ハーモニー (ハヤカワ文庫JA) [Kindle]

著者 :
  • 早川書房
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レビュー : 69
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感想・レビュー・書評

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  • SFとかほとんど読んだことがないくらい苦手なくせに、設定が妙に好みだったから、ものは試しにと読んでみた。
    これが、とっても素晴らしい!
    本当に、素晴らしい。この作家さんの文章力に裏打ちされたからこその、作品。もうすごく、描写が上手。
    思春期まさしく反抗期真っ只中の少女たちが、ただ長生きすることを幸福と定義した世界を嫌悪して、死のうとしたこと。それから十三年後、世界は何も変わっていなかった。
    そんな若い3人の女の子がまた可愛くて、ずっとこの3人を見ていたかっただけに物語の成り行きはとてもつらいけれど。
    あと最後の二人の対決シーンが、物語の大きさの割には個人の中に収まり過ぎちゃって不満かなあ、と思ったけれど、「個人」という単位こそがこの物語の主軸になって来るので、そういう意味ではやっぱり正しいのだろうか。

    本当の幸福って、何だろう?
    お金があること、健康であること。幸せな家庭があること。素晴らしい文化に触れていられること。
    ラストは、全てが壊れた。
    それもまた、幸福の一つかもしれない。
    でもきっと、もう人は幸福を感じることも、知ることもないんだろうけど。

  • 人は、魂がないと意志がないと、人ではないのかな?!

    面白く読了しました。脳内で葛藤し選択することが意志とする部分は良くできてるなぁっと。

  • 「うん、ごめんね、ミァハ」
    この一言が印象的な物語だった。キアンもトァンもずっとミァハをひとりにしてしまったことを心の奥底に隠して成長した。そしてミァハもきっと、12歳の時から罪悪感を抱えて生きていたのだろう。

    世界観は非常にキリスト的だと思う。人間は自然の支配者であり、それを抑えつけ管理する義務がある。そしてその人間は原罪を背負った存在という前提。
    だからこそ人間は自らを管理しなければならないし、悪に染まりやすい意思を必要としない行動決定プログラムがあればなお良い。祝福の言葉もそりゃ「祝詞」ではなく「ハレルヤ」になる。そんな流れになるのは必至だったのかもしれない。
    トァンはそれを「外注化」と呼んでいた。

    そんな空気に反して、トァンは自己意識を行動決定の最優先としている。「わたし」をどこまでも大事にし、最後まで優先したからこそ、トァンは敗残者になったのだと思う。

    個人的に、ディストピア小説を書く作家は、誰よりも人類の可能性を信じているのだと思っている。
    トァンが苦痛に感じる世界の「空気」に近いものは現代にもあるし、ハーモニーも決してあり得ない未来ではない。しかし管理社会にもはみ出し者がいるという描写によって、残る希望を描くことを忘れない。
    想像の世界を書いて現代に警鐘を鳴らすことができる文学はすごいなあと語彙力がないながらに思う。
    きっとハーモニーという作品は永遠に近いところまで残るのだろう。

  • 未知のウィルスと戦争により世界が崩壊した大災禍(ザ・メイルストロム)を経験した人類が、
    二度と同じことを起こすまいと体内監視システム、WatchMeを開発した。
    人々は、WatchMeを体内にインストールし、健康状態を常にWatchMeに把握・監視されている。
    WatchMeで異常を検知すると、リンクしている個人用医療薬製薬システム(メディケア)がどんな万能薬でも作ってくれる。
    WatchMeがあることで、全ての病気は消滅し、体型についても管理され、太りすぎもせず、痩せすぎもしない皆が皆同じ世界の話。


    昨今、私たちの存在する現実の世界では、著名人の病気の告白が増えている。
    自分と同世代の著名人が闘病生活をしているのを見て、応援する気持ちと、自分は大丈夫なのだろうかと不安になる人も少なくないはずだ。
    病気にならないこと。それは人々が、お正月のお参りや、流れ星に向かってお祈りするほど願ってやまないことだ。
    では、病気や痛みがない世界、それは果たして幸せなのだろうか。
    WatchMeで身体を監視される世界、それを望むだろうか。答えはNOだ。

