わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) [Kindle]

  • 早川書房 (2008年8月22日発売)
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感想・レビュー・書評

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  • 科学発展の裏側にある日陰の世界を表現した書として。
    SFとしてでているが、公害やら、今のリチウム電池の取得で水不足が生じた世界等、科学の発展の裏で虐げられる人は現実社会でもある話。

    だからこそのビジネスと人権だし、エシカルという概念が大切なのだと思う

  • 何も事前情報なしで読み始めて、途中で何言ってるかわからなくなり、再度最初から読み直した。笑
    そして、ネットで調べて情報を入れて再スタートしたという。。それくらい、衝撃的な内容であった。
    ネタバレしたくないので、何も知らずに読んで欲しい一冊。とてつもなく、深く広く辛く考えさせられた。
    でも、こんな世界が、近づいているのかもしれないと、薄寒くなった。

  • イギリスのヘールシャム地方で友人たちと青春時代を過ごした女性キャシー。彼女が語る過去は、ちょっと訳アリっぽい。

    「介護人」、「提供者」、「保護者」と呼ばれる人々が何人も登場するが、どんな職業なのか、詳しい説明はない。また、キャシーたち学生は寮で集団生活をしているのだが、その学生生活もなにか妙だ。彼らはどこから来たのか、卒業してどこへ去っていくのか。やたらとセックスと死が身近なのも気にかかる。

    なんとなく不穏で違和感だらけ。そんな感想を持ちながら、読み進めていけば、隠されたテーマにはなんとなく想像がつく。

    が、本作品のジャンルをSFミステリーとするにはちょっと違う。また、人類の未来と奢りを描いた社会派小説でもないし、もちろん若者の友情と恋愛を描いた青春小説でもない。

    作品ごとに全く違うジャンルに挑み続けるノーベル賞作家の新しい作品としか説明できない。これこそがカズオ・イシグロっぽさだ。

  • 1996年頃のドローン羊ドリーを思い出した。
    作品は2005年でドラマ化され、ちょっとだけ気になり、読んでみた。
    クローンの経緯は一切語られず、謎のままです。
    臓器提供クローン人と、支える介護クローン人の物語。

    タイトルの付け方、歌のワンシーンは上手いなと思った。
    日本人だと「little baby」でも小さい赤ちゃんと思うよね。

    人間らしさの表現で性的な表現もされている。
    なんとなく、アンネの日記を思い出した。

  • 登場人物の誰にも、私の声は届かない。どうして、と問い掛けつづけても、誰も答えを教えてはくれない。届いたとしても、なぜそんなことを疑問に思うのかと聞き返されてしまう気もする。
    トミーは純粋でまっすぐな質問をキャシーにぶつける。
    「なあ、介護人にくたびれないか?おれたちはとっくに提供者だ。なのに、君はずっと介護人のままでいる。いいかげんにしてくれって思わないか。」
    キャシーが介護人で居続けることを選ぶのは、提供者になることを恐れているからでも、なるべく長く生きたいからでもない。トミーにもキャシーにも、そんなことはそもそも思いつきもしない発想なのである。

    介護人で居続けることは孤独で居続けること。提供者になることは使命を果たすこと。そんなはずない、と思う。やり方次第では、孤独から抜け出して、ふつうの人みたいに、友達と楽しく暮らせるはずだと。提供者にならないで済むのなら当然そのほうがいいと。しかし、彼らはそうしない。
    わたしたちが寿命を自然の摂理として受け入れ(あるいは諦めて)、死への恐怖からなんとか自らを切り離して生活しているのと同じように、彼らにとってもまた提供者になること、そして、使命を果たして命を失うことは、拒む理由のない当たり前の未来なのである。だとしたら、ほんとうに彼らはマダムが言うように'可哀想'なのだろうか?では、100歳かそこらで死んでしまう私たちも誰かから見れば同じように'可哀想'なのだろうか?

