アンドロイドは電気羊の夢を見るか? [Kindle]

  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • 原作を読む前に例の映画を見ちゃって、「よく分かんないけど多分オシャレ…」的な事を思っちゃった自分のアホさ加減が恥ずかしくて、勝手に苦手意識を持ってた作品。
    いやでも気にはなってた。だってこのタイトル…。上手すぎる…。

    そして私はやっぱり映像より文字の方が向いているらしい。考えだすとぐるぐる回っちゃうくらいに考えてる。
    読んでよかった。感情についてぐるぐる考えて続けてるけど。

  • 映画とはだいぶ違うのね…。でも、映画を観ていたおかげですんなり入り込めて面白く読めた。主人公のリックより、アンドロイドなどの脇役に感情移入してしまったのは映画と同じ。小説では、ロイが映画ほど存在感がなくて残念だったけど、哀れなイジドアをついつい自分と重ねてしまい、たまらない気持ちになった。イジドア好きだよ。イジドアも映画で観たい。あと、マーサー教の教祖が登場する場面も印象的。マーサー教に関しては、もう1回読んでじっくり考えてみたい気がした。映画の比類なきかっこよさと哀切さに、小説では文章ならではの滑稽さが加わってたのもよかったと思う。でも、私が一番好きでかっこいいと思うのはやっぱり映画でのロイの死にざまだよなあ…。

  • 2017/8/8読了。
    『高い城の男』を読んだので、ディックをもう一冊。
    十代の頃にサイバーパンク関連読書として一度読んだのだが、ブレードランナーの原作にしちゃ地味だなと思ったのが当時の感想。ディックは他にも何冊か読んだが、本書における「動物を飼うステータス」みたいな独特の価値律(『高い城の男』なら易経とかコレクションに与えられている意味合い)に馴染めなかった記憶がある。
    中年になって読み返してみた感想は、こんなに分かりやすい話だったのか、十代の俺ってどうやって小説を読んでたんだろう、というものになった。歳をとるって素晴らしいな。
    本書に描かれたSF的なセンスオブワンダーがもはやワンダーとして機能しなくなっている時代に読み返したのも良かったのかもしれない。もはやSFとしてではなく、一般小説として読まれるべき作品かもしれない。その方が本書のテーマも理解しやすい。だから本書は古典として読み継がれているのだろうな。

  • 森博嗣著『彼女は一人で歩くのか?』の各章冒頭に引用されていた本作。題名に"アンドロイド"と付いてたら読むしかない。海外ものはだいたい途中挫折してしまうのに、このSF小説は読みやすかった。
    アンドロイドが改良され、人間との区別が難しくなった時代。アンドロイドと人間の違いは、感情移入できるかどうかにあると。これが1968年に書かれたものだなんて。まだまだ新しく読める。訳者あとがきがまたいい。
    Kindleで読んだのだがここで一言言わせて欲しい。この黒地に黄色のカッコいい表紙が、画面いっぱいに再生されないのは何故なんだ!

    情調(ムード)オルガン/特殊者(スペシャル)/共感(エンパシー)ボックス/ネクサス6型脳ユニット/フォークト=カンプフ感情移入(エンパシー)度検査法/マーサー教

  • ブレードランナーの原作、深いなぁと思いました。独特の世界です。映画も独特だったけど、小説にはもっと期待してました。個人的にはもう少しスピード感が欲しかったです。

  • 本の主題は、機械と人間の差ということらしいけど、日本人としては、これが書かれた時代にアメリカで一般的と思われる中流サラリーマン夫婦の姿が描かれている、と思った方が良いのだろうか?
    一日中家の中に閉じ込められている不満からヒステリックな妻。
    世間体の維持に必要なローン支払のために働く夫。(ここでは動物だけど、クルマとしても良いし、庭付きの家としても良いんだろう)
    テクノロジを介さないと維持できない夫婦関係。
    ちょっとしたアバンチュールとその破綻。
    プチ家出。
    そして最後は、実は奥さんはやっぱり優しい女でした、というありがちな結末。
    一昔前、日本でも散々制作放送された一山いくらのテレビドラマみたいで、それにSFガジェットを被せてみた、というところなんだろう。
    そういう意味では、日本もアメリカ並みになったということか、それとも日本でも昔からそんなの普通だったけれど、人前に晒すことが可能になったということなのか。
    ----
    以上はディックへの解説にもよく書かれていることなんだけど、自分であらためて、こういうことなんだと書いてみると、なんだかしっくり来るなあ。

  • SFの世界観もさることながら、小説としてよく考えさせられる面白さがあった。アンドロイドが身近になり労働力に代わる現代において、この話はただのフィクションには感じられない。
    コロナ渦で人々が孤立し、孤独を感じ、エンパシーを失いつつある中でもう一度人間性を考える機会になった。

