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- / ISBN・EAN: 4988101160907
感想・レビュー・書評
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20141010
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最近観た映画の備忘録。「大鹿村騒動記」。2011年公開、日本映画。カラー、93分。阪本順治監督。
封切り時に映画館に観に行きたかったのですが、都合が合わず見逃して。その後も大画面で観たいなと思っていたのですが、なんとなくDVDで観ちゃいました。
よくあるパターンなんですが。大画面で観たかった。
原田芳雄さん(1940生)、岸部一徳さん(1947生)、大楠道代さん(1946生)、石橋蓮司さん(1941生)、小野武彦さん(1942生)、三國連太郎さん(1923生)。
三國さんを除いては、みんな1940年代生まれなんですね。この映画の封切りの2011年にざっと65歳~70歳。三國さんは88歳ですね。
それなりの年月、日本の映画やテレビ芸能を観ていれば、皆さんそれぞれ活躍の歴史が時代と共にあったことが分かります。
そういう役者さんが持っている物語というか、それがタレント性なのかも知れませんが、そういった味わいや感慨を抜きにした時に、それでも面白いのかなあ、と考えてしまうことはあります。
それはスポーツ観戦でも同じですね。
ひっくり返せば、それを知っていれば楽しみが深くなります。
最たるものがテレビのバラエティ番組だと思うんです。
スポーツは、そういうことが無くても、「ニンゲンのカラダ、あるいは精神力っていうのはここまでできるんだ」と感動することはあります。
演技や、落語等の話芸も同じくですね。
でもテレビのバラエティ番組は、全部が全部そうとは限らないでしょうが、そういう出演者の物語性みたいなことを抜きにすると、正直、大人の鑑賞に耐えられると思えないものが多いような気がします。
でも、だから下らない、と高みから惨殺する積もりもなくて。そういう著名人のプライベートな物語性を楽しむということは、大なり小なり娯楽であり慰みであるのだから。
良いとか悪い、と言うレベルの事柄でも無いのですが。
メディア的な有名人以外のところで、日常の仕事だって、僕たちは過去の連鎖の中で、過去の行いや交際や記憶の積算の上でしか、今と今後の社会的行動は認められない。ことが多いと思います。
でも必ず一方で、「過去どうだったかとか私生活じゃなくて、今のコレを判断してくれよ」と思う局面もあったりします。
ここンところをどう考えるかっていうのは面白くて難しい。
タレントの過去の事件や不祥事や印象に対する心情的な評価っていうのが、何気ない今の一挙手一投足への"客観的"評価につながったりします。
それは国家や民族や政治レベルでもそうだったりします。
それもきっと、良い悪いではなくて、なんでそうなのか、ということを知って考えることが大事なんだと思いますが。
閑話休題。
映画「大鹿村騒動記」が、そういった過去50年~20年くらいの日本映画史芸能史という物語性と関係なく、面白いのかどうか。
これは、極端に言えば誰ひとり俳優出演者を知らない人とか、外国人とかにしか、分からないことなのかも知れませんね。そういう観客の人がいたら感想を聞いてみたいものです。
なんですけど、僕は映画らしい素敵な映画だったと思います。
諧謔と哀愁とヒトの心情。それから歳月つまり"これまで"への公平な眼差し。”これから”への開放的な触感に溢れた映画だったと思います。
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舞台は長野県の大鹿村という所です。とっても田舎です。当然、高齢化してます。
その村では、どうやら300年の伝統を持つ村芝居、素人歌舞伎が毎年行われているようです。
芝居の出し物としては、源平系の物語らしく、"景清(かげきよ)" が主人公で "頼朝の家来" とかが出てくるようです。
佐藤浩市さんがバスの運転手。大楠道代さんと岸部一徳さんがバスを降りて村にやってくる。ふたりして世を忍ぶようにサングラスで顔を隠している。