  • 不完全ながらも完結した世界で生きる子供たち。無垢で幼く、それが時に痛々しく思えもした。
    そういった純真な少年少女が育っている施設での青春が現実感を持って描かれる。
    序盤からそこはかとなく、破滅の色は見えていたけれど、こういった秘密があるとは…。ホラーではないけれど、今まで読んだ本の中で、もしかしたら一番怖い物語かもしれない。
    あらかじめ失われることが分かっている世界でどうしてこんなにも淡々と語ることが出来るのか。
    主人公の、ひいては作者の精神力に畏敬を抱いた。
    ロストコーナーのくだりは読み終えた後も強く心に残る。

  • 主人公キャシーによって、なんでもない学校の日常が淡々と語られていく。ただそれだけで、起伏が無いなあ、と思っていたら突然出てくる「提供者」「ポシブル」という耳慣れない言葉。気になりながらも、なかなか全体像が現れて来ず、ようやく最終章で、ヘールシャムの生徒たちは臓器を提供するためのクローン人間であることが(そうだと明示されてはいないけど)理解できる。
    途中、じれったく思いながら読み進めたが、この物語は主人公がヘールシャムの出身者で語られ、最後の最後まで全体像を語らないことに意味があるのだ、と感想を抱いた。ヘールシャムの生徒達は結局は臓器を提供する提供者であり、結婚をして家庭を持ったり、提供者・介護者以外の仕事に就くといったことはない。生まれた時から可能性は閉ざされており、だからこそキャシーはその事実を嘆くこともない。そしてヘールシャムの教師たちは、時に生徒たちに向き合うことができず去っていく。こう書くと閉塞感しか見えないが、作中の登場人物は感情豊かに活動し、笑い、怒り、悲しむ。将来は提供者しかないが、その運命も彼らにとっては人生の一部で、いたずらに嘆かないといけないものではない。

    もしクローンができて、作中の提供者というシステムができたらどうなるのか、という思考実験にも見える。しかし私は、この物語は現在進行形で起こっていると考えている。例えば、チョコレートを食べるためにはカカオが必要だけど、そのカカオは児童労働によって栽培・収穫されていること、携帯電話を作るために、アフリカで紛争が起きていること。
    作中には提供を受ける人々がどんな様子なのか、どんな考えを持っているのかは書かれていないが、今、私達がチョコレートを食べて携帯電話を利用しながら、児童労働や紛争についてどれくらい意識的か考えると、だいたい想像はついてしまう。問題意識を持っている人は居るけど、大半は意識をしていない。意識しないで済むような仕組みが構築されてしまっている。

    本書は2回読むことを勧める。全てがわかった後で見えるキャシーの語り口は、何かどうしても悲しいものを感じてしまい、1回目と同様に読めなかった。

  • とても面白かった。登場人物たちが子供の頃は無意識に、大きくなってからは自らの役割として淡々と己の境遇を受け入れているという世界たリアル。これ少年漫画だったら自己主張を声高に叫び自由を求め制度と戦うとこだよ。あと生殖ってやはり生物としての骨幹だなと感じました。

  • 「表現を記録として残すこと」が人間らしさだと思われてたのかしら。

    サッカーでゴールを決めて得意になること、マグカップにお茶を入れて夜中に2人で話すことは人間らしさではなかったのかな。

    動物の身体の一部が金属になっている絵を描くことは、主人公たちの境遇を表現しているようだった。
    金属は取替えできるし、人間らしさから遠いもののはずだけど。

    テレビ番組でAIが大喜利を作っているのを見たけれど、AIは人間じゃないんだよね。

  • 臓器を提供するクローン人間という設定で、重ためです。著者は、ノーベル文学賞受賞したカズオ・イシグロで、小難しい話かなと思ってなかなか手を出せずにいましたが、登場人物も少ないので読みやすいのですが、それ以上に話のテーマが難しかったです。私は約束のネバーランドが好きなので、ヘールシャムという施設でのびのびくらす少年少女が書かれ、定期的な健康診断や創作活動があり、マダムという女性が作品を持っていく、施設の外へは出れないなど、設定が通じるところが多くどんどん物語に引き込まれました。主人公キャシーが過去を振り返る形で、独特の語り口調進んでいきます。物語が進むにつれていくつかの伏線が回収されるのですが、話の軸は話の展開よりも、提供する側(弱者)に焦点が当てられていて、そこには希望も落胆もないことです。私たち(提供される側)が、何気なく服を着て、ご飯を食べて、病気になったら薬を飲んで、という日常が多くの犠牲の上に成り立っているということを知らずに過ごしているのだということを考えさせられます。この話の中で「私たち」人間については書かれていないのです。ノーベル文学賞受賞したのも納得です。深い話でした。

  • 読む前は何も見てはいけない。少しでもネタバレがあると、面白さが損なわれる物語だと思う。

    白黒の世界で漂って悲しい気分。

  • ミーハーな 私は 受賞した作者だからと 
    読んで みました。

    はじめは なんだろう???
    学生? 寮??? 
    (日本ではドラマになっていたそうなので 皆さん周知のお話ですが 見ていないので はてなと 言う感じで 読みました)

