本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・電子書籍 (182ページ)
感想・レビュー・書評
-
大人になっても精神的にはまるで子供の人が少なからずいる。そんな人に関わると周りの人は振り回されて不幸になる。原因は幼少期に親の愛情を十分に受けなかった場合が多い。そして成長しても周囲や自分の子供に対しても愛情を注ぐ事が出来ず、DVや虐待となって不幸の連鎖が続いてしまう。どこかで読んだ話、「愛情は親から子供へ受け継がれ、子孫にも伝えて行くもの」まさにその事を言っている様だ。愛情は受けた分だけ人にも与えられるのだ。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分に優しく
親の責任は大きい
何も難しいことはない、愛情たっぷりに、自分自身を幸せにしてあげる
気持ちは捉え方しだい
自分の負の感情は自分自身で作り出している
自分の過去も全て変えられる
何かをもらおうとするのではない、自分から相手に与えていく -
他人は人付き合いを楽しむ。自分自身が感じてるように付き合いが重たくは感じていない。
というニュアンスがすごく心に響いた。
私自身、人付き合い重たく感じていて、他人も私と一緒にいるのしんどいんじゃないかと思うことが多かったけど、それは私の感覚で、他人は自分と一緒にいることを楽しんでくれてるかもしれない、と思えてよかった -
本来憎んでいい人達の、ほんのわずかの親切を裏切ることに罪悪感を持つくせに、自分に思いやりのある人の真心は、どんなに裏切っても罪悪感を持たない。
それは寒々とした家庭から心理的に独立していないからである。自分を理解することのない冷たい人々を悲しませるようなことをほんの少しでもすれば、それには心が痛む。しかし実際にはその人々は悲しんでさえいないのである。
冷たい人々の期待にこたえられなければ罪悪感を持つのは、その冷たい人々にいまだ心理的に依存しているからである。
---
甘えの欲求が澱しいにもかかわらず、甘えを自らに禁じて生真面目に振舞っている人間には、人間としての魅力がないのである。どうしようもなくひかれるというところがない。同性にしろ異性にしろ、いつでも別れられる人間でしかない。
---
幼児的な甘えの欲求をつよく残していると、近くなってきた人に対しては、「こう」
扱ってもらいたい、「こう」見てもらいたい、自分のことを「こう」思ってもらいたいという気持がでてくる。大切なことはその気持の中に要求が含まれてくることである。外の人に対するような迎合的な態度がなくなってくる。
外の人に対して、つまり遠い人に対しては、相手の意にかなうことで気にいられようとしていたのが、近くの人になると自分を「こう」扱えという要求に変化してくる。
そして自分を「こう」扱えということが甘えの欲求なのである。「こう」の内容が甘えなのである。つまり自己中心的で皆が自分のことをチャホヤしてくれることである。
---
彼が心の底から満ちたりるのは自分の責任を自分がとった時ではない。自分の責任を他人がとってくれた時である。つまり彼は社会的に大人になった後では、心の底から満ちたりるということが決してないのである。
これが彼の持続的に不安な緊張の原因であろう。自分の存在の責任をとってくれ、自分の飲求を満たすのはあなたの責任なのだ、というのが彼の本音である。彼は社会的には立派な大人であるが、心の底では子供のように無責任になりたいのである。
そして無責任である時にのみ、心の底から満足できる。
執着性格の特徴のひとつとして、よく責任感がつよいというのがあげられる。これなども甘えの欲求を抑圧したことの反動形成と解釈できる。
---
充実した一日にしようと焦るのも基本的に心が空虚だからである。ひとつひとつのことを達成することで心の空虚を埋めようとするから、達成しようと焦るのである。
心の空虚が深刻であればあるほど、その埋めあわせには大きな達成が必要である。
それは仕事の達成であれ、勉強の達成であれ、性の達成であれ、レジャーの達成であれ同じことである。
とにかく大きなことを達成することが、深刻な心の空虚から眼をそむけるためには必要なことである。
---
仕事から離れると心の空虚さに直面してしまうということがひとつの原因であろう。仕事を続けて次々にいろいろのことを達成していくことで心の空虚から眼をそむけていかれるのである。
---
仕事をしていないと不安だから仕事をしている人間は、心の底では決して勤勉なわけではない。
---
人は自分の自然の感情で生きることができれば、そう心の空虚さに苦しむこともないであろう。自然の感情で生きられず、つくられた感情で生きるから、生きていることに意味を感じなくなるのである。
---
次々にものごとを達成している時に、人生うまくいっていると感じるよりも、人々と親密になれた時自分の人生がうまくいっていると感じて気持が落ち着くようになれば、成功である。
---
アパシーにおちいる人というのは、すべてが達成の対象になってしまった人なのである。休息すらもが、達成の対象になってしまっているのである。
---
よく他人の好意に接して疲れるという人に出会う。安心して他人の好意に身をあずけることができない。そういう人は心の底で自分に好意を持っていない人である。
心の底で自分を嫌っていれば、他人の好意が何となく居心地わるいのも当然であろ
う。
何か今のままの自分ではいけないと心の底で感じているから、どうしても他人の好意を信じきれないのである。今のままの自分でいけないことなど決してない。今の自分でいけないことはただひとつ、自分が自分を嫌っているということだけである。
---
他人が自分を好きになってくれるということは、無条件に近いことなのである。他人があなたを好きになった時、あなたの点まで好きになったということではない。
あなたの点は、その他人にとって好きなあなたの嫌いな点にしかすぎない。
---
神経症気味の人というのは、今眼の前にいる人を理解しようとすることよりさきに、その人からわるく思われないようにしようという防衛的姿勢がさきにたってしまう。
-
kindle unlimitedにて.
