学生と読書 ——いかに書を読むべきか—— [Kindle]

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  • 2012年9月13日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 生の探究については、理性知の追求だけでは足りず、神の啓示によって生の真理をとらえ得るというのが本書の主旨です。

    書とは他人の労作であり、贈り物である。
    したがって、書を読むとはかような共存感からの他人の贈り物を受けることを意味する
    その意味において書物とは、人間と人間との心の橋梁であり、人間共働の記念塔である

    書とは他人の生、労作の記録、贈り物である。それは共存者のものではあっても、自分のものではない
    書物にあまりに依頼し、書物が何ものでも与えてくれて、書物からすべてを学び得ると考えるような没我主義であってはならない
    自己の生と、目と、要請とを抱きつつ、書を読む習慣を養わなければならない
    他人の生と労作との成果をただ受容してすまそうとするのは怠惰な態度である
    読書は自信感を与えるものである 読書しないでいると内部が空虚になっていく
    頼山陽 「予を秀才といふはあたらず、よく刻苦すといふはあたれり」

    読書には、人間教養のためのものと、社会において分担すべき職能のためのものとがある
    職能に関する読書はその部門の全般にわたる鳥瞰が欠くべからざるものであるが、そのあいだにも、おのずと自分の特に関心し、選ぶ種目への集注的傾向が必要である。
    「この一芸につながる」という決意は、人間的にも肝要なものである。
    人間教養のための読書は、何人もその人格完成を願い精進するものである。
    青年学生が人生の重要問題に関する自らの「問い」をもって読書することをすすめたい。
    だが、かような「問い」を以て立ち向かうとき、これに適切に答え得る書物がそれほど多いものではないのである、むしろ、そのはなはだ少ないのに以外の感を持つであろう
    自分の問いに、深く、強く、また生きわたって精細にこたえてくれる書物があるならば、それは愛読書になり、指導書になるだとう

    人間教養の最後は、しかしながら、書物によるものではない。
    書物と知性から離れて端的に神の啓示につくまでの人間超克の道程に読書がある
    読書は無意義ではない。啓示を指さす指である

    知性主義は主として現在の文化指導者たちによってとなえられているものである。
    しかし生の真理の重要な部分はむしろ非合理の構造を持ち、それを把握するためにはそれに対応する直観的英知によらねばならぬ。
    啓示なくして、理性知のみによって、生の真理をとらえ得るという考え方そのものがすでに生への要請を平浅ならしめるものである

    目次

    1 書とは何か
    2 生、労作そして自他
    3 教養の読書と専門職能の読書
    4 書物無き世界
    5 知性か啓示か

    青空文庫

    底本 青春をいかに生きるか 角川文庫 角川書店
    1953年09月30日初版発行
    1967年06月30日43版発行
    1981年07月30日改版25版発行
    45頁

  • そのままの内容。いかに読むべきか。時代もあり、堂々とした意見になっている。少し新鮮。読むことに向き合う姿勢は大変共感できるものだった。

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著者プロフィール

1891年広島県生まれ。旧制第一高等学校を病気のため中退。大正期の人道主義的文学を代表する。1943年没。著書に『出家とその弟子』『愛と認識との出発』『絶対的生活』など多数。

「2018年 『新版  法然と親鸞の信仰』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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