    作中の主人公トァンと敵対する、ヴァシロフという人物の言葉が心にひっかかる。
    WatchMeがオフラインになるエリアで、銃撃戦の末に胸を銃で打ち抜かれ、呼吸をするのも難しい中、こんな言葉を言う。
    > 「ものすごく、苦しい。苦しいんだ。ああ、こいつが痛みってヤツなんだな。WatchMeとメディケアめ、人間の身体にこんな感覚があるなんて、よく隠しおおせたもんだ。」

    痛みには様々な痛みがある。心の痛み。体の痛み。
    痛みを感じることで他者の痛みも理解することができる、人に優しくなれる。それが成長だ。
    例えば、上司にきつい言葉をかけられ、傷ついたとしよう。自分が上司になったら同じ言い方はしないと心に誓う。これは痛みを知っているからこそ思うことだ。
    お酒を飲みすぎた翌日、頭痛、胃痛に悩まされる。身体がSOSを出していることを感じ、反省し、身体を休ませる。
    自分自身で管理することで自分自身を知ることができる。
    私たちの身体と心(意識)は常に一心同体であり、生まれてから死ぬまで切り離せないものである。身体と会話をすることはとても大事なことだ。

    作中のヴァシロフがどこまで感じてこの言葉を言ったのか分からないが、
    今まで感じたことのなかった痛みを感じることに幸せを感じているように思う。

    程度の差はあれ、痛みを知ることは身近に溢れている。
    病気や痛みがない世界は、トァンがそう言っているように、まっぴらだ。

    > <i:WatchMeがからだに入るのは、おとなのあかし>
    > そして女子高生のわたしはといえば、おとなになるなんてまっぴらだった。


    作中ではWatchMeをインストールしていない子供や、インストールしていない後進国の人々と、
    インストールしている上でハーモニー・プログラム(調和のとれた意思を脳に設定するシステム)を発動された人々とが共存する世界で、
    その後、どうなるのか、については描かれていない。
    個人的には、インストールしていない人々が技術を制圧して、"人"らしく生きる世界になっていてほしいなと思う。

    今日の医療技術の発展は目覚ましい。
    遠い未来だと思っていたことがもう実現の目の前だったりすることがある。
    WatchMeのような体内管理システムが導入される日が実は近いかもしれない。

  • 病気なんてなくなればいいのに、と誰もが思ったことがあるのではないだろうか。
    病気がない、みんなが健康で思いやりを持ち、自らが社会的リソースであると、強く思わされる世界。
    実際にそんな世界に生まれたら、どう感じるのだろうか。
    優しさでゆっくり絞め殺される、と作中で表現されているが、この表現こそがわたしを絞めつけている。

    普段あまり読書をしない人には、あまりオススメできないが、読書好きには絶対読んでもらいたい作品。

  • SFはもともと苦手で、この作品も読みながら自分の頭の悪さをしみじみと感じた。読むのに時間がかかりながらも、すべてが完璧に制御され病気や苦痛が存在しない世界というのは、果たしてユートピアなのかディストピアなのか…と考え込まされた。