    読み進めて やっと 主人公たちは クローン人間で いつかは 誰かに その肉体を与えて そして 使命を終える存在であると わかりました。

    多分 こういうことは 将来ありえそうですよね。
    病気で どうしてもその部分を交換せねばならない けれど 他人から 拒絶反応とかもあるので もらえない、となると 自分の細胞から コピーして 造れば良い。
    ひょえ~~ 細胞だけとか 組織だけとかを 作るならまだしも 人間を造っちゃって その人間を あっさりと 使ってしまう。。。

    この本がミステリー?って はじめは 疑問でしたけど 読んでいくうちに こういう事って あってはならないけど ありえそうで 怖いなぁと 思いました。
    まさに ミステリーでしたね。

    登場人物の名前が カタカナなので 最初は 男女がわからず混乱して読みました(笑)

  • 最初からずっと一抹の物悲しさがあって、それが払拭されることはなかった。

  • 久しぶりにこれだけの長編を読み始めたので、読破できるか心配だったが、あっという間に読み切ってしまった。
    ものすごく衝撃的なシーンがあるわけでもどんでん返しがあるわけでもないのに、先が気になって仕方なかった。読み終わったときに、何とも言えない気持ちになった。
    あえて言葉にするなら、やりきれなさと切なさ。
    人間の複雑な心理描写や関係性、登場人物たちが成長していく様子がリアルだと感じた。美化されすぎることがなく、物語にざらつきを感じたところが好きだった。
    特殊な環境で特別な存在として生まれてきた主人公たち。設定は興味深く、一種の思考実験のようでもあり、遠くない未来に起きうるかもしれない事象でもあった。そして、その事象に対して巻き込まれた登場人物たちは、各々が考える最善の行動を選んできたように思う。たとえ他人に共感してもらえなかったとしても。誰が正しい正しくない、という話ではないと思った。皆、それぞれに一生懸命に生きていた。だからこそ、やるせなさが残るんだと思う。
    風景の描写がどこかのどかで美しいものが多く、それが登場人物たちが置かれた過酷な状況と対比されて、とても切なかった。全編通して曇り空の隙間からあわく光が漏れているような、そんな印象だった。

  • 主人公のキャシーが語り手のような書き方をしていて、外界と隔てられた施設で育った少年と少女の生活を振り返る形で淡々と語られていた。
    この話で強く印象に残ったのは、出てくる登場人物たちが暮らしていた施設での残酷な真実を知り抵抗をしようとするが、それはわずかな猶予を得るという根本的な解決にはならないことであり、無意識のうちに抗えなくなっているという恐ろしさが存在していた。
    読んだ後に単純な満足感だけでなく何か心にのしかかるようなものを感じる作品だった。

  • とても残酷な、でもこの先の未来、本当になりそうなお話。
    確かにこちら側の私達は、いざ自分の身に何かあると、「世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。完全な人間ではない、だから問題にしなくていい…」と考えてしまう。
    でも、キャシー達にもなんら変わらない、心がある。友情も恋愛も未来への希望も。
    提供者、悲しい響きのある言葉だけれど、いざ自分の身内がそれを必要としたならば…と考えると…。

  • 冒頭から女性の語りで展開されるのだけれど、どういう話か? ってのがなかなかつかめない。読み手にずっと不安感を抱かせるような書きぶりがうまいとは思う。ただ秘密の部分がわかってもすっきりした気分にはなれなかった。

  • 作品内容の事前情報ほぼなしで読み始めたのだが、それがかなり功を奏した作品だと思う。できればこれから手に取る方も何も知らないまっさらな状態でこの本を読み進めて見てほしい。その時の読書体験にこそこの本を読む価値があると感じるからだ。以下のレビューについてはネタバレを含むため、未読の方はここで引き返していただければ。

    物語は主人公であるキャシー・H-通称キャスの語りから始まる。『介護人』という仕事に着いていること、『提供者』なる人たちの世話をしていること、彼女自身は『ヘールシャム』という特別な施設出身だと言うこと…序盤はそれらの事柄が語られ、やがて彼女は自分の幼少期からの記憶を回想し始める。この物語は全編がキャスの語りで構成されており、以降はひたすらキャスが昔のことを思いつくままに語っていく構成となる。

