ハーモニー (ハヤカワ文庫JA) [Kindle]

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  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • 初、伊藤計劃。Kindleバーゲンにて購入。本文がetmlという、XML (HTML)ライクな記述がされていて、人の感情がエレメントとして表記されているのが最初違和感があった(あまりに説明的過ぎる)が、なるほど!そういうことか…と。

    2009年に既に鬼籍に入られているということで、テーマが人間の完全なる調和(ハーモニー)、WatchMeによる失病のない世界というのが笑えない。

    SFは、その世界観にどこまで入り込めるか?が面白さの1要素と思うが、最後震撼するところまで含めて大変楽しめました。

  • 本作品のテーマは「ユートピアの臨界点」
    極めて高度な医療福祉社会を成立させた社会の中では、息苦しさが潜んでいる。大人はそれすらも医療で解決?を図ることができるが、社会の高度化とは裏腹に、こうした息苦しさで自殺する子供は絶えることがない。そして、主人公の個人的因縁も絡めて、「意識」「人間」「幸福」とはなにかを考えさせられる。

    SF小説として、ユートピアの影に大衆の気づかないディストピアが紛れ込むという構成は物珍しいものではないかもしれない。しかしながらこの作品は、こうした様々な社会的問題の提起をしておきながら、最終的に個人の決着として終焉するところは珍しい様に感じる。

    伊藤計劃は、この作品を病に侵されながら綴った。これから自らの生命が終わろうとする中で、完全福祉社会に真の幸福、人間性を問うたこの作品は、彼の最後の魂の叫びに思えてしまう。

  • 近未来的な設定や、テーマ、人間や生に関する哲学的な問いという点では面白い作品なのかもしれない。けど、ストーリー展開がまどろっこしく、もう読まないかな。。

  • ハードSFの皮を被った中二病感という、これまでに読んだことのない小説。

  • 世界の終わり(この物語の表現では「大災禍」)以後を描いています。「近未来SFもの」(虐殺器官、1984年など)は、現代の延長線を予測して物語が書かれていると思います。「ポスト世界の終わりもの」(ハーモニー、すばらしい新世界など)は、現代から何百年か先の世界を描きます。だからか、物語の予測の作用が薄れていると思います。現代と価値観があべこべだったり、一見するとユートピアの世界を描いていきます。また、「ポスト世界の終わりもの」は、物語にガジェットを描くさい、作者の知識、才能が問われると思います。

     「世界の終わりもの」(ザ・ロード)、「歴史改変もの」(屍者の帝国、高い城の男など)、「ユートピアもの」(ガラス玉演戯、1984年<読み方によってはそのように捉えられる>など)。SFは多種多様だと思います。
     
     ハーモニーは、現代から五十~六十年先の世界が舞台ですが、エピローグを読むと、おそらくそこから、物語時間はさらに進んでいることが分かります。物語作者(伊藤計劃を指していない)は、何のために作品(テクスト)を書いたか? エピローグで、テクストは「感情」を生気したり、メタ的な機能(たとえば拡現や地図?)を「実感」しながら読める、と書かれています。そして、このテクスト(物語読者が読んだテクスト)のみが「感情」を生起させることができるトリガーだ、とも書かれています。テクストは、聖書と似た働きをしていると思います。

     「生存上、喜怒哀楽が要求される局面は、人類が完全に社会化された現在においてはあまりに少ない」と書かれています。逆にまだ、意識は多少は必要とされていると思います。また、テクストでwatchmeを入れていない人たちがいることが分かります。おそらく、物語時間から何百年、何千年先かわかりませんが、周縁の人たちから、再び「意識」を身に付ける人が出てくると思います(エピローグの物語時間で、既に意識を身に付けている?)。エピローグから、テクストは、意識を身に付けている人々(周縁)が、完全に社会化された人々(中心)に流しているフェイクではないか? と感じました。

    僕は、「意識」は必要だと思うので、以上のような感想を書きました。蛇足ですが、作品(ハーモニー)で「老人」という言葉がよく出てきます。日本では、「老人」が「中心」に居ると思います。そして、社会の動乱期に「若者」が台頭すると思います。過去の例では、幕末の動乱期や、近代以降の戦時中など。特に後者は「老人」に「若者」が使われた例だと思います。

