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感想・レビュー・書評
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第三者である外国人の文章を以て江戸文明を愛惜する愛おしい書物。
幕末の江戸を訪れた異国人の眼から見た江戸の姿が生き生きと描かれる。
渡辺京二の抑えた文章が、かえって異国人の著述を際立たせる。
読み終えるのが惜しい、と切実に思わせる稀有な書物だ。
この超大な書物によって、幻のように立ち現れる、失われし文明の姿。
文明を総体として立ち上げるためにはこれだけの分量でもまだ足りないのだ。
滅んだ文明は、時代が流れると完全に忘却されてしまう。
何故日本人の記録を使わないのか?
日本人の記述では当時の当たり前のことが当たり前として書かれていないからだ。
第三者の異国人の視点は、そうした、当時の日本人にとっては当たり前だが、異国人にとっては奇異に映ること、つまりそれは時代の異なる第三者となってしまった日本人にとって当然ではないことをも浮かび上がらせてくれるのだ。
驚いたのは、幕末江戸の日本人と安土桃山時代の日本人の差異だ。
幕末に日本を訪れた異国人は、江戸の日本人をほとんど「小人の妖精」ホビットのように描いている。
誰もが幸せそうに暮らしている様を驚きを以て描いているのだ。
綺麗な町、瀟洒な家屋、落ち着いた色合いの衣服
まるでファンタジーの世界のようだとだれもが口を揃える。
こうした平和な文明の国に開国を迫る異国人たちの幾人かは、この国の将来を憂うる。
西欧がもたらすものが、この美しい文明を滅ぼしてしまうのではないかと。
つまり幕末の日本人は平和的で穏やかな妖精のような楽園のイメージを異国人に与えたのだ。
ところが、安土城桃山時代、つまり下剋上の戦国時代の日本人はまったく異なる国民のようだ。
この時代日本を訪れた南蛮人、バテレンは多くのレポートを残している。
一番有名なのはルイス•フロイスの「日本史」だ。
その文書によって我々は信長の肉声を、異国人の視点を通じてだが、聞くことが出来る。
同じように、当時日本を訪れた多くの異国人が日本と日本人について語っている。
当時の日本人は皆目をギラギラさせて、一攫千金を目指して命を失うことすら恐れない、妖精とは程遠い、はしっこく抜け目なく油断ならないが、生き生きとした国民がウヨウヨしていたと言うのだ。
戦争が日常化し、死も日常茶飯事の時代。
戦国時代はそうした国民を生み出していたのだ。
そんな時代を終わらせたのが信長、秀吉、家康だが、信長を本能寺で殺した明智光秀の娘の書状が衝撃的だ。
戦闘中の城にいた光秀の娘は、敵方の首を取って味方の軍が戻ってくると、その首級を自分の部屋に持ち込むと、その首に化粧を施して部屋に飾り、そこで寝たと言うのだ!
お姫様ですらこうなのだから、一般市民は言うまでもない。
それが家康の作り上げた260年間のパクス•トクガワーナ(徳川による平和)の末期には、国民は牙を抜かれた妖精になってしまったのだ。
今の日本人はどうなのか、と思わざるを得ない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
名付けて「徳川後期文明」と言われる、西洋世界とのセカンド・コンタクトの時代の来・在日欧米人の見た開国前後の穢れなき日本の観察記録の紹介。開国後の急速な欧米化により消え行く純粋無垢な社会、産業革命以前の自然豊かな世界を欧米人達は日本に発見し、楽しむ。
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江戸末期から明治初期に日本を訪れた外国人たちが記録する日本。著者はここに刻まれた「失われた文明」の断片を丹念に拾い集め、よみがえらせようとする。ロマンティックな異文化趣味や新奇な驚異を強調する面ももちろんあったのだろうが、近代を通過した目に映った前近代が何であったか、は、確かに、明治以降日本人が失ったものを見るのに的確な視座を提供してくれるように思った。
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文明というものの意義は、このように人の体験の核心に喰い入って、その生の意味をあかしするような景観を構築するところにある。欧米人たちが言うように、なるほど日本は自然的条件に恵まれていたにちがいない。だが彼らが讚美した日本の自然美は、あくまでひとつの文明の所産だったのだ。
たとえば松林は照葉樹林を破壊したあとの二次林であり、萩は原生林ではなくそういう二次林にともなう植物である。欧米人が讚美したいわゆる日本的景観は、深山幽谷のそれを除いて、日本人の自然との交互作用、つまりはその暮らしのありかたが形成したものだ。 ましてや景観の一部としての屋根舟や帆掛け舟、船頭の鉢巻、清らかな川原、そして茅 葺屋根やその上に咲くいちはつに至ってはいうまでもない。つまり日本的な自然美というものは、 地形的な景観としてもひとつの文明の産物であるのみならず、自然が四季の景物として意識のなかで馴致されたという意味でも、文明が構築したコスモスだったのである。
そして徳川後期の日本人は、そのコスモスのなかで生の充溢を味わい、宇宙的な時の 循環を個人の生のうちに内部化した。そして、自然に対して意識を開き、万物との照応を自覚することによって生れた生の充溢は、社会の次元においても、人びとのあいだにつよい親和と共感の感情を育てたのである。そしてその親和と共感は、たんに人間どうしの間にとどまるものではなかった。それは生きとし生けるものに対して拡張されたのである。