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- / ISBN・EAN: 4907953046382
感想・レビュー・書評
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NOと言える男こと、弟の兄の『太陽の季節』。有名な小説/映画だから大筋は知ってて観ましたが、めちゃくちゃ胸糞悪くなる映画だった……たぶん、今まで観た中でかなり上位に入る胸糞映画。
(因みに、私がこの作品を知ったのは、石ノ森章太郎先生の『マンガ 日本の歴史』シリーズだったと思う。例の障子破りシーンのことも描かれていた。読んだのは中学生ぐらいだったか…。)
映画版だから、私には原作のもつ高尚な文学的要素が理解できなかったのかなと思い、ブクログで原作の平均点を見たら3を下回ってて低かった。。
この映画の胸糞悪い点。
もちろんそれは、女性をモノ扱いしているから。
そして、主人公たち兄弟が金持ちの息子で、まったく男らしくないから。カッコばかり男らしさをアピールするクセに、中身がほんとに卑怯。
私は最近ずっと東宝特撮を観ていて、必然的にゴジラについて語らざるを得なかったのだけど、ゴジラが踏み潰す相手ってこいつらアプレゲール、チャラチャラした太陽族でしょ。好きになれるわけがない。
面白いのは、この映画の音楽は佐藤勝先生だということ。黒澤作品、東宝特撮、岡本喜八作品などなどの音楽を担当された、あの佐藤勝先生です。
岡本喜八とは長年のパートナーで、喜八っちゃんが魂を込めた『肉弾』も当然、佐藤勝先生。
あの映画のラストシーンで、ちょっと時代は下るけどやっぱり太陽族みたいな、チャラチャラした連中との対比が描かれてるんですよね。
音楽でもうひとつ面白かったのは、『証城寺の狸囃子』が、裏拍でスカみたいなこと。全体的に、カリビアンとかあっちの方の雰囲気がある。
この映画のテーマ、「愛がわからない」「愛なんてなくて、全て物質とお金のみ」それはわかる。
戦後ちょっとたった頃、日本だけではなく他の国でも(主にヨーロッパか)戦中の価値観が崩壊していった。それまではモラトリアムがなく、自由恋愛も少なかっただろうし、戦争で若い男性が減り、憲法も変わり、女性の力が大きくなった。
だからといって、女性をモノ扱いしていいことにはならない。「愛がわからない」と言いつつ、ヒロイン(南田洋子)は劇中で愛に気づいている。主人公(長門裕之)の方も、口にはしないが薄々は気づいていたと思う。
「胸糞悪い」と言うばかりではなんだから、視点を変えて観ることにする。
この映画の主人公は、長門裕之ではなくて南田洋子だとしてみたらどうか、と。実際、当時は南田洋子の方が格上の女優で、長門裕之は駆け出しだった。だから、ポスターのクレジットだと南田洋子の名前がトップにある。
南田洋子を主人公だとして観ると、これは……『七人の侍』や『ゴジラ』的、アメリカンニューシネマ的に捉えられるのではないか、と。(時系列で言うとイタリアのネオレアリズモ→戦後の日本映画→フランスのヌーヴェルヴァーグ→アメリカンニューシネマという流れがあるのだけど、この時期の日本映画を指す言葉が見当たらないのでこう表現するしかない。)
軟弱な男たちに、愛とプライドで対抗していく、戦後の強い女性・南田洋子。こう考えた方が合点がいくし、よほどスッキリと観ることができる。
私は演技のことについてはよくわからないけど、南田洋子さんはとてもすごい女優さんだと思う。顔が好みとかでは全くない。よく「オーラがある」とか言うけど、私はこの言い回しは好きではなくて。でも、南田洋子さんが出てると「バン!」と場が全て彼女のものになってしまうような、そんな魅力がある。
胸糞悪い映画だけど、こういう見方をするとこの映画もそんなに悪くない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まるで裕次郎が主演のようにデザインされたDVDボックス。
確かにね…
正直のところ長門さん以上に存在感はあったよ、身長もズバ抜けて高かったし、脇役にしては美味しいポジションばかりで。
南田ヒロインさんが乗っ取られるんじゃないかと途中で心配になったくらい。
でもさすがは長門さん。
観客の視線を持って行かれそうな役が周りにおっても最後まで自分と南田さんの映画として終わらしてはった。
(もちろん裕ちゃんにとっては記念すべきデビュー作で私も彼のことは嫌いではない笑)
今どき無さそうなタイプの大衆映画で、青春謳歌のオンパレード。
長門さん、最初はベビーフェイスの印象しかなかったんやけどあの独特な不器用さがまた憎めない。
南田ヒロインさんのお嬢様は垢抜けていながら掴みどころのない存在。
大会で黄色い声をあげて応援する天真爛漫なお嬢ちゃんかと思いきや後半に向けて翳りが目立ち始める。あまりお友達にはなりたくない笑
次回作の『狂った果実』では長門さんをさし置いて裕ちゃんが主演を勝ち取っている。
少しでも人気が出ると次々話題作に出演させる風潮?って昔から変わらんねんなー。 -
1956年公開、原作 石原慎太郎 裕福な家庭に育った若者の無軌道な生活を通して、感情を物質化する新世代を描いた作品で、石原の出世作
1955年 第1回文學界新人賞・第34回(1955年下半期)芥川龍之介賞
本作と、「処刑の部屋』(1956年6月公開)、『狂った果実』(1956年7月公開)を「太陽族映画」よよぶ -
別途
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TVにて
当時もてはやされた石原慎太郎の小説の映画.映画で改めて見てみると人間性の下劣さ加減に胸糞が悪くなってきた.石原慎太郎という人はこういう人だったのかなと思ってしまった. -
「プレミアム・シネマ」にて。石原裕次郎のデビュー作と聞いて、てっきり主演かと思ったら端役だったので意外(それでも隠せぬスターオーラよ)。主演が長門裕之というのにもびっくり。裕次郎と比べると野暮ったいわぁ。
戦争の影響を引きずっていた時代に、民主主義教育を受けたであろう自由で無軌道な若者の登場が世間で白い目で見られることはわからないでもないです。特に女性が開放的で(簡単にナンパの誘いに乗ったりするし)。
南田洋子に妊娠を告げられたときの長門裕之の態度は最高にゲスかったですね。この2人がのちに夫婦になることを考えてるとなかなか味わい深いです。
まぁでも今になってみると、別にどうってこともない青春群像劇ですね。あっけないラストには拍子抜け。
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タイトルだけは知ってた映画。なんか、自分の子供のころの映画って感じ。