堕落論 [Kindle]

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  • 2012年9月13日発売
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  • 人間は堕落する生き物である。例えば終戦を迎え、特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな伴侶に胸をふくらませている。人間は変わらない、ただ人間に戻っただけなのだ。一方、人間はとことんまで堕ちぬくことはできない、何故なら人間は弱い存在だからだ。自分自身のあるべき姿を考えると、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要であり、日本もまた堕ちきる覚悟が必要である。堕ちる道を堕ちきることで、自分自身を発見し、救わなければならないからだ。今後、人間のあるいは日本の姿を真剣に考えるべき時期がきたのかもしれない。

  • 1946年4月1日発行の「新潮」4月号に掲載された坂口の随筆。

    「堕落」のススメである。ただし、「堕落」と言う言葉の意味のとらえ方が重要だ。

    「堕落」とは規律とか規範から外れ、堕ちていき、人として人生の価値観を見失った状態をいうとすれば、著者がここでいう「堕落」は、むしろ逆の意味かもしれない。

    著者は、「これまでの規律や規範から外れ、人間らしさを取り戻せ」と言っているように思う。

    執筆されたのは、まさに終戦直後の混沌とした中で、敗戦という出来事で、従来の規律とか規範が正しいとは限らなくなってきた。価値観が変化してきたのだ。

    若者は国のために潔く散っていくことが正義であった。
    しかし敗戦後、若者は闇屋になった。

    女は戦争未亡人となった後も亡き夫に生涯を捧げることが正義であった。敗戦後も、戦争未亡人の恋愛についての執筆が禁じられた。

    従来の規律や規範から外れることは、真の意味で「堕落」なのか?大きく価値観が転換するなかにおいて、従来の規律や規範を維持することが、真の意味で「堕落」を防ぐことなのか?

    著者は敗戦後、むしろその規律を守らなくなったことで、やっと本来の人間に戻ることができたのだと述べる。

    「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ。その正当な手順の外に、真に人間を救える便利な近道が有りうるだろうか。」という言葉が的確にそのことを言い表している。

    「武士道」とは、人間の弱さを隠すためのものだといい、「天皇」の存在は、政治的な権力を誇示するための手段だというようなことを述べていた。むしろ、これまでの規律・規範こそが、人間本来の姿を虚飾していたものだったと述べているようである。著者は、おそらく戦前からそのようなことに気づいていたのだろうと思う。

    「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」

    「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わねばならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」

    人びとが夢うつつから目覚め、本当の人間性を取り戻すための、「堕落」のススメだ。

  • ポストアポカリプスの世界が現実味を帯びてきた昨今、この先めちゃめちゃ引用されそうな。
    いやほんと今こそみんな読むがいいと思う。


    「戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。
    戦争は終った。
    人間は変りはしない。
    ただ人間へ戻ってきたのだ。
    人間は堕落する。
    義士も聖女も堕落する。
    それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
    人間は生き、人間は堕ちる。
    そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」


    「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
    そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。
    堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
    政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」


    コロナ禍は終わり。世界は変わる。
    人間は堕落する。

    とりあえず連休中は社会的距離を保って楽しく引きこもる。

  • 「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱
    ぜいじゃく
    であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。」

    人間は弱いからこそ、底辺に落ちることができない。どこかで堕ちるストレスを感じて、必ず向上しようとする。

    震災、コロナなど外部環境で自分の生活水準が下がったと感じて不安を抱えも、それはずっと続くわけではなく、いつか居てもたってもいられなり、人間は動き出そうとするのだと、励まされた。

  • 戦争中、人間はお国のためだとか、貞淑だとか雰囲気に流されて上品ぶり、美しいまま死のうとしたが、敗戦によって堕落という人間の本質が顕になった。戦争は人間の虚飾を破壊するものとしての働きをした。しかし堕落は決して悪いものではなく、自分自身で考えるようになることで自分を救うようになる。 汚く生きてもいいじゃない。