    けれど、作者自身が34歳という若さで肺ガンに冒され、病床で書いた最後の作品がこれだったと知ったとき、作品が生々しく迫ってきて一気に涙があふれた。

    最後のページにある謝辞を何度も眺めた。

    「感謝を捧げます―私の困難な時にあって支えてくれた両親、叔父母に。」

  • 2019年、アメリカ合衆国で発生した暴動をきっかけに全世界で戦争と未知のウィルスが蔓延した「大災禍(ザ・メイルストロム)」によって従来の政府は崩壊し、新たな統治機構「生府」の下で高度な医療経済社会が築かれ、そこに参加する人々自身が公共のリソースとみなされ、社会のために健康・幸福であれと願う世界が構築された。
    ある年齢に達した人々にはWatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムが埋められ、分子レベルで健康状態が監視され問題が生じた場合にはメディケアと呼ばれる個人用医療薬精製システムが家庭にながら治療を行う。
    ここまではバラ色の未来ではあるが、将来予想される生活習慣病を未然に防ぐ栄養摂取及び生活パターンに関する助言の提供がなされるようになる。ハード面での医療に加えメンタルケア、生活パターンに対するケアまで生府が行うようになる。慈愛と思いやりが人々に安全で幸福な生活を約束する。そんな中で麻薬はもちろん、喫煙・飲酒はもちろん、コーヒー等の覚醒を促すような飲料は忌避されるようになる。法律で禁止されるわけではなく慈愛と思いやりを使ってである。
    人々が自分自身の管理を外注に出した世界である。
    こうした世界で伊藤計劃が提示したテーゼは「ある程度まで相互扶助が保たれる社会システムが組み上がってしまえば、実は意識などという時代遅れの機能は不要になって消し去られる運命にあることを示しているのではないか」ということである。
    そもそも、人間の行動はその大半が意識なく自動的に行われている。たとえば、今私がやっている文章を書くという作業というのも、ほぼ自動作業であり、今までため込んだデータベースから言葉を引き出しているのにすぎないのである。人間の意思決定は(自動的に)おこなった行動の理由付けにすぎないともいえるのである。
    意思が行動を司るのでは無く、行動が心を生むのである。生物の単純な形のもの原生動物の類いが何らかの意思のもとで行動しているわけではないように、生物は先ず行動があってやがていつの時からか派生的に心を持つようになったのである。
    AIは人間の心を持つか?人間と同じかどうかはわからないが行動に人間を模した行動を自律的に行うAIは何らかの心を持つであろうと思うのである。また、人間に心が生じた後も意思というものを持ち合わせていない時代が長く続いたと思うのである。今でも個人の意思では無く、集団の心、神の意志で生きている地域はたくさんあるのである。
    ユートピアかできそこないの世界か人々はどちらを選ぶのでありましょうか。

  • 電子書籍で読了。
    人体内の健康状態を常に把握し、改善策を処方するシステムが開発され、病や不健康が実質克服された近未来を描いたSF小説。
    ストーリー展開等にはやや疑問を感じるところもあったが、人が自分の身体にかかわることのほぼすべてを外注化した先に何が待っているのか?、人の意識とは何なのか?等といった壮大なテーマが扱われていて、読み応えは充分。
    また、本作発表後間もなく没することになる作者の思いが、作中何度も語られる「永遠」という言葉にこめられているように思われ、感慨深かった。

  • かなり刺激的で面白い小説でした。
    健康を第一にお互いを気遣い、ネットワークされた健康管理システムを体内に組み込むことで絶えず体内状態を監視して、病気を克服した医療福祉社会が舞台。
    民主主義から生命主義へ移行した人類の行き着く先は…。
    健康とは何か?
    意識とは何か?
    苦痛は必要なのか?
    理想的な社会とはどういうものなのか?
    考えさせられる点だらけの素晴らしいお話でした。

  • いまから語るのは,
    <declaration:calculation>
    <pls:敗残者の物語>
    <pls:脱走者の物語>
    <eql:つまりわたし>
    </declaration>(冒頭の一文)

    病気がコントロールされた近未来の話.感情のコントロールへと進む世界規模の話に,主人公の身近なプライベートの話がきれいに織込まれている.

  • 初、伊藤計劃。Kindleバーゲンにて購入。本文がetmlという、XML (HTML)ライクな記述がされていて、人の感情がエレメントとして表記されているのが最初違和感があった(あまりに説明的過ぎる)が、なるほど!そういうことか…と。

    2009年に既に鬼籍に入られているということで、テーマが人間の完全なる調和(ハーモニー)、WatchMeによる失病のない世界というのが笑えない。

    SFは、その世界観にどこまで入り込めるか?が面白さの1要素と思うが、最後震撼するところまで含めて大変楽しめました。

  • 人命を世界共有の財産とし、その財産を守るため、過度に健康管理が行われる近未来で、体制に抗う少女たちの話。
    私には上手に読み解けなくて、物凄い悲劇のヒロインを描こうとして失敗した感じに思えた。

  • 本作品のテーマは「ユートピアの臨界点」
    極めて高度な医療福祉社会を成立させた社会の中では、息苦しさが潜んでいる。大人はそれすらも医療で解決?を図ることができるが、社会の高度化とは裏腹に、こうした息苦しさで自殺する子供は絶えることがない。そして、主人公の個人的因縁も絡めて、「意識」「人間」「幸福」とはなにかを考えさせられる。

    SF小説として、ユートピアの影に大衆の気づかないディストピアが紛れ込むという構成は物珍しいものではないかもしれない。しかしながらこの作品は、こうした様々な社会的問題の提起をしておきながら、最終的に個人の決着として終焉するところは珍しい様に感じる。

