犬を連れた奥さん [Kindle]

  • 2012年9月13日発売
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感想・レビュー・書評

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  • チェーホフは実は誰よりも醒めつつ誰よりもロマンチックな人。
    何もかもを批評してしまう冷徹さと、完全に無垢な純真さとが双方向的に発動してしまう。
    だからここで、明らかにインチキな奴を主人公としてわざわざ出しておきながら、誰がみても(特に読者から見て)その行動が軽薄・軽率そのものであるにもかかわらず、彼は無垢・純真そのものを見つけてしまうという一種の破壊行為が為される。それが世間的・社会的に(そして小説的にさえ)全く常識的でなくとも。

    主人公の行動と思考は全く噛み合わない。愚かで無様である。自分だと思っていたものは全く自分自身ではなく、居場所だと思っていたところには、もはや居る場所はない。
    しかし結果や行く末は一切関係なくその瞬間だけを切り取った、その瞬間、真空の時間の中でだけでの真実。ここには全てを剥がれた全裸の詩的本質以外の何物もなく、規範や制度、善悪、利害、社会性や現実性は全く存在する余地がない。それは言わば完全な孤独と言っても良い。

    社会におけるストーリーを異化し破壊すると同時に、小説作法としてのストーリーを異化し、破壊している。本作は形式と内容とが完全に一致した、稀有な小説なのだ。

    チェーホフにおけるオープンエンディングとは、余韻を持たせたり、その後を暗示したり考えさせたりする事を意図しているのではない。そこで時間を「止める」事を意図しているのだ。「流れる」というストーリーの機能を破壊している。だから、その先は、何と「存在しない」のである。だから二人はきっと暗がりで永遠に震えているのだろう。
    時間が壊してしまう事を保存するには、時間を止めるしかないのだ。

    更に、種明かしをするなら、この二人は『ねむい』のワーリカが二人になったものでもある。

  • いろんな本を読んでいると、至るところでチェーホフの名前や作品のことを目にする。そこで初チェーホフとして、代表作のひとつである本作を選び読んでみた。
    本作品は短編で結論が出ないまま終わる。登場人物の男性に魅力を感じないし、成り行きに共感もできない。 時代を超え世界的に評価の高い作家の代表作品に対する私の感想はあまりにお粗末。チェーホフの作品について調べてみると、『作者はひたすら客観的描写に徹する。結末は読者の判断に委ねる。』という特徴があった。

    実はこの前に宮沢賢治『猫の事務所』を読んだが、内容は全く違うのに似通った読後感を持ったので調べていくと、梯久美子氏の『サガレン』にいきつき、チェーホフと賢治の関連性や感性について知ることができたのは興味深かった。
    両者の作品ともに私には難しく、理解が及んでないが、今後まずはチェーホフの他の作品や、同じ作品の別の翻訳で読み比べをして、チェーホフに近づきたいと思った。

  • 既婚者同士の旅先でのアバンチュール。ロシア版「黄昏流星群」。
    クリミヤ半島にある保養地ヤルタでの、ロシアの銀行員と若く美しい人妻との2週間の出会い。恋はないとおもっていたが・・・
    ドミトリー・ドミトリッチ・グーロフ、アンナ
    モスクワに帰って、会食・カード・有名人の来客など日常生活にすんなりと戻るも2か月ほどしてもアンナが忘れられなくなる、「追憶」という言葉がまさにそれ。そして二人会うところまで。
    1899~1904年ころの作品。いつの時代にも心のない不倫、そして日常生活、その後もう一度追憶、そして泥沼というのはあるものだと。

    アントンチェーホフの本
    チェーホフの物語は外的な筋をほとんど持たない。その中心は登場人物たちの内面にあり、会話の端や細かな言葉、ト書きに注目するほかない。しばしば語られることではあるが、チェーホフの小説や劇においては何も起こらない。あるいはロシア人研究者チュダコーフが指摘するように、「何かが起こっても、何も起こらない」。

  • 『1Q84』を読んでいたらチェーホフが出てきて、ロシア?劇作家?桜の園?くらいのイメージしかなかったので、短めのものをと、読んでみた。

    イメージとしては大正から昭和初期の小説に出てくるような有閑なブルジョワの一夏のアバンチュールが忘れられなくて…みたいなストーリーかと見受けられる。

    時代が変われど、国が違えど、何処も同じか、と思えば苦笑いも出るというもの。

  • 不倫はいつの時代も悪であり、同時に魅力的なんだなぁと思った。

  • 読み返し。
    記憶の中にある結末と全然違っていたことにびっくり。

  • 「不倫したい女」というシネマを見ていたら、チェーホフの「犬を連れた奥さん」のオマージュでした。そこで原作を読むことにしました。若い人妻と年齢はダブルスコアの妻子持ちの男との不倫の話です。物語ではなく、心の動きにこだわり、短編で鮮やかに切り取ってみせたところがチェーホフの新感覚だったのでしょう。作中に出てくる「芸者」という芝居はシドニー・ジョーンズのオペラのことでしょうか?一度、見てみたいものです。

  • 「役にも立たぬ手なぐさみや、一つの話題のくどくど話に、一日で一番いい時間と最上の精力をとられて、とどのつまり残るものといったら、何やらこう尻尾も翼も失せたような生活、何やらこう痴けきった代物だが、さりとて出て行きも逃げ出しもできないところは、癲狂院か監獄へ打ち込まれたのにそっくりだ。」

    ロシア的退廃。女は貴族的生活を送っているがそこに愛は無いと言う。安定しきった環境に身を置くと、それがいかに素晴らしいものかわからなくなる。男は、女に一目惚れし忘れられない。家庭がありながら、その女に惚れ込んでしまう。結局、その女の醸し出す不幸に惑わされているにすぎない。二人は、隠れて会う。そして、二人で幸せになろうと考える。しかし、私は思う。彼らは特別な状況だから惹かれあっているだけだ、と。彼らがうまく二人で生活できるようになったとしても、女は過去を思い出し嘆き、男はそれを見て後悔する。それがロシア的退廃の進む道だ。

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著者プロフィール

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860~1904)
1860年、南ロシアの町タガンローグで雑貨商の三男として生まれる。
1879年にモスクワ大学医学部に入学し、勉学のかたわら一家を養うためにユーモア小説を書く。
1888年に中篇小説『曠野』を書いたころから本格的な文学作品を書きはじめる。
1890年にサハリン島の流刑地の実情を調査し、その見聞を『サハリン島』にまとめる。『犬を連れた奥さん』『六号室』など短篇・中篇の名手であるが、1890年代末以降、スタニスラフスキー率いるモスクワ芸術座と繋がりをもち、『かもめ』『桜の園』など演劇界に革新をもたらした四大劇を発表する。持病の結核のため1904年、44歳の若さで亡くなるが、人間の無気力、矛盾、俗物性などを描き出す彼の作品はいまも世界じゅうで読まれ上演されている。

「2020年 『[新訳] 桜の園』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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