  • 戦後リアルタイムに読むと救いの光になる内容だったんだろうなと感じた。今とは価値観や状況が違いすぎるので感想は難しい。堕落が救い!って書いてあるけど現代のリアル堕落者を肯定するものではないです。
    戦時中は堕落もクソもない完全な闇だった。そこを抜けた今、まずは自分自身と向き合い本質を見つけることが救いの第一歩。人間は生きていれば堕落する。その堕落の中でもなんとなくの価値観や人情でお互いけん制し合うのではなく、ちゃんと自分の本質と向き合わなければならない。というようなことが伝えたかったのかなと思いました。ここでの「堕ちる」とは、自分の負の感情や欲求も受け入れることなのかな。

  • これは希望か絶望か諦観か。
    う〜む。とても哲学的なテーマ。
    誰かに解説して欲しい。
    難しいけど今はこの時代の文体を楽しんでます。

  • ・人間は本来堕落するもの。だが、堕落し切るには弱すぎる。
    ・何かしらの決まりや訓戒があることで堕落し切らないように管理されているだけ。
    ・ある程度まで堕落したところで、人間は自らの意思で決まりや訓戒を生み出す。日本人はとくに、心を何か1つの事柄、感情にとどめておくということが苦手だから。
    ・戦時中は難しいことは考える必要がなかった。みんな生きることに必死で、自分が何かを成し得ようだとか、反対に堕ちていくこともなかった。困難をすべての人が共有していたために、それを羨むからこその犯罪は起こるはずもなかった。
    ・戦後は変わってしまった。決まりや訓戒が必要なかった世界から、半年でそれが必要な世界に変わってしまった。
    ・しかし堕落し切るには半年では足りず、堕落しきっていないのに押し付けられた決まりや訓戒では人間は心から納得することができない。
    ・日本が国としてよりよくなるためには、すべての国民が「このままではまずい」と思うところはまで堕落して自発的に、自主的に、決まりを作らないといけない。



    歴史に明るくないのでわかりませんが、戦時中にひとつも犯罪が起きていなかった、ということはないのでは?と思いました。しかし、たしかに今のような誰かが誰かを憎むことによって殺害する、みたいなことはなかったのかもしれないですね。
    安吾の堕落論を適用するのであれば、人間は定期的に堕落が必要なのかなと思いました。それも国単位で。個人の問題ではない。みーんなで堕落して、みーんなでその時々に必要な決まりごとをつくる。これが安吾の言いたかった堕落論なのかな、と解釈しました。
    安吾のいう堕落は、心の赴くままに従うこと。非人間的な決まりごとに抗うこと。非人間的な決まりごとは、人間的なこととは何かを知っているからこそそれを禁ずる決まりごとになるのだから。
    けど、現代の人間に堕落論を求めるのはきっとむずかしいでしょうね。現代人は、堕落しきった先で「どうにかしなきゃ!」と思うより先に、どうにもならない状況に絶望して自ら死を選んだり、他人のせいにして逃げたりするので。
    もしかしたら安吾の時代でもむずかしかったかもしれない。そこは私は生きていないのでわかりませんが…

    1回しか読んでおらず、とても難しかったのでまた何度か読んで考えを深めたいですね。

  • ベルリンからアムステルダムのバスの中で。
    Kindleで読んだ。

  • とても短いので時間的にはサッと読めましたが、寝る前だったためか、全く頭に入ってこない。
    昔の人の文章は難しい。

    ということで、翌日再読。やっぱり難しい。

    すごく短く要約すると、こういうことなのかなと今日のところは解釈している。

    人間は弱い。人間は人間だからこそ指針を守れず堕落する。それは悪いことではない。
    指針は、誰かに与えられるのではなく、自分自身で見出していくことが大切。戦後のこれからは自分らしく生きることがのぞまれる。

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著者プロフィール

(さかぐち・あんご)1906~1955
新潟県生まれ。東洋大学印度倫理学科卒。1931年、同人誌「言葉」に発表した「風博士」が牧野信一に絶賛され注目を集める。太平洋戦争中は執筆量が減るが、1946年に戦後の世相をシニカルに分析した評論「堕落論」と創作「白痴」を発表、“無頼派作家”として一躍時代の寵児となる。純文学だけでなく『不連続殺人事件』や『明治開化安吾捕物帖』などのミステリーも執筆。信長を近代合理主義者とする嚆矢となった『信長』、伝奇小説としても秀逸な「桜の森の満開の下」、「夜長姫と耳男」など時代・歴史小説の名作も少なくない。

「2022年 『小説集 徳川家康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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