愛のコリーダ [DVD]

監督 : 大島渚 
出演 : 松田英子  藤竜也  中島葵  松井康子  殿山泰司 
制作 : 伊東英男  大島渚  若松孝二 
  • 紀伊國屋書店 (2011年9月23日発売)
3.86
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4523215036412

愛のコリーダ [DVD]の感想・レビュー・書評

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  •  昭和11年に起こった阿部定事件に題材をとった大島渚監督のハードコア・ポルノ。
     本作を見るにあたって、あらかじめ阿部定事件、および阿部定の経歴について、ざっとウィキペディアに目を通しておいたのですが、どうしても彼女について、異常な猟奇殺人者という印象をもつことができず、どちらかといえば、悪人というわけでもなく、むしろ愛に対して非常に真摯な女性で、犯行に及んだ際には、どこか誇らしささえ感じていたのではなかろうか、と吉蔵の遺体の写真を見てさらにその思いを強めたわけですが、同じようなことを思う人間は多いのか、当時の世論も、それから大島渚監督も、定を根っからの悪女とはとらえていなかったようですね。

     性犯罪の被害者が、どういうわけかその傷の癒えぬ間に今度は自ら性犯罪に身を投げ出してゆく、ということは、学問のすすんだ現代ではさほど奇異に映ることもないことと思いますが、昭和11年当時、その衝撃をうまく乗り越えることのできなかった定の性的逸脱は、周囲からの理解を得られるものではなかったでしょう。そうした定を利用し、身勝手な欲望を押し付ける人間も数多くいた中で、定には手を差し伸べてくれる優しい男性との出会いもあり、その優しさを優しさであると受け止めることのできるだけの素直さも彼女にはあった、こういうところに、定のどうしようもなさ、危なっかしさ、純粋さ、そういう魅力的な部分を想像する余地があるように思います。

     本作での定は、非常に危なっかしく、純粋です。化粧っ気のないぼんやりとした顔立ちだが、妙に情念のこもった眼差しを一直線に向けてくることがある、そういう、どこか鬼気迫るものを感じさせながらも、あどけなく、幼稚で、天真爛漫な魅力を持つ女性です。16歳を境に、セックスでしか己を規定できなくなった、それ以外の何もかもを失ってしまった、だからこそ狂ったようにセックスに溺れ続ける、そこに罪悪感も背徳感もすでにない、そういう幼稚な危うさは、先生を惹きつけ吉蔵を惹きつけ、そんな彼女の見せるわがままな執着、相手の立場もおかまいなしの、強烈で傲慢な嫉妬の形は、吉蔵にはとてもかわいく映ったと同時に、かなり早い段階から、定と死とを天秤にかけさせるだけの恐怖を植え付けたことでしょう。

     吉蔵もかなりいい男として描かれています。もともと浮気者という設定もあってか、終始軽い調子は崩さないのですが、少女のような中身をして放埓な振る舞いをする定に向ける包容力からは、定がかわいくてたまらないこと、彼女のためなら、死んだってしょうがねえなあとどこか諦めがついている節もあること、そして定をどこか哀れに思うところのあることなどが、伝わってくるようです。正直、吉蔵はいつから定に殺されることを覚悟し始めたのか、そしてそれをおとなしく受け入れるほうを選んでしまったのか、非常に気になっています。自分に縋り付く女ならいくらでも経験のあったであろう吉蔵にとって、定のように、縋り付くようなそぶりは見せず、獰猛に自らを捕まえて離さない、そのための手段も選ばない、そういう強烈な執着を真正面から、卑怯な手など使わないで、まっすぐにぶつけてくる女は珍しく、その強烈な感情と拙い手段とのアンバランスさも相まって、非常に魅力的に見えたことでしょう。

     ポルノ映画ということで、さすがに作品はほんとんどの時間をセックスに費やしているわけですが、いわゆるポルノといった印象はほとんど受けません。阿部定とはいったいどういう女であったか、吉蔵と築いた関係とはどんな関係であったか、おそらく大島渚監督が考察を及ぼしたのであろうこれらのテーマを作中から探り出すのに必死になっていたせいかもしれませんし、あるいは時代の流れのせいかもしれませんが、純粋な少女のまま、自己規定の手段をセックスのほかに持たないまま、自分を受け止めてくれる信頼できる愛に飢えたまま、悪意なき殺人者になってしまった定の足跡を、赤の映える美しい場面の描写、それから生々しくグロテスクでさえある写実的なセックス描写とを通して辿っていて、ポルノ作品とは思えない雰囲気があります。ポルノということで二の足を踏むのはもったいない作品であるように感じますので、そういった躊躇のある方にはぜひおすすめしたい作品です。

  • 肉体的だけの愛は、あらゆる不実を許してくれる。精神的な愛はなにものをも許すことができない。
    ―― ヴィニィ 「詩人の日記」

    これを思い出した。なんでなのかはわからない。考えてみる。興味があるかないかかなあ、と思う。興味…知識欲?その人を知りたいと思うか知らなくても愛せる??というかいいと思うというか。こう考えると精神的な愛ってコワイもんだし内面を精神面を抉りたいってのが精神的な愛?で肉体的な愛は許容がひろいかんじかな、と思う。全部支配下にしたいのが精神的な愛で一部でいいよと自由をちょっと与えるのが肉体的な愛??なのか??サダは全部欲しかったからっていうかも知れないけどそうはできないのも分かってるから一部を切り取ったのかなあ、ともやもやした。知らなくても好きだってのも素晴らしいし、好きだから理解したいと思うってのも素晴らしいといわれるものなのだと思う。で、この作品は内面も過去も知らなくていい好きだよっていう感じの好意かなあ、と思った。これはこの形でいいのだろう。愛情の形は人それぞれだからそれでいいし面白い。でもよくわかんねえなと思って他の人の感想をちょっとネットで見てみた。てんでばらばらで、やさしい人はやさしい感想がかけるし感想ってのはそのまま自分を映しているようにも思えた。

  • 裁判ネタとか昭和映画史とかに必ず出てくる映画なので、太郎姉ちゃんたち大人のみが観賞。

    いわゆる阿部定事件のお話なんだけど、ひたすら定さんと吉蔵さんがベタベタしているシーンが続くみたい。
    でも、事件が起こった昭和11年の軍国時代を兵隊さんたちが歩いているシーンで表現したり等、色恋のみに生きる二人の浮世離れっぷりもちゃんと描かれていたとのこと。

    若い定さんがどんどん吉蔵さんにハマって行って、吉蔵さんが好きなのか、吉蔵さんのカラダが好きなのか、吉蔵さんが好きな自分自身が好きなのか(←たぶん最後はこれ。)精神的におかしくなっていくのを感じつつ、吉蔵さんは定さんをかわいいと思うゆえにすべてを受け入れて死んでいったって感じだったみたいです。

    太郎談。
    ・おフランス映画みたいだった。
    (検閲を逃れるために実際フランスで編集したらしい。)
    ・主演の2人はよくここまでやったものだ。中途半端にボカしを入れられて、かえって主演の二人がかわいそう。
    ・でも、こういうのが日本のスタンダードだと思われたら困るなぁ…。

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