ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ [DVD]

監督 : セルジオ・レオーネ 
出演 : ロバート・デ・ニーロ  ジェームズ・ウッズ  ジェニファー・コネリー  エリザベス・マクガヴァン  ジョー・ペシ 
  • ワーナー・ホーム・ビデオ
3.92
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988135804907

感想・レビュー・書評

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  • 「アイリッシュマン」を見たときに、本作が関連作で言及されているのを見たし、いずれクエンティン・タランティーノ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を見るので、復習と予習のつもりで積んで、その長さにびくついていたが、思い切って鑑賞。
    なんでも元は10時間近い素材を6時間に編集して前後編で上映するつもりだったんだとか。そいつぁ無理だ!
    最初の上映に当たっては時間軸順に並べられた(ズタズタにされた)らしい。
    その後ディレクターズカット版(完全版)として229分。←今回見たのはこれ。
    さらに40分足したレストア版、さらに22分追加したエクステンデッド版があるんだとか。
    午前10時の映画祭で流れたのは、ディレクターズカット251分とある……よーわからん。

    前置きとして。
    セルジオ・レオーネは1929生まれ。
    フィルモグラフィーとしては、監督作が8作。うち有名なのは6作。
    といっても下積みが比較的長かった上、1989年で60歳没と短命だった。
    クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタン、1964「荒野の用心棒」、1965「夕陽のガンマン」、1966、「続・夕日のガンマン」を合わせて「ドル箱三部作」というんだとか。
    ハリウッドに呼ばれて、憧れのアメリカを描く、1968「ウエスタン」(のちに、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウェスト)、1971「夕陽のギャングたち」、そして長時間かかって完成させた1984本作を、「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ぶ。
    ほとんどは1960年代後半の10年前後で、跳んで本作、というわけだ。
    ブクログに登録していないが、確か「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」は見たはず。
    前置き以上。

    マフィアがドタドタ踏み込んできて、拷問、女射殺、デ・ニーロ逃亡し、数十年後、ビートルズ「イエスタデイ」がうっすらかかって戻ってきて、と、時間軸や登場人物の錯綜で、実際混乱しそうになる(時系列操作編集したくなる気持ちも、わからないではない)。
    が、老年デ・ニーロがトイレの壁をカパッと開けて、覗き穴へ、その目が潤んで……向こうに美少女がバレエの練習……視線はしかし一方的ではない、コケティッシュに見返されて、慌てて隠れたのは少年、という瞬間に、ああまさにこれぞ映画!! そういえば老年期に時計が小道具になっていた、まさに「失われた時を求めて」が映像になっているのだ!! と大興奮してしまった。
    その驚きを促したのは、少女デボラを演じるジェニファー・コネリー……あのダリオ・アルジェント「フェノミナ」の彼女の、なんと本作がデビュー作なのだと! 今回初めて知った。
    なんでも「ウエスタン」の原案が、なんとダリオ・アルジェント+セルジオ・レオーネ+ベルナルド・ベルトルッチなんだとか。ど、ドリームタッグ……。親交のあったレオーネの現場でジェニファーを見かけて、アルジェントに走ったに違いない電撃を想うだに、……脱線してしまった。
    こういう網の目的感動に捉えられてぐいっと引き込まれたのであって、決して美しいお尻に魅せられたわけではないのだ。

    整理すれば、
    ・1925年。少年期。マンハッタン、ロウアーイーストサイド、ユダヤ系の貧民街。
    ・1933年。8年後の青年期。禁酒法時代。イタリア系マフィアの下働きをする、野良ギャング。
    ・1968年。35年後の現在。ベトナム戦争。
    およそ半世紀弱が描かれる。
    キャストは1925が少年たち→1933でデ・ニーロなど大人に成長(やや8年後というにはやや老けすぎかな)→1968で老人の特殊メイク(35年後というには若々しすぎるかな)、という関係。
    主人公はヌードルズ、ライバルで仲間のマックス、仲間たち、そして憧れのデボラ。

    以上のことが飲み込めれば、時間軸がどれだけ移動しても、困惑することはない。
    時間が移動するときはだいたい、覗き窓、ランプ、時計、など小道具にぐーっと近寄って、離れたら時間が跳んでいる、という法則もある。