浩市さんが「あのふたりは・・・○○さんじゃないか?」みたいな発見をするところからお話は動き出します。
原田芳雄さんが、独り身で食堂のようなものを経営しています。村芝居では主人公の景清の役を演じるようです。
いつもサングラスをしています。
村にはリニア新幹線が通りそうです。土地買収なのか建設許可なのか、そういう降って湧いた議論も起こっています。
当然のように利害賛否があります。石橋蓮司さんや小野武彦さんが村の人たちです。
そんな揉め事も飲み込みながら、ゴタゴタ毎年のように芝居の準備と稽古。
なんだかんだで参加している大人たち(ほぼ老人たち)は芝居することが楽しくて。一生懸命です。少なくとも中核の人たちは。
で、そこに一徳さんと道代さんがやって来る。芳雄さんがびっくりします。
芳雄さんと道代さんは夫婦だったんですね。そして一徳さんは芳雄さんの、あるいは夫婦にとって大親友でした。
ところが相当前、20年近く以前なのか、道代さんと一徳さんがデキちゃって。駆け落ち蒸発してしまったんですね。
小さな村には結構な大騒動だったのでしょう。狭い地域社会で芳雄さんは噂と同情と好奇の中で辛い時代もあったんでしょう。
そんなふたりが現れた。
どうしてかっていうと、道代さんが、アルツハイマーみたいな(アルツではないらしい)記憶障害の病気になっちゃった。
一徳さんを芳雄さんと勘違いしたり。なんでも口に入れようとしたり。かと思うと正常だったり。
まあ現象としてはアルツハイマーと似たような感じです。
で、一徳さんが、「もうこりゃ自分には面倒見切れない」と、芳雄さんに"返却"しに来たんですね。
芳雄さんは怒るけど、なんだかしょうがなくて、とりあえず三人同居みたいに暮らし始めます。一徳さんは尾羽打ち枯らして、無一文のようです。
道代さん、なにせボケだから罪悪感もなく。食堂手伝ったりします。
なんだけど、予兆なく起こるボケ症状が厄介で。修羅場修羅場。芳雄さんも、ほとほと困ります。
大楠道代さんの実父である三國連太郎さんに預けたりします。
で、大鹿歌舞伎の本番が近づいてきます。
大楠道代さんが、若い頃からその芝居に出ていました。景清の、つまり原田芳雄さんの相手役をずっとやっていた。恋人的な役なのか。詳細は不明ですが。
で、ボケかかってるけど、そのセリフだけはそっくり覚えて居る。という、ちょっと切ないクダリがあったりします。
(つまり映画内の設定では少なくとも20年くらいメインの配役が変わってないってことなんですねえ。高齢化社会・・・。
それから、女性でも出演できるっていうことなんですねえ。
それから、演目は百年一日、不変ってことなんですねえ。)
そうすると、そこに物語の素敵な偶然で、その相手役(恋人役)をやるはずだった佐藤浩市さん(つまり女形ですね)が、嵐のせいで怪我を負ってしまいます。
出演できなくなってしまう。本番は明日、とかそういう時期です。
同じ嵐の日。
道代さんは突如記憶を取り戻します。
芳雄さんに、一徳さんに、自分はとても酷いことをしてきてしまった、と慟哭狂乱します。必死で抱きとめる芳雄さんだったりします。
そして、周囲も皆一致で、道代さんが昔取った杵柄、その相手役で出演しなよ、ということになります。
という訳で本番です。いろいろありますが、無事終わります。
この出し物が、歴史演劇的な薀蓄を抜きにして映画内で説明される範囲で言うと、
<景清という平家の側の豪傑武将がいる。
平家が源氏に、負けて滅んだ後の時期。
源氏の世になって、そんな世の中は見たくない、と自ら両目をえぐり出して失明する>
というお芝居なんですね。
それを芳雄さんが熱演します。
本番公演と言っても、お寺のお堂みたいな舞台でやります。観客は屋外、吹きっ晒しの土の上が桟敷席。
村人と関係者、それに近隣からの観光客が多少はいるのか、まあ200~300人くらいが観ている感じです。
無論のこと完成度が高い訳じゃない。素人芝居。ですが、好きでやってる情熱と、何はトモあれ300年続いてきた継続性の中で、ゆったり知人の熱演を楽しむ観客たち。好意的に映画では描かれます。
お芝居が終わって。
その夜は、原田さん、岸部さん、大楠さん、かつての親友三人組だったような愉しいバカ騒ぎ。