    記憶を思い出して語る構成上、エピソードごとの時間軸は時折前後するし、回想の途中で脱線が入ることも珍しくない。中にはエピソードの中で更に違うエピソードが展開される、いわゆる入れ子構造になることもある。まさしく人の記憶そのものだ。キャスが一人称視点でひたすら語る構成も手伝って、さながら読者である自分自身がキャスになったかのような錯覚すら感じる。

    物語を読む時、多くの人は頭の中で文章を黙読するのではないだろうか?頭の中で文字による思考を行うように。キャスの一人称での語りを黙読するうち、私たちはそれを自分の思考と錯覚する。そうして私たちは、知らず知らずのうちにキャスと親密な間柄になっていく。いや、同化さえしていく。キャスの語るヘールシャムで過ごした日々、それを自分自身で回想しているかのような感覚に陥って、存在しない懐古の情を感じるようになる。

    キャスの目に映るヘールシャムの日々は眩く美しい。心許せる仲間たち、充実した日々、頼りになる保護官たち。世間から隔絶された箱庭の日々でも、それこそがキャスの当たり前だ。悲劇と嘆くこともなく、キャスは健やかに成長していく。もちろん中には腹立たしい思い出も、悲しい出来事も、友人相手に嫌な気持ちになることもある。キャスの一番の親友ともいえるルースは見栄っ張りのきらいがあり、また男子では一番信頼し合っているだろうトミーは癇癪もちでたびたび爆発を起こす。だがそんな摩擦やすれ違いもまた、輝かしい日々の一つなのだ。多くの仲間と一緒で一つだったあの頃を愛おしく感じていることが、痛いほどに伝わってくる。

    しかし、穏やかな日々の中に不穏の欠片が漂っているのも事実だ。ヘールシャムとは何なのか、提供とは何をするのか。彼ら彼女らは何のためにここにいるのか。物語が進むにつれて、その真相がわかってくる。彼らはクローンなのだ。臓器移植のために育てられているクローン人間であり、『提供』とは移植を必要とする人に臓器を差し出すことを指す。彼らはいずれも中年になるまで生きることはできないとされており、子供も産めないし結婚もできない。セックスや恋人は作れるけれども節度ある行動を求められる―臓器提供者としての節度を。当初はファンタジックであいまいな表現で抑えられていたはずの彼らの仕事が、突如として現実に即した生々しさ、残酷さを帯び始める。

    この作品が特異なのは、その運命自体にそれほど悲劇性を見出していない点だろう。もちろん彼らはその運命に対してささやかながら反抗を試みるようになっていくのだが、その目的ですら『数年提供を猶予してもらう』でしかない。『ヘールシャムから抜け出し、完全に自由になる』でも、『どうして自分が臓器提供をして死ななければならないのかと悩み、反抗する』でもないのだ。

    生まれついてから臓器を提供することだけを考えて作られたクローン児、いくらでも悲劇的に、センセーショナルに描写することはできたはずだ。しかしこの作品はそれをしなかった。提供の真実を告げられた後も淡々と話は進み、あくまで穏やかな筆勢が保たれている。『どんな形であれ、人生で起こることから逃れることはできないのだ』と言いたげに、大きな川の流れの一つであるかのように物語はそのまま進んでいく。

    むしろキャスにとっての悲劇はこちらの方だったのではないか、と感じることがある。周囲の変化だ。ヘールシャムにいたころから、そしてコテージに移ってから、その後介護人として生活を始めてから―年数に従いライフステージの変化に従い、キャスの周囲はどんどん変わっていく。景色や環境が、だけではなく、キャスの周囲にいる人たちがだ。トミーとルースはヘールシャム時代から付き合い始め、一度破局を迎えるも、その後また付き合い始める。コテージに行った時には今までのヘールシャムとの面々とは強制的に解散になる。コテージで一緒になったルースとトミーとも、ヘールシャムの時のような関係ではいられなくなってしまった。最終的にキャスと二人は半ば仲たがいしたような形になり、キャスは介護人としてコテージを去る。

    私たちはこの物語をキャスの視点で見ている。キャスと回想を共にしながら、さながら自分がキャスと一体化したかのような気持ちで、トミーを、ルースを見ている。だから周りだけがどんどん変わっていくように見えるのだ。自分自身であるキャスの変化は感じにくい。視点が固定され、更には同化を促すような語り口も手伝って、読者は自分の視点をキャスという根元に固定してしまう。キャスを支