  • ストーリーは面白い。文明がさらに進化した未来に起こりうるであろう社会をサスペンス調に創造。スピード感にも問題ないが、無駄に飾った描写が多く気が散る。

  • 伊藤計劃の遺作です。癌に侵されていた彼が著した本。高度医療経済社会という独特な世界観で話しが展開していきます。この本の感想ではないんですが、伊藤先生の本をもう少し読んでみたかったですね。

  • これは未来を予想した本。
    あくまであり得る1つの可能性でしかないが。。

    しかし、今の社会状況を理解して、今後を予測すると、この本の世界にかなり近いところに辿り着くのではないか?

    そう感じる。

  • 映画版を先に観たのだけれども(2015/11/22)、正直あまり良い映画だったとは思わなかった上に、もう完全に内容を忘れていた。読み返すとこんな話だったか……とほとんど覚えていないことに驚く。
    伊藤計劃を読もう読もうと思っていてようやく読めた。文庫版の真っ白い表紙も印象的だが新書?版の少女二人の表紙も内容になかなか合っているのでは無いか。
    いかにもSFらしいSFという感じ(html風の文体も含めて)。本というデッドメディアで読まず電子書籍で読んでしまった。
    虐殺器官も読まねばな。

  • <社会学的側面>
    小説だが、社会学の教科書としても使えそう。
    例えば酒を禁止している「生府ヴァイガメント」は世界に26しかないという。それでも生命主義の人々が飲酒を悪と見なすのは、「常識」「空気」に縛られているから。

    <社会の在処>
    確かに人類は誤った選択を数多くしてきた。
    その選択のために多くの人が死に、もしかすると現実でも、この小説では2019年に起きたという「大災禍ザ・メイルストロム」が起きるかもしれない。数か月後に起きるんだってよ、怖~い(時の流れの早さが)。
    だからといって、人間を人間たらしめている(と我々が思い込んでいる)意識を人間から取り去ってしまったら、それらが成す社会は、果たして我々が望む社会だろうか。
    自由意志に基づいた人間の構成物たる社会こそが、我々が社会の発見以降追い求めてきたものではないか、と私は思う。

    <意識のない「人間」>
    物語は、WatchMeをインストールしていた人間すべてが意識/意志を失い、世界に真のハーモニーがもたらされて幕を閉じる。
    しかし、その設定上、おそらく主人公トァンがバグダッドの門の外で見たような、WatchMeに頼らず生きている人たちは、意識を持った人間として生存しているのだろう。
    そのような人たちから見て、意識を剥奪された生命主義圏の人はどう映るのだろう。
    ミァハの出自である、チェチェン付近の「意識を持たない」民族、彼らが研究対象となるまで完璧な社会生活を送っていたということは、ハーモニー・プログラム発動後の人々を、何ら違和感なく受け入れることができるだろうか。

    また、選択の必要がないという状態は、想像することができない。
    我々は常に選択にさらされている。
    偶然見つけたかわいい服を買うか買わないか、試着するかしないか。
    また、現在私が直面しているところでいうと、夜食を食べるか食べないか。
    自明に行動するとなれば、きっと手持ちの資金が潤沢で、新しい服が必要な人であれば、試着をしてみて、自分に合うサイズの服を買うだろう。
    しかし、金がないなら試着をすることもしないだろう、買わないのだからその必要がない。
    いずれにせよ、夜食は健康に悪いので、食べることはないのだろうが。

    こう考えてみると、報酬系に拠らない、意識のない人間というのは実につまらない。
    散財してしまった時の、いい服を手にした喜びと、「あぁ、またやってしまった」という小さな後悔を、夜食を食べるということの背徳的な楽しさを知らない。
    もしかすると、感情すらプログラムされているということだったから、例えば赤ちゃんを授かったら嬉しいと思い、親が老衰で亡くなったら悲しいと感じるのかもしれない。
    しかし、文中にあったように、それらは現実の我々からすれば、ロボットが感情のまねごとをしているようなもので、到底受け入れられるものではない。

