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- / ISBN・EAN: 4988135804884
感想・レビュー・書評
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「ちょっとイっちゃってる人」
俳優さんって観察力が凄いから出来るんだと思うけど、ホント怖いくらいですよね。「12モンキーズ」のブラッド・ピッ...「ちょっとイっちゃってる人」
俳優さんって観察力が凄いから出来るんだと思うけど、ホント怖いくらいですよね。「12モンキーズ」のブラッド・ピットや「レオン」のゲイリー・オールドマンもゾクゾクしました。
この話を映画化する際にフォアマンが、演出意図をどんな風に話したのかが気になります。。。2012/10/23 -
nyancomaruさん>こちらもコメント有難うございます。「レオン」のゲイリー・オールドマンさんについてはとても同意しますw「12モンキー...nyancomaruさん>こちらもコメント有難うございます。「レオン」のゲイリー・オールドマンさんについてはとても同意しますw「12モンキーズ」は中学か小学校の時に映画館で観たきりで、当時は全然分かってなかったw今度DVDでチェックしてみます★ありがとうございます。2012/10/23
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追記
それから「ダークナイト」のヒース・レジャー(奇しくもジャック・ニコルソンと同じジョーカー役)。鬼気迫るものがありました!追記
それから「ダークナイト」のヒース・レジャー(奇しくもジャック・ニコルソンと同じジョーカー役)。鬼気迫るものがありました!2012/10/31
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名作として名高い1本ですので
前々から見ようと思いつつ、今頃になってしまいましたが
内容は殆ど知らぬまま・・ただ「精神病院から脱走をしようとするも」程度のことしか把握せずに見始めました。
最初はジャックニコルソン演じる主人公の人間性に感情移入できず、
どの視点で見て良いのか戸惑いました。
次第に、はちゃめちゃながらも「いいヤツ」な主人公を応援する気持ちになるのですが
精神病患者への接し方は果たして何が正解なのか分かりませんから
冷酷で不条理に見える婦長も、「実はいいヤツ」なのかなあと思いつつ・・
結局は、「やっぱり酷い人」ってことで良かったんでしょうか。
ラスト、やけに愛想良くニコニコしていたのは
主人公に、溜飲が下がる処置が下されたから、なのでしょうか。
ラストまで見て、「ああそう言えばロボトミー手術と言えばこの映画が話題になる」と思い出しました。
精神病とは診断がつかない、と言われている患者に対して
刑罰の様に行われる電気ショック治療、そしてロボトミー手術。
「当時の恐ろしさ」を表すための映画だとしたら、本当に効果絶大です。
それまでの愉快だったり痛快だったりするシーンとの対比がスゴイ。
この映画における、ネイティブアメリカンのチーフ的存在に、とても弱いです。
例えば、「ゆりかごを揺らす手」の、ソロモンみたいな。
チーフに幸あれと願わずにいられませんでした。 -
★★★★★ずーっと見たつもりでいた映画。
簡潔に振り返るために、私が捉えたキーになる視点を3つ掲げます。
①あの精神病院は、鍵がないから本来自由に外にでらる(婦長は、「患者の多くが自ら望んでそこに留まることを望んでいる」と言っていたが、そうさせられた痕跡も見られる。)
②主人公のジャック・ニコルソンの振る舞いは、あの一見穏やかに見える婦長にコントロールされた人々の閉じ込められた世界観が、窮屈でならなかったことに起因している。
③ラストシーン、重たい水道設備を持ち上げて病院からの脱走を試みた大柄な、(インディアンの末裔の男)が、映画の中程で.主人公のジャック・ニコルソンがお前は大きいなぁといったのに対して言った「あんたこそ本当に内側に大きなものをもった男だ」と言うシーン。
おそらく、監督は”我々の社会もこの病院と同じようになにかコントロールされている”がそれに気がついている人は少なく、鍵もないし、囲いもない、それどころか、食べるものも、稼ぐことも自由な社会に生きていると思っている(思わされている)
でも、人生という自分の生き甲斐なるものを、追求することを放棄させられた不自由な社会を自分たちが、作り上げ、それに奔走している姿を”病院の中の穏やかな日常'として描いている。
・婦長は =(自分の都合の良い世界を造ることに取り憑かれた)為政者 ・病院の患者たち=(危うい)価値観に陥る宿命を持つ人類 ・ジャック・ニコルソン=(歴史上)時々、所々で現れるリーダー
こんなことを、この精神病院を舞台にして描いていたのではないだろうか? -
私ずっとインディアンは嘘つかないと思ってた。やばい。
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精神病棟(英語でカッコーの巣、と表現するらしい)を舞台にした映画。
売春罪で刑に服すことを避けるために精神疾患があると偽って、主人公マクマーフィは入院してくる。
カッコーの巣には完全異質な存在として入ってきた主人公だが、
そこにはもう一人精神疾患を偽る大男、チーフがいた。
病気を偽り、大酒飲みだし、女遊びはする。
とても聖人から程遠い生き様を見せるマクマーフィだが、
何よりも面倒見がよく、自由への貪欲な渇望心が誰よりも強い。
精神病棟という閉じた世界の仲間達は、当然彼に影響され、
現状に疑問を持ち、自らを省み、問うことを始める。
思考の機会を奪ったのは、治療者だったのかもしれない。
それはこの映画のラストシーンを見て確信に変わった。 -
ヒューマン系は薄暗くて観るのをためらってしまうんですけど、一度観ると続きが気になってしまうほど面白いかったです。
アメリカは今でも”看護婦長ラチェット”のままなんでしょうか? -
二度、三度目と見るたびに感動の増す映画。
エゴvs社会適応、自由vs義務と責任、無謀と勇気。1975年という時代を象徴する、アメリカ中心の正義vsそうでない価値観。そしてそれは、35年過ぎてなお色褪せない、むしろ更に重みをまして迫ってくるテーマ。深い。。。
「"人間らしく"生きる」ってどいうことなんだろう?
映画を観ている間、時に無性に嬉しくなり、時に眉間に深く皺が寄り、登場人物のセリフや行い、表情のひとつひとつに、心揺さぶられ、目頭が熱くなるのは何故?
誰もが、外側にみせている理想の自分と、人には見せない自分と、二つの自分、あるいはそれ以上の人格を抱えて生きているからでは?
この映画に出てくる人々は、もしかして自分かもしれない?
皆に観てほしい、とは言いません。ただ、あなたが、日々の生活に息詰まる瞬間ががあったときに、観てね(^_-)-☆
ラストシーン、鳥肌たち、心震えます。