ脱出し、ポーランド亡命政府を結成した。武装解除されたポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、ソ連赤軍に降伏した将官12人、将校8,000人をふくむ230,672人の将兵はコジェルスク、スタロビエルスク、オスタシュコフの3つの強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。
1940年の春から夏にかけて、NKVDの担当者からポーランド人捕虜に対し、“帰国が許されるのでこれより西へ向かう”という説明が行われそのまま行方不明に。
独ソ戦の勃発後、ナチス・ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際、スモレンスクの近郊にある村グニェズドヴォでは1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂をききつけ、1943年2月27日、ドイツ軍の中央軍集団の将校はカティン近くの森“山羊ヶ丘”でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。
監督アンジェイ・ワイダの父親がポーランド軍大尉で同事件の犠牲者であることもあって、渾身の出来栄えになっている。監督デビュー間もない1950年代半ばに事件の真相を知り、映画化を熱望した物の語ることすら許されない冷戦下の状況では叶わず、冷戦の終了に伴い徐々に真実が公にされ始めたことから製作に踏み切る。構想に50年、製作に17年かかっていることも頷ける。
これだけの大虐殺でありながら、第二次大戦中は独ソ両軍にプロパガンダに利用され、戦後被害者であるポーランドですら、当時の政権ポーランド統一労働者党の幹部たちはこの事件についてソビエト連邦に遠慮して、真相を究明しようとはしなかった。
1989年になってようやく、ソ連の学者たちはスターリンが虐殺を命令し当時の内務人民委員部長官ベリヤ等が命令書に署名したことを明らかにした。
2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にスモレンスク郊外の慰霊碑に揃って跪き、さらに事件を“正当化できない全体主義による残虐行為”とソ連の責任を認めたものの、謝罪はしなかった。
ここでも、国のために戦った人々が報われていない現実が又一つ明らかに。社会主義は“恐怖”しかなく、資本主義は“堕落”を招く。人が人として自立して以来、繰り返される殺戮、いまだに人類はわけのわからない主義主張を掲げて懲りずに殺戮に励んでる。
人が人らしく生きていける、本当の思想という物はないのだろうか? このままでは、人類は自らの同胞を苦しめ・殺戮することが、人類の存在理由になってしまう。 -
虐殺のシーンは残酷。
時折みられる当時の写真は悲惨。 -
重い。かなり重い。戦争犯罪というテーマだけに考えさせられる部分は多々ある。歴史の中で知らないことは、まだまだたくさんある。遠い国のことだけじゃなく、自分の足下のことも勉強しないといけないと痛感させられた作品でした。
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何がいいとか悪いとかではなく、淡々と色々な人の人生を描く。
戦争に翻弄されるポーランドの人たち。
カティンの森であった事は知っていたけれど詳しく理解はしていなかったし、その後のロシアの対応、ポーランドの行く末も知らなかった。
戦争を生き延びたけれど、ソ連の仕業だと本当の事を言うと生きられない。
最後のシーン…機会的に虐殺をする人々、虐殺される人々…
しばらく立ち上がれない。
こういう事があったと、ポーランド、ソ連、ドイツ以外の人々に知ってもらう事に大きく貢献している映画かと。
それにしても…とんでもない事。
そしてこれって、まだ終わった話ではない。
そして二度とこんな事、許してはいけない。 -
後半の女の人たちの様々な生き方。男の人たちの無念な死。
エンディングの黒。
観終わってから時間が経つほど、ボディブローがきいてきて苦しくなる。 -
衝撃的な出来事を前に、目を釘付けにされることはある。この映画のラストカットは、私たちの心を釘付けにする。まさに、その言葉通りのような意味で、本当に、釘を打ち込まれたように、心が、とまる。
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1939年9月、ポーランドは密約を結んだナチス・ドイツとソ連によって分割占領されてしまう。ソ連側では多くのポーランド人将校が捕虜となり収容所へと送られた。その中にはアンナの夫アンジェイやその友人イェジも含まれていた。一方、ソ連領に取り残されていたアンナと娘ニカは、1940年春にようやく国境越えに成功、アンジェイの両親のもとへと戻る。しかし、そこに義父の姿はなかった。彼はドイツ軍に逮捕され、収容所で命を落としてしまう。アンナは義母と娘と3人でアンジェイの帰りを待ち続ける。そんな中、1943年4月、ドイツ軍はソ連領のカティンで多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表する。その犠牲者リストにアンジェイの名前がなかったことに望みを託し、ひたすら帰りを待ち続けるアンナだったが…。
この悲劇を話すことさえタブーだったのが自らの父も犠牲者だという監督によって生み出された作品。そこには様々な人間ドラマが盛り込まれています。見終わって感じたのが救いようのない虚無感です。最後のほうのシーンではソ連兵が機械的に一人ずつを縛って拳銃で頭を打ちぬいて深く掘った穴に埋めていくという残虐行為が流れていました。そこにはソ連兵の無機質な人間を描いており一言も言葉を発せずに淡々と業務をこなしている姿があり、戦争は人間を本当におかしくするんだと感じます。
この映画を見るまでこの話をしらなかったのでいいきっかけにはなりました。