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感想・レビュー・書評
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コーヒーは哲学
タイトルに惹かれて、キンドルで読んでみたけれど
興味深かった。
とくに、コーヒーの価値が寺田さんの時代と
私が今行きているこの時代とでこんなにも感覚が違うことに驚かされた。
いつもチェーン店だったりで、気軽に飲んでいるけれど
余裕があるときはこの読んだことを意識してみようと思った。 -
寺田寅彦のこういう文すごいすき
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さすが寺田寅彦。タイトルがそうだけど、コーヒーから哲学、宗教、芸術へ発想を飛ばす。コーヒーは芸術や宗教よりも哲学に似ているという。
この「毒薬」にいとも簡単に「支配」される人間とは、かくも「あわれ」なる存在と、感慨を深くしている。この辺はなぜか、科学者の目を感じた。
ヨーロッパへの留学を、コーヒーを通して述懐しているところは、随筆らしくて楽しかった。スカンジナビアの田舎には、「たたきつけても割れそうもない」コーヒーカップがあったそうだ。 -
「パリの朝食のコーヒーとあの棍棒を輪切りにしたパンは周知の美味である。」
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「自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない」。(Kindle Locations 106-107).
丁度,久しぶりにコーヒーを楽しんだところ,異常に元気になりまさに「人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配されるあわれな存在であるとも思」(Kindle Locations 94-95). わされました. -
コーヒーは一日一杯くらいのむ程度は好きっちゃあ好きだけど、味にこだわりがあるわけではなく、ドリップコーヒーとインスタントコーヒー、缶コーヒーと、違いが分かるのかと言われればきっと分からん。今時の缶コーヒーは美味しいってCMやってるし。
しかしコーヒーとお汁粉の違いなら多分、判別できるだろうし、紅茶とも区別がつくと信じたい。その区別すらあいまいな時代もあったというんだから、まぁ割かし幸せな時代に住んでいるのかもしれないし、まぁ細かい事を気にする面倒な時代に住んでるともいえるわけで。インスタントコーヒーなんて泥水みたいなものだという人もいるので、まぁそこまでいってしまうと、もはや通というか修行な感じがしなくもない。ほどほどが良いなぁ。 -
著者にとって一杯のコーヒーが哲学であり宗教であるなら自分にとってそれに相当するモノは何であろう…と考えてみる。
ふ、と思い浮かんだのはジョギングであり自転車であろう。
あの一種の陶酔感と酩酊感に勝るものは自分の中ではなかなかに代え難いモノである。