    時間が戻ったり進んだりする中で描かれるのは、仲間の顛末、恋の顛末、それだけだ。
    アメリカ禁酒法時代におけるユダヤ系ギャング(イタリア系マフィアほど組織化されていないので、いわば野良)の興隆と没落。暴力と成り上がり。ギャングスター志向と、ボスに仕えるくらいなら降りる、という対立。その中で交わされる、ホモソーシャルな関係性。
    (マックスは実際にホモセクシャルというか、ヌードルスが求めたものしか求めない、ヌードルスと穴兄弟になることでしか女を愛せないという虚無を抱えているように見えたが……夏目漱石「こころ」のKと先生とか。)
    この関係性を、序盤で印象に残った懐中時計を終盤で出すとか……やはりプルーストっぽい。

    ネット上で多くの人が、ペギーというオサセにセックスを持ち掛けるために、パッツィーがケーキを買って部屋を訪れたというのに、階段で待っているあいだに、クリームをひと舐め、ふた舐め、イチゴを食べ、果ては全部食べ尽くしてしまう、出てきたペギーに、なんでもないよというシーンが印象的だと言っている。
    私も同じ。
    ここ、ヌードルスとマックスという本筋とは離れており、視点人物を逸脱した、いわば余剰のカットなのだが、ここで立ち上る、色気よりも食い気の気分が、ノスタルジーをつんつん刺激する。
    フロイトでいえば、学童期の潜在期(プレ性器期)、稲垣足穂が語り続けたあのA感覚的郷愁なのではなかろうか。
    数歳離れたヌードルスは、うまく取り引きしてオサセと念願を果たす。が、100%の満足などない。
    思春期と思春期以前を行ったり来たりする時期なのだ。
    実際見ている側も、この少年期の悪餓鬼どもを、永遠に見ていたい、と思ってしまう……ところへ、唐突な楔が撃ち込まれるのだ。
    パッツィーが銃殺され、ヌードルスは逆上、チンピラのバグジーをナイフで刺す。
    それから8年……というプロットだが、仲間うちで一番幼く一番飛び跳ねていたパッツィーが刺された瞬間に、ヌードルスの時間は止まったのではないだろうか。
    青年期になり、成り上がろうとするかつての相棒マックスに合わせつつも、どこか空虚。
    仲間と睦み合っていたかつてこそが黄金で。

    その気持ちを表すのが、音楽だ。
    舞うデボラを見たときの、牧歌的なアマポーラ(これ、沢田研二が歌っていた)。
    同時に哀切なデボラのテーマ(名作映画のCDで聞いたことがある)。
    パンフルートの「Cockeye's Song」(の出だしは、SFC「ガイア幻想記」の「幻想」を連想。似ているのか、楽器の音色が同じだからなのか)。
    また時間が跳べば、ビートルズのイエスタデイが60年代の象徴として。
    これらが、まあ冗長なくらい繰り返される。この冗長さ、飽きすれすれ、回りくどさ、が叙事詩を思わせる。
    もはや内面も、内面に流れる音楽も、すべて青春への哀悼なのだ。

    とはいえ全然無垢……イノセントじゃない。
    むしろ少年期のころから下卑て野卑で下品で。
    ムショを出て早々に強姦マガイもするし、成長したオサセにまんざらでないし。
    この「育ちの悪さ」が、ロマンチックの裏返しの、タクシー後部座席での強姦になり……世にも陰惨なデートの帰り……運転手にもチップを拒まれ、世界で一番みじめな……いわば憧れの対象を、得られないならと自棄になって引き裂いてしまうし、マックスは成り上がって得たのは虚しさだけ。
    その決着をつける現在、終盤、ゴミ収集車は、いかにも謎解きを投げかけている場面だが、まずは通説どおり素直に受け止めたい。
    ラストのヌードルスの笑顔は、果たして夢オチというか未来視というのか、という議論があるらしいが、作り手がどうとでも読めるように作っている以上、どちらとも取れないが、そのもやもやを抱えたまま、作品を反芻していきたいと思う。
    あえて噛み合わないピースを渡されたパズルのように。
    何でも連想の材料にしてしまうが、本作のラスト、祭りの後の虚しさや街路の静けさ暗さからは、ルキノ・ヴィスコンティ「山猫」や、ミケランジェロ・アントニオーニ「欲望」を思い出した。

