- Amazon.co.jp ・電子書籍 (10ページ)
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
「自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない」。(Kindle Locations 106-107).
丁度,久しぶりにコーヒーを楽しんだところ,異常に元気になりまさに「人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配されるあわれな存在であるとも思」(Kindle Locations 94-95). わされました. -
コーヒーは一日一杯くらいのむ程度は好きっちゃあ好きだけど、味にこだわりがあるわけではなく、ドリップコーヒーとインスタントコーヒー、缶コーヒーと、違いが分かるのかと言われればきっと分からん。今時の缶コーヒーは美味しいってCMやってるし。
しかしコーヒーとお汁粉の違いなら多分、判別できるだろうし、紅茶とも区別がつくと信じたい。その区別すらあいまいな時代もあったというんだから、まぁ割かし幸せな時代に住んでいるのかもしれないし、まぁ細かい事を気にする面倒な時代に住んでるともいえるわけで。インスタントコーヒーなんて泥水みたいなものだという人もいるので、まぁそこまでいってしまうと、もはや通というか修行な感じがしなくもない。ほどほどが良いなぁ。 -
著者にとって一杯のコーヒーが哲学であり宗教であるなら自分にとってそれに相当するモノは何であろう…と考えてみる。
ふ、と思い浮かんだのはジョギングであり自転車であろう。
あの一種の陶酔感と酩酊感に勝るものは自分の中ではなかなかに代え難いモノである。 -
時代は大きく違えど、コーヒー好きは必読のエッセー。
宗教は酒に似ている。
コーヒーは哲学に似ている。
このあたりの洞察は流石としか言いようがない。 -
寺田寅彦の明晰な文章で、コーヒーに酔って冴えた気分になっている、そういう感覚を味わえます。酒は宗教、コーヒーは哲学、たしかにそんなものかもなと思いました。
-
2015/01/18
-
「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要」 銀とクリスタルが星のようにきらめく舞台にのって、コーヒーの美味さが引き出される、とは。何気なく口にしているコーヒーですが、寅彦氏にかかると、ここまで詩的で優雅なものに変わっていくことに驚きました。銀座の風月は今もあるのでしょうか。
著者プロフィール
寺田寅彦の作品






コーヒー哲学序説を本棚に登録しているひと
-
- akachin0x0
- 2021年2月12日に登録
-
- ぴよこ
- 2019年10月19日に登録
-
- t-i
- 2019年3月11日に登録
-
- yzkawa
- 2018年10月8日に登録
-
- Schumi543
- 2018年5月24日に登録
-
- openyuji
- 2018年4月16日に登録
-
- betapeta
- 2017年8月8日に登録
-
- nougyoutosyoku
- 2017年2月14日に登録
-
- adlib
- 2016年12月17日に登録
-
- moro
- 2020年6月5日に登録
-
- ryucoro
- 2017年8月3日に登録
-
- letterset
- 2017年7月31日に登録
-
- symsk02
- 2016年11月3日に登録
-
- segovia
- 2013年8月24日に登録