    伊藤計劃は、この作品を病に侵されながら綴った。これから自らの生命が終わろうとする中で、完全福祉社会に真の幸福、人間性を問うたこの作品は、彼の最後の魂の叫びに思えてしまう。

  • 近未来的な設定や、テーマ、人間や生に関する哲学的な問いという点では面白い作品なのかもしれない。けど、ストーリー展開がまどろっこしく、もう読まないかな。。

  • ハードSFの皮を被った中二病感という、これまでに読んだことのない小説。

  • 世界の終わり(この物語の表現では「大災禍」)以後を描いています。「近未来SFもの」(虐殺器官、1984年など)は、現代の延長線を予測して物語が書かれていると思います。「ポスト世界の終わりもの」(ハーモニー、すばらしい新世界など)は、現代から何百年か先の世界を描きます。だからか、物語の予測の作用が薄れていると思います。現代と価値観があべこべだったり、一見するとユートピアの世界を描いていきます。また、「ポスト世界の終わりもの」は、物語にガジェットを描くさい、作者の知識、才能が問われると思います。

     「世界の終わりもの」(ザ・ロード)、「歴史改変もの」(屍者の帝国、高い城の男など)、「ユートピアもの」(ガラス玉演戯、1984年<読み方によってはそのように捉えられる>など)。SFは多種多様だと思います。
     
     ハーモニーは、現代から五十~六十年先の世界が舞台ですが、エピローグを読むと、おそらくそこから、物語時間はさらに進んでいることが分かります。物語作者(伊藤計劃を指していない)は、何のために作品(テクスト)を書いたか? エピローグで、テクストは「感情」を生気したり、メタ的な機能(たとえば拡現や地図?)を「実感」しながら読める、と書かれています。そして、このテクスト(物語読者が読んだテクスト)のみが「感情」を生起させることができるトリガーだ、とも書かれています。テクストは、聖書と似た働きをしていると思います。

     「生存上、喜怒哀楽が要求される局面は、人類が完全に社会化された現在においてはあまりに少ない」と書かれています。逆にまだ、意識は多少は必要とされていると思います。また、テクストでwatchmeを入れていない人たちがいることが分かります。おそらく、物語時間から何百年、何千年先かわかりませんが、周縁の人たちから、再び「意識」を身に付ける人が出てくると思います(エピローグの物語時間で、既に意識を身に付けている?)。エピローグから、テクストは、意識を身に付けている人々(周縁)が、完全に社会化された人々(中心)に流しているフェイクではないか? と感じました。

    僕は、「意識」は必要だと思うので、以上のような感想を書きました。蛇足ですが、作品(ハーモニー)で「老人」という言葉がよく出てきます。日本では、「老人」が「中心」に居ると思います。そして、社会の動乱期に「若者」が台頭すると思います。過去の例では、幕末の動乱期や、近代以降の戦時中など。特に後者は「老人」に「若者」が使われた例だと思います。

  • ストーリーは面白い。文明がさらに進化した未来に起こりうるであろう社会をサスペンス調に創造。スピード感にも問題ないが、無駄に飾った描写が多く気が散る。

  • 伊藤計劃の遺作です。癌に侵されていた彼が著した本。高度医療経済社会という独特な世界観で話しが展開していきます。この本の感想ではないんですが、伊藤先生の本をもう少し読んでみたかったですね。

  • これは未来を予想した本。
    あくまであり得る1つの可能性でしかないが。。

    しかし、今の社会状況を理解して、今後を予測すると、この本の世界にかなり近いところに辿り着くのではないか?

    そう感じる。

  • 映画版を先に観たのだけれども(2015/11/22)、正直あまり良い映画だったとは思わなかった上に、もう完全に内容を忘れていた。読み返すとこんな話だったか……とほとんど覚えていないことに驚く。
    伊藤計劃を読もう読もうと思っていてようやく読めた。文庫版の真っ白い表紙も印象的だが新書?版の少女二人の表紙も内容になかなか合っているのでは無いか。
    いかにもSFらしいSFという感じ(html風の文体も含めて)。本というデッドメディアで読まず電子書籍で読んでしまった。
    虐殺器官も読まねばな。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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