  • 未来では、人間はペンフィールド情調オルガンという機械にて自分の感情をコントロール出来るようになっており、人間がだんだんアンドロイドに近くなっていっている。
    一方、アンドロイドもどんどん高性能化しており人間より有能な脳ユニットを搭載するまでに至っており、人間とアンドロイドの境界が狭くなっているというお話。

    主人公であるバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)のリック・デッカード(妻有り)はアンドロイドのレイチェル・ローゼンと肉体関係をもってしまう。
    人間界で言えば、いわば不倫である。
    情事の後、リックは「もし、おれが合法的にきみと結婚できたら、おれはそうしただろう」と、不倫男の常套句をレイチェルに言う。
    後にレイチェルは「あなたはわたしよりもその山羊を愛しているのね。たぶん、奥さんより以上に。一が山羊、二が奥さんで、そのつぎがー」と自分は2番手、3番手だとシッカリ気付く。
    この瞬間がアンドロイドが人間と同等の自我を持った瞬間だと俺は感じた。

    アンドロイドのレイチェルは不倫相手が大事にしている山羊を殺す。しかも、奥さんにワザと見せつけるようなかたちで。
    この感情は嫉妬や妬みという人間の感情だと思う。
    この事こそがアンドロイドが人間と同等の自我を持ってしまった事の証左だと思う。
    レイチェルもしくは、その次期型のアンドロイドはもう感情移入度検査法では検出できなくなるのだと思う。

    このレイチェルと対をなす形で描かれているのがアンドロイドのプリス・ストラットン。
    二人(二体)は同じ容姿をした同じ型のアンドロイド。
    プリスは無感情にクモを虐待するが、レイチェルは感情を伴って山羊を殺す。
    この対比がレイチェルが感情を持ってしまった事を強調的に示していると思う。

    主人公のリックと対をなす形で描かれているのがジョン・イジドア。
    リックは適格者(レギュラー)でイジドアは特殊者(スペシャル)。
    イジドアはプリスにクモを虐待され、リックはレイチェルに山羊を殺される。
    二人とも自分の大切にしている生き物をアンドロイドに(虐待・殺)されてしまう事で精神が崩壊していく。

    最後、精神が壊れかけたリックは電気ヒキガエルを本物のカエルと見間違える。それを家に持ち帰るという思い付きでやっと家に帰る事ができる。
    リックの心を癒すのは、情調オルガンという機械ではなく奥さんのリックを思いやる心だろう、というのが著者の願いだと思う。


    有名な本でタイトルからして難しそうなイメージだったが、翻訳者の力か大変読みやすかった。
    この著者の別の本も読んでみたいし、2度にわたって映画化されているみたいなので、映画も観てみたい。

  • B。
    「ブレードランナー」の原作ときいて読んでみた。
    SFSFしていないので読みやすい。
    展開も早く集中して読んでいたのだが終わりが、え?という感じ。よくわからない。SFだからいいのか?

  • アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
    (和書)2009年02月05日 20:07
    1977 早川書房 フィリップ・K・ディック, 浅倉 久志


    映画「ブレードランナー」の原作と言うことで以前から読もうと思っていた作品です。図書館で借りてきました。

    ネクサス6型アンドロイドが人間に限りなく近い存在になっていてその人間を超える知性の高さが描かれている。知性とは何かということを問い直すことができるのではないかと思うがこの作品ではその知性が何なのかを明らかにすることは無かった。そこを掘り下げればもっとラディカルで自己言及的な哲学的作品になったのではないかと思う。別に哲学的だから良いと言うわけではないけど。文学として近未来の人間に限りなく近くなったアンドロイド・ネクサス6型の存在又は特殊者(スペシャル)が所謂人間の批判として宗教の批判(マルクス)としてその存在を貶め・隷属し・見捨て・蔑視するようなものとして描いているがその諸関係をもっと批判的に描いていたら単なるSFを超えた世界文学になったのではないかと思う。

    最終世界大戦後の放射能灰に怯え、生物が絶滅寸前に追い込まれ生物を所有することがステータスシンボル又は精神安定剤となっている世界観は映画とは全く違って滑稽に見えるものでした。

    バウンティ・ハンターがネクサス6型を抹殺いていく課程でネクサス6型を愛してしまうシーンは映画と同じで魅力のありました。

    ネクサス6型が人間以上とも言える高い知性を持ちながらリック・デッカートに呆気なく殺されてしまうところはもっと白熱した戦いがあっても良かった。

    ネクサス6型がテレビに拘るシーンでは知性はテレビ番組を見るためあるのではないよって突っ込みたくなりました。そんな知性なら高いも何もないよ。知性=俗物なのか?それでは救いがないよね。人間に近くなることが良いとは言えない・・それを超えるとはどういうことなのか?ということを考えてしまう。

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著者プロフィール

Philip K. Dick

「2009年 『髑髏』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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