そして、日常が戻ります。
大楠道代さんは記憶を取り戻して正常に戻った。と・・・思いきや。
ラストは。原田芳雄さんの名を呼びながら駆けてきた大楠道代さんが、受け止めようとする芳雄さんを通り過ぎて。後ろに居る岸部一徳さんに走り寄る。
呆然、あらら、の芳雄さん。困っちゃう一徳さん。ボケている道代さん。
ドタバタ絶句、やれやれな諧謔味の中でおしまい、です。
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そういった物語の前後左右を彩るのが。
佐藤浩市さんのバス運転手と、役場勤めで彼氏が東京にいるらしい松たか子さん。恋の行方。
原田芳雄さんの店にふらっと来て働き始めた富浦知嗣さん。性同一障害っていうのか、体は男性・心は女性という苦しみ。
村の郵便局員で、大鹿歌舞伎が大好きだけど、今回は床下で回転舞台を回す瑛太さん。瑛太さんに惚れちゃう富浦さん。
大楠道代さんの実父・三國連太郎さん。そもそも自分の妻=大楠の母、が自分を捨てて男と逃げた、という過去を想ったり。
といったお芝居です。
基本は初老の男女たちがそれなりに元気に喜怒哀楽なお話なんです。
一時期以降、古くは「八月の鯨」なんかあったりしますが、超高齢化社会が始まった証左なのか増えている類の映画、と区分けすることもできます。
ですが、そこにちゃんと佐藤浩市さん、松たか子さん、瑛太さん、富浦知嗣さんらが居る。
なんだかんだで村芝居に象徴される、この土地での喜怒哀楽の七転八倒を輪廻していくのではないか、という予感を匂わせてくれます。
お話としては、そういうことです。
それを、長々とした昔語りはイッサイ無し、で進行します。
多少はあるんです。あるんですけど、そんなに落ち着かずに進む。
お金がないから温泉宿で風呂掃除している岸部一徳さん。大楠道代さんと逃げた日々のことをちょこっと語る。
ちょこっと語ると、とにかくどうにもならない袋小路に来ちゃったんだ、という心情なのか、吠え始めて全裸になって、風呂に飛び込んじゃう。
そんな感じです。
なにしろヒロインがボケてます。原田芳雄さんも大楠道代さんに、昔がこうだった、何故お前は逃げた、みたいな語りに入りません。
極めて実はハードボイルド、阪本順治さんのオトコ気映画です。
皆さん老人です。車がブッ壊れたり建物が崩壊したりワイヤーアクションだったりは皆無です。
なんだけど、できるだけがヒトのアクションで表現されていきます。いや、アクションと、佇まいというか。
とっても映像的だし、落ち着いた画面で広い視野で風景や自然を見せ、一転、人物の佇まいで感じさせる。
生理的にぐりぐり食いつかせて手段を問わず引っ張って行く、のではありません。
だまってゆったり見えて聞こえるものを受け入れて、想像で行間を埋めていく中に喜怒哀楽が見えてきます。
受動的なんだけど、能動的に想像することが快くなります。
粗筋を埋める自然や田舎歌舞伎の映像。
村の暮らしの、見えて聞こえる情報が、どうにもならない過去だったり、視点によったら暗澹たるカタチかも知れない現実現在を感じさせてくれます。
でもそこで蠢くヒトビトの営みは、芸達者な俳優陣が、猥雑なトコロも含めてとっても、ナマで躍動しています。
ナマで感情豊かなんだけど、紋切りで興ざめなワケではない。つまりウマイんですけど。ここンところはチョット僕が力足らずで語りきれません。
そんなところで実は巧緻に、物語とか粗筋というものから、ニンゲンたちが浮き出てくる印象。
でも、どっかりソコに大鹿村っていう風土が粘りついてくる。
それは重荷だったり辛かったりする。けれどもう、それはモノは考えよう、としか言えなくて。
そこを映画がざっくり切って、諧謔と哀愁、ニンゲン臭さが断面に出る。それは確実に何かしら、愛おしく感じられちゃったりする。
部分部分を取り上げて、出来すぎだとかファンタジーだとか偶然過ぎるだとか、言って言えなくはないけれど。
それはそれ。寓話で神話で大いにケッコウ。劇中の歌舞伎芝居のようなもの。粗筋・運びの整合性より、通して見せたい感情・情熱です。
それに、ご都合と謗るほどの強引さになっていません。
どうしてかというと、あまり、というか一切、言い訳理由を言葉にしない潔さ。なんだと思います。