    他に連想したものは。
    スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督「スタンド・バイ・ミー」。
    バリー・レヴィンソン監督「スリーパーズ」(そういえばブラッド・ピットだけではなく、ロバート・デ・ニーロも出ていたな)。
    また、クリント・イーストウッド監督「ミスティック・リバー」とか。
    フランシス・フォード・コッポラ「ゴッドファーザー」というよりは、あくまで少年期の悪友の延長のよう。
    もちろんマーティン・スコセッシ「アイリッシュマン」。労働運動とマフィアが関わっていたし、デ・ニーロだけでなくジョー・ペシも。
    「ギャング・オブ・ニューヨーク」。移民の結社という意味で。
    単純にエンニオ・モリコーネの音楽で、ジュゼッペ・トルナトーレ「ニュー・シネマ・パラダイス」を連想するが、少年期ー青年期ー老年期という時間設定においては、無関係ではない。
    町山智浩の映画ムダ話では、キャロル・リード監督「第三の男」におけるオーソン・ウェルズの位置がマックスにそっくりだと言及されていたが……見直す必要がある。

    見てスカッとして忘れるのではなく、見て心の奥の箱にそっと入れておきたい、何かあれば思い出したい、そういう映画。やはり抒情が一番好きなんだな。

  • ハリー・グレイの自伝的小説に感銘を受けたセルジオ・レオーネが、小説を原作に自ら脚本を執筆、10年以上の構想の末にアメリカ資本で製作した、ユダヤ系ギャングの半世紀に及ぶ友情・愛・裏切りをノスタルジックに描く一大叙事詩的大作、たった7本しか監督作のないレオーネの遺作。
    ドル箱三部作を観て、マカロニウエスタン映画のイメージしかなかったけど
    『夕陽のガンマン』どころじゃなくイケてる、100点超えだわ。
    遺作なのは残念、個人的にはオールタイムベストになるかも。

  • 昔々のアメリカの物語。
    人と人の繋がりが全てだった時代。

    移民として流れ着いた子孫の少年達は、
    アメリカで生きるために必死に、
    ただ必死に生きていた。

    禁酒法時代。
    ニューヨークのゲットーで育った少年達の、
    友情、成功、裏切り、そして後悔の生涯を描いた
    大作ギャング映画です。

    エンニオ・モリコーネの旋律に乗った笛の音が、
    古き佳き楽しかった、2度と戻らぬ過去への
    遠き郷愁に想いを馳せさせます。

    下町の食堂の娘デボラは
    一流の女優を夢見て日々努力していました。
    底辺で必死に生きるヌードルスにとって
    デボラは気品高く輝いていました。
    「そのすべてが愛おしい
    でも彼は安っぽい不良のまま
    恋人にはできない 残念ね」
    若い二人は惹かれ合うも、歩む道が違いました。

    ヌードルスは金は生活出来れば充分で、誰にも縛られずに生きたい人。
    ヌードルスの相棒であり親友のマックスは、やるからにはトコトン トップを目指したい人。
    ヌードルスの恋人デボラも似たタイプ。
    マックスもデボラも 結局のところ余裕を感じさせるヌードルスの人間的魅力に惹かれてたんだな。
    互いに認め合う親友なればこそ、「生き方、考え方の違い」故にヌードルスが身を退いたんですね。

    阿片の妄想世界で笑ったヌードルス。
    生活は苦しかったけど仲間達と純粋に愉しくつるんでいたあの頃に戻りたかっただけなんだろうな。

    少女デボラを演じた若きジェニファー・コネリー。
    あどけなさの中に美しさと気高さが溢れています。

    大人デボラを演じたのは、後のダウントン・アビーのコーラ夫人だったのですね。
    段々洗練されたのですね。

    ロバート・デ・ニーロはじめ一人の役者が
    20代、60代を演じますが、全くその年齢に見えるメイクと演技力は素晴らしかったです。

    ゛汝のうち 最も若く 最も強き者は
    剣に倒れるであろう゛
    1907-1933 コックアイ
    1907-1933 パッツィ
    1905-1933 マックス
    ゛彼等の果てぬ思い出に捧ぐ゛1967ヌードルス

  • 4時間近い長さとはいえ飽きなかった。一度もアメリカに暮らしたことはないが、みていて、懐かしくてたまらなかった。まだ未熟な少年ギャングたちの間で生じるエピソードひとつひとつがユーモラスであると同時に悲しい。これら一連の「過去」が豊かなので、劇中流れるイエスタデイは許せないと言いたくなるが、それに代わる音楽はじゃあ何か、と問われれば思いつかない。エンドロール直前、阿片か何かを吸ったロバート・デニーロが浮かべる、滑稽とも見えるほどの笑顔に泣きそうになった。こういう友情ものには弱い。
    センチメンタルな内容ではあるけれど、本作は映画としても丁寧に撮られていて、ストーリーからどんどんとこぼれ落ちてゆく豊かな要素にあふれている。

