中央公論 2012年 02月号 [雑誌]

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  • / ISBN・EAN: 4910061010220

感想・レビュー・書評

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  • わかりやすかった

  • 日本の大学が不幸なのは、東大などの旧帝国大学がかつての帝国大学モデルから完全に脱皮できていないこと、他方で私立大学が高度成長期はもとより、18歳人口が減少に向かってからも、経営論理からやみくもに増殖したこと。
    帝国大学は国民国家大学だったから、そんなものは21世紀には通用しない。いまだに19世紀の感覚を引きずっている。
    知識と情報を区別する必要がある。
    17-18世紀の偉大な大学者であるデカルト、ホッブズ、ロック、ルソー、ヒュームらはみんな大学教授ではない。著述家。

  • 特集の大学改革の混迷を中心に読んだ。吉見、青木、武田、上山(『アカデミック・キャピタリズムを超えて』の著者)、山口の各氏は、文中で教養教育の見直しについてふれている。共通しているのは、専門と教養の融合して人格を陶冶する教育が足りないことと、読み取れた。さらに、吉見・武田の両氏は、図らずも、1949年の東大南原総長の教養学部での入学式式辞を引用している。教養教育の振興は、周知のとおり、大学関係諸答申等で、問い続けられてきたテーマである。本書でも、武田氏が教養教育の再定義を主張している。
    とりあえず、今の段階での私のまとめは、「教養は先人の智慧にふれることと」としておく。

    刈谷先生の最後の部分結論「大学になし得ること、やるべきことは山積している。日本も世界も、知的にしか解決できない課題に直面しているからだ。問われているのは、日本という社会そのものである。」と、123頁の養老猛司氏の「万事は外部エネルギーを増やせば済んでしまう。バカな時代状況を作っておいて、教育だけを論じても意味がないなあ。」という言葉が、違う文脈にもかかわらず、妙にフィットしていると思えるのは私だけだろうか。

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