そのハードボイルドさが、情報ぶ厚く誘導する結論の解り易い情緒的な番組に慣れた感覚には、若干不親切、なのかも知れませんが。
何も、裏読み・重ね読みで解釈をするのは、映画を愉しむために大事なコトだとは思わないのですが、ひとつ。
「俺の意に反する世を見ない、失明する」という道を選んだ歌舞伎内の ”景清”
と、
妻が親友と蒸発したという悲劇に襲われ、じっと20年近く地元で生きてきた原田芳雄さんの佇まい。失明はしてないけど、サングラスしてるんですね。
そこの重ね合わせた見せ方。
芝居=景清を演じることへの情熱。
日常はじっと耐えている。地域社会の中で、日々の挨拶と猥雑な暮らしの中で、傷も思いも乾いているふりをしている。
でも、埋もれても醒めやらぬ、妻・大楠道代さんと、親友・岸部一徳さんへの愛情と未練、溢れる切なさみたいな情熱。
過ぎ去っちゃった歳月への声にならない叫び。
セリフに一切しなくても、景清演じる原田芳雄さんの、「演じているという芝居」の中に、はち切れんばかりに込められているんだなあ。
と、ぼーっと見ながら感じました。
人生は皆、演じている物なのかもしれませんね。そこは、僕はとてもグっと来ました。脱帽です。
音楽もとても合っていると思いました。メロディっていうよりリズム感が印象に残るような。心理的なサスペンスがありながら、謳い過ぎない抑制感と諧謔味があって。
安川午朗さんという音楽家さん。全く存じ上げませんでしたけど、石井隆さんの映画とか手がけてるんですね。なんとなく流れとしては納得。
エンディングは清志郎さんの歌。色々あってもユーモアもある前向きな後味、良かったです。
エンターテイメント、娯楽見世物、刺激どきどきな要素としては、
「このボケちゃった大楠道代と原田芳雄の男女関係、岸部一徳との幼馴染的な友情、はどうなっていくんだろう」
という、甚だ商業ベースでは難しそうな。
率直に言うと地味なものしかありません。
でもそれを、出演者スタッフ一同、魅力的にふくよかに見せていくんだ、こういう人間ドラマを原田芳雄さんと阪本順治さんで作っていくんだ、という意気込みや情熱みたいなものを感じます。
それは前記の有名人たちの過去の物語性みたいな、ある種の内輪な薀蓄から、勝手に受け取るものなんですけどね。
でも、それでもって好ましかったのは事実でした。
2014年現在の日本の芸能知識で言えば、2011年のこの映画に、佐藤浩市さん、松たか子さん、瑛太さんと言った知名度の高い人たちが、言ってみればホンの脇役で出てる。と、いうコトが解り易い一例ですね。
そういった集いの間違いなく中心にいたであろう、原田芳雄さん。この映画が遺作になっていますね。三國連太郎さんも既に他界されていますが。
合掌。
全体に93分、というサイズ感もふさわしかったと思います。好みで言えば80分台でもアリだと思ったりしますが。
やっぱり阪本順治さんの映画って、語り口としては僕はとても好きなので。
こういう規模の取り回しの中で言うと、実に極小から最大のダイナミックな人間ドラマをカットカットの合間から産み出せちゃう才能だなあ、と思います。
スケールの大きな世界観の中だと、どうしても産み出す情熱が大きな仕掛けのぶん回しと同期できずに、名場面ダイジェストを観たような後味になってしまうコトがあるような・・・。
脚本、物語転がしの段階で、尺統制がスムーズに行かずに最終的にズタズタに編集されちゃってる感というか。
まあ、それはまた別のお話ですが。
全部は観ていませんが、阪本順治さんの映画なら、「どついたるねん」「王手」「傷だらけの天使」「新・仁義なき戦い」なんかは一級品だと思います。
完成度で・・・っていう訳じゃないけど(笑)、醸し出すワクワク感と人間ドラマ、という意味ですが。
(ただし、全般的に男子受けな映画作家さんだと思うので、女子ウケは保証しかねます)
僕は「トカレフ」が大好きです。
ちなみに佐藤浩市さんの役。バスの運転手さん。怪我をして、舞台に立てなくなります。
「ああ、佐藤浩市が歌舞伎の女形をやる、っていうのも見たかったな」
と思ってしまうんですけど。
そこはちゃんと、実は見せてくれたりします。ラブリーな観客サービスだし、役柄的にも魅力が理屈抜きで膨らむ素敵な小場面でした。