    だが、意識がない人間の生き方を否定することも、不可能である。
    というのは、生命が地球に誕生して以降、あらゆる生命は子孫を残すことを第一に考えてきた。
    アメーバは分裂して、「自分」を増やしていく。植物は花を咲かせ、雌雄の出会いを待っている。雄のカブトムシは互いに争い、雌と交尾する権利を求めている。……
    であるならば、意識を持たない人間が、その自明な在り方に基づいて、他者と出会い、交際して結婚し、子どもを何人か(きっと人口水準置換率の2.06人)もうけるならば、それは生命として大変立派で、且つ当然の営みをこなすことになる。
    人間が意識をなくし、然して生殖をするようなプログラムを施されているならば、それは合理的に生命としての責務を果たす生命体なのではないか。
    むしろ、(彼らに意志がないと仮定するが、)人間が意識を失った状態で存続していくことを否定するならば、アメーバは一体なんなのか。彼らの生を否定することになる。

    人間は、意識という構造物の中で、数多くの過ちを犯してきた。
    意識がなくなり、皆が人類の健康な繁栄のために自明に行動できるのならば、それはきっと、幸せと呼んでもいいもの、のはずだ。
    しかし、意識をもつ「わたし」は、間違いなく意識の喪失を恐れており、「わたし」の思念にどうしようもなく依存している。
    否定できないはずのものを、否定したがっている。
    こういう不合理な感情のもとに、不合理な選択をしてしまうのが、現実に意識をもつとされる人類なのであって、それこそが、現代社会で珍重される「個性」なのだろう。

    <外注される生>
    私が豚を食べるためには、豚は育てられ、殺され、処理され、出荷され、スーパーかどこかに陳列されなければならない。
    しかし、この各過程の多くは現在別々の人によっておこなわれており(社会的な作用ですこと)、私は豚が死ぬ瞬間に上げる声など知らないままで、豚を食べることができる。
    これを自身の免疫系にまで拡大したのが今作のメインのひとつ、医療の外注である。
    メディモルに体内から監視される人々は、風邪も頭痛も知らないという。

    かわいそうだと思った。

    私が生きていることを実感した瞬間のひとつに、ひどいウイルス性胃腸炎にかかったときが挙げられる。
    そのとき私が催していた嘔吐感は凄まじく、しばらく何も食べていなかった。
    その結果、そこそこな栄養失調状態だったのだろうか。病院で点滴を受けたら、それまで平熱だったのにみるみる熱が上がり、活動をやめていた腸が必要以上に動き出した。
    病状だけ見ると点滴の結果体調は見事に悪化したのだが、その実私の身体は、有害な菌を殺したり出したりしようとする元気を取り戻していた。

    また、リストカットをする人たちがいる。
    私はしたことはないが、気持ちはわからないでもない。
    献血をしたときのことだが、針が腕に差し込まれただけで、針には吸引作用なんてないのに、血が管の中に勢いよく出ていったのをよく覚えている。
    あ、私って生きているんだ、と、自分の生を初めて視覚的に体験したのである。
    リスカがそれに近い感覚でおこなわれるものなら、私はそれにすがる気持ちを知っている。

    そうして生を実感するツールを奪われた人たちが、自殺するのは、最後に残された、自分の生を経験するための手段だったのだろう。
    だから私は、生命主義の中で自殺した人に心から同情するし、風邪も頭痛も知らない人を、生を知ることのない人だと見なしてしまうのだと思う。


    <その他>
    ときどき挟まるマークアップ言語は拡現オーグ(拡張現実のことだろうね)を、読み手も実装して見ているような気になれて、おもしろい仕組みだったと思う。


    長々と書くのはいつもの癖だけど、今回はあらすじほぼなしで自分の感想を書きまくるっていう珍しいパターンでした。
    普段まともな感想なんて抱けない人種なのに……よほど印象的だった模様。
    虐殺器官も是非読んでみたくなりました。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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