  • これぞ映画

  • 幾度かは見ているはずなんですが、多分二十年以上前の記憶なので勝手に美化してストーリーを作り変えてしまっていた。
    私が覚えていたのは
    ・「ヌードルス、起きて、」という台詞
    ・新聞屋に火をつけたところ
    ・デボラ…という名
    ・ゴミ収集車の件…
    ざっとこんなもんだった。
    はっきり言ってほどんど記憶に残っていなかった。

    もっとギャングとして暴れまわり、のし上がっていくんだとばっかり思っていて、観ていて全く違っていく展開に驚きを感じた。
    それでも引き込まれて見入ってしまった。
    1920年代の禁酒法時代かぁ〜この年代の作品は面白い。とにかくお洒落なところが大好きだ。男も女も粋でカッコいい。時代を謳歌するようにカッコつけていることが自然で、嫌味に見えない。アメリカの黄金期と言ってもいいだろう。

    野望に燃えてはいたけれど、自分の器を越えるほどの欲望があった訳じゃなかった。本当に欲しかったのは、彼女の愛……本当にそれだけでよかった。だけど生み出した大きな流れは次第にうねりを帯び、意図しない方向へも流れ始めた。
    散りじりに流れていこうとする仲間を大切に思ったからこその裏切り、そして罪悪感という罪を背負って一人生きて行くこととなり、数十年…

    ある日届いた一通の招待状…
    止まっていた時間が再び動き始める。

    20代で見たときより50手前の今の方が、身に染みるような気がした。人生は紆余曲折の連続で、上手く行くことなんてそうそうないものなんである。それでも自分の道を生きる。それは大事なことだけど、とても大変なことだったりする。
    時間は誰にでも均等に与えられている。その時間が自分を苦しめたり、救ったり。ラストシーンのあの笑顔…苦しみも、悲しみも、忘れたい…いい思い出の中で生きていたい。逃避かもしれない。でもそんな気分な時もあるんだよね。何もかも忘れたい時もあるんだよ。逃げることで生きていられる。そんな時もある。
    深い深い哀しい笑顔だった。

  • Sergio Leone & De Niroの傑作。
    初めて観たのは高校生の時、親友と映画館で。当時よく解らなくて二回観ました。その後何回観たことか。
    アメリカ禁酒法時代のギャング映画だけど、Sergio Leoneらしいウェスタン調の趣があります。De NiroもScorsese映画とはまた違う渋さ。

  • これは素晴らしい。。。
    尺がほぼ四時間というレオーネの遺作にして渾身の一本。
    デ・ニーロにとっても代表作といって間違いない作品でしょう。

    ギャング映画といってもバイオレンスばかりではなく、子供時代のノスタルジックな雰囲気とモリコーネの音楽がとても美しかった。
    そしてジェニファー・コネリーの可憐さといったら、もう。。。

    ラストのデ・ニーロの笑みは何を意味するのか、結局レオーネは明かさなかったけれど、アヘンによって35年後の幻想をみているのかそれとも大金を独り占めできて「しめしめ」と漏らした笑みなのか。。。

    ヌードルスの35年間が空白のようにすっぽりと抜けていることに、とても違和感を覚えたので、個人的には夢オチのほうに一票入れたいけれど、よくよく考えてみると後者の解釈も捨てがたい。
    実はそれがヌードルスの本性なのかもしれない。

    星は間違いなく満点。

    (1984年 アメリカ)

  • 長い・・・
    さすがにdisc2枚に渡ると長い
    時系列も交差しているから最後になると
    最初のシーンが思い出せない
    リンクしてるのに・・・あー
    もう1回観ないと全部理解できないかも、私の場合
    ということで2回観ました。
    や、何回観てもいいかも。

    二人の少年が出会い別れるまでを
    淡々と描かれているのに
    二人の友情というか絆がとても暖かい

    これと言った大きな波もないけれど
    ゆっくりとゆっくりと気持ちに入りこんでくる
    出会えて良かったと思える1本

    ラスト
    マックスの依頼を断るヌードルスの顔に泣けた
    デ・ニーロって改めてすごいと思った

  • 4時間近い映画ですけど、あっという間に終わってしまった気分。そして何より、終わった後何も言えなくなるような凄みがある。
    耐性のないわたしにとって、若干のエロさ、グロさがきつかったシーンもありましたが、そんなこと忘れちゃうぐらいの何かがこの映画にはあるんだと思います。

    あとモリコーネの音楽が良すぎた。それからthe beatlesの『yesterday』。歌詞のことを思うともうジーンとくるしかないです。

    (1984年 セルジオ・レオーネ監督)

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