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ネットで拾える知識ですけど、「大鹿村」も「大鹿歌舞伎」も、長野県に実在します。
NHKの地方発ドラマでその村を知った原田さんが、「こういう話を映画にしたいなあ」と思ったのがきっかけで。
「原田芳雄さん主演で映画を撮りたいなあ」と思っていた、という阪本順治さんと合流して出来たそうです。
そうやって作られても、正直映画としてのラブリーな魅力が無ければ、宣伝的な美談でしかないなぁ、と思ってしまうんですけど。
出来た映画の愛らしさを味わうと、素直に良い話だなあ、と思ってしまいました。
いつか、大鹿村を見に行きたいなあ、と思いました。
劇中の景清の芝居ですが、どうやら大鹿歌舞伎にしか残っていない演目、というこれまた興味深いものらしいですね。
「藤原景清、または平景清」という人物については、僕も歴史的には詳しく知りませんが、
落語にも「景清」ってあったりして、「源氏の世をみたくないから自ら目潰し」という、お琴と佐助の春琴抄みたいな逸話が、
多分講談民話的に昔から語り継がれているようですね。
「勝者の自慢話」よりも、「敗者の情熱」に心惹かれる、それはそれで人のサガ、とでも言うのでしょうか -
いい映画〜〜〜。
温かくて、味があって、しみじみ。
地元長野県が舞台なので見たのですが、登場人物がみんな魅力的。
主人公を演じている原田芳雄さんと友人役の岸部一徳さんのかけ合い、面白い。
またほんのチョイ役で、瑛太さん、三國連太郎さん、佐藤浩一さんが出てますが、それぞれ心に残る演技でした。 -
かなり良かった。脚本もいいし、演者もいい。"役者が揃った"感がある。
んで原作がTFMのノブエくんだということに驚く。 -
300年続く村の伝統歌舞伎の花形役者の主人公、善ちゃんの物語。公演が間近に迫ったある日、親友と駆け落ちした奥さんが帰ってくる。奥さんは記憶に障害が出ていて、奥さんを奪って村から出ていった親友の治ちゃんに「貴子ちゃんを帰す!」と言われる。果たして3人の関係は丸く収まるのか。歌舞伎は成功するのか。というドタバタドラマ。普通じゃないのが登場人物の平均年齢の高さ。地方の過疎化高齢化がバッチリ描かれてる。けど、悲壮感がない。没頭できる趣味があり、恋をしていれば「人生はいつまででも青春だ」と言わんばかり。自分も頑張ろうと思った。
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300年伝統の大鹿歌舞伎を続けている大鹿村に
18年前に駆け落ちした貴子と治が帰ってくる。
歌舞伎の花形役者の善は、治から貴子を返されるが、
貴子は記憶障害をわずらっていた。
歌舞伎の公演が近づく中、ゴタゴタで善は芝居をやめると言い出すが…。
原田芳雄さんの遺作。
暖かいコメディだな~。 -
村歌舞伎。
ある日、主人公(善/原田芳雄)の駆け落ちしてった妻(貴子/大楠道代)が、一緒に逃げた男(治/岸部一徳)と共に戻ってくる。
善は、貴子とケンカしたら治に相談する。治とケンカしたら貴子に相談する。三人はそんな関係だった。
三人でバランスが取れてて良い。 -
長野県下伊那郡大鹿村で300百年の伝統がある村歌舞伎を背景に、駆け落ちされた妻が戻ってきた男の悲喜交々を描く。
村人達が代々伝承していく村歌舞伎。こんな伝統文化があるとは。そこに裏切られた妻への複雑な思いが絡められている。登場人物の平均年齢が高くて、長く募る思いを感じさせる。それが伝統ある村の行事で癒されていく。
豪華なキャストで笑えて泣いて人生を考えさせる。
こういう特定の市町村を舞台にした映画はいいなぁ。
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秋っぽい雰囲気、ストーリーや役者さんたちが醸し出す雰囲気が好きです。
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クスッと笑えてちょっと泣けて、大人向けのいい映画だったなぁ。
酸いも甘いも噛み分けてきた善さんが言うから「仇も恨みも、是まで是まで」の セリフがしみじみする。人間関係の些細な感情にこだわって悩むのが馬鹿らしく思えてくる。
クールビューティーな顔立ちの大楠さん演じる奥さんの役がしっくり嵌まっていた。