他人事だと思って興味本位で読んだら自分の事だったので驚いた.おかげで気付くことはできたが,実際に成長するために何をどうしたらいいのか分からない.
この著者にもこのような分野にも触れるのは初めてで,まだこの本以外のものは見ていない.よって,どこからどこまでが著者の独自の意見で,どの程度このような分野で確からしいとされている意見と相違や合致があるのかが,よく分からない.引用や紹介がされている本は3冊.論文や研究や統計の引用・紹介は無し.
文章は口語に近く簡単に書かれているようには感じたが,馴染みの浅い文体で,慣れるまで読みづらかった. -
ふと手にした本だったが、42年間生きてきて、当たり前だった事がそうでない事に初めて気付かされた。
一見普通に育ったと思っていた自分の幼少時代。だが、そこには抑圧された幼少の心があり、それがそのままの形で残っていた。
心理学者である著者自身も同様に抑圧された幼少時代を経験しているからこそ、説得力があるのだろう。
人生の節目で何度も読み返すべき一書。 -
自分のことだからこそ、気づいていないことが多い。自分に問い直す良い機会になった。
著者の体験も交えて、主に親子関係の問題を取り上げている。専門用語も少なく読みやすい。
やや子供にとっての親の影響が大きすぎるようにも感じたが、実際そうなのかもしれない。 -
自分を満たす決断をすることが大切だと学べる。
自分の心の虚無感や満たされない感情を言葉に置き換えて、咀嚼きていける本。 -
-
オーディオブックで
-
どうしたって自分の考え方、行動、感じ方を見返してしまう。
自分もだと思わざるを得ない。
今までもこのような内容の本や言説に触れたことはあったが、今回初めてこれは確かに自分だと認めることができた。本書の力なのか自分が年を経たためなのか、また両方なのか分からないが、とにかく受け入れることができた。
本書のタイトル正にその通りの内容だった。 -
内容について批判はしないが論拠に乏しく、著者の経験や推測で書かれている印象。もっと実験結果や統計なども交えて欲しかった。
-
うーん、今の自分にぴったりな部分とそうでない部分が混ざってて、当てはまる部分はめちゃくちゃ読みやすかった!
子供にとって
親からの愛情がどれだけ大事かよく分かった。
自分を愛することも忘れずに
子供へ惜しみなく愛情を注ぎたいと思う。 -
まさに自分のことだと思うことしかなかった。自分の感情に今気づけたことに感謝して、自分に優しくなろう。当てはまる、心当たりのある描写しかなくて、マーカーで本がいっぱいになったほど。耳が痛いなと思うほどだったので、何度でも読んで自分の感情に気づく機会にする本にしたい。
-
自己理解のため部分的に読んだ。幼児性が残っている人は自己肯定感の低さから人間関係でつまづく、という点は自分に当てはまるものでとても納得した。自己受容して、自分自身を認められるようになりたい。
-
心理学が気になりkindle unlimitedにて一読。
共感することが何箇所かあり、面白い内容だった。
-
年末に実家に帰って和室の照明の豆電球をじっと見つめながら考えていた。
自分はどういう人間なのだろうと。
そんなときにたまたま友達の薦めで読んでみた。
心理学ってもっと第三者的なすーんとしたところがあるものだと思っていたのだが、この加藤氏の本はご自身の体験に基づいているのか突き刺すように鋭くどっしりしている。
自分はそれなりに生きてきた。仏教聞いているだけにまあややこしいところは抱えているんだというぼんやりとした自覚はあったのだけれど、この本を読んで衝撃を受けた。
自分が親に抱いている感情の源がここにあったんだということを受け入れることができた。そしていま自分が日々やきもきしたりいらいらすることの原因が、幼いころの環境が影響してそういうものの見方になっているということに気が付かされた。
うすうす関連を感じてはいたのだけれどここまでズバッと解説されるとああそうだなと頷くしかない。
読みながらハイライトをつけていくのだけど、結局それが章の最後に書いてあることであって、本当に無駄なく整理されている。おっしゃる通りなのだ。
”人間関係で困るのは愛という名の幼児性、道徳という名の幼児性、正義という名の幼児性である。”
自分は肉親とどんな人間関係にあるのか、もしくはあったのか。自分がこうすればみんなうまくいくと思うこと自体がどういうことだったのか。
”相手が自分をわるく思うのではないかということばかり気にしていて、かんじんの相手そのものに対する思いやりが完全に欠如しているのである。”
そうだよなあ。自分はそういう風にしか生きていない。痛い。ぐさっとくる。
”大事なのは本気で自分にやさしくなろうとすること”
これはこれから気を付けていく。強く思った。
ただの一冊の本かもしれない。でも自分はこの本を読めて本当によかった。全部が全部はっきり腹に落ちて実践できるわけではないけれど、この自分の浮ついた人生の理由が他者にきちんと説明されうるものなのだというのがわかって安心した。またどういう風に心がけていけばいいかの指針をいただいた。これはとても大きい。
簡単に人生は変わるものではないし、自分も急に変われるものではない。でも読書によって自分の中に少しずつ蓄積されていくものがいつかどこかではたらきとなって現れるのではないかと思う。これまでの人生でもそうだったなと思うことがある。生きているってそういうのの積み重ねではないか。
この本は、必要としている人にはとてもはまると思うが必要ない人にはまったくないものだ。自分に違和感がある人、生きづらい人は一度この本を読んでみて自分にこういった原因がないか確認をするのはよいと思う。 -
2024/11/07
著者プロフィール
加藤諦三の作品
本棚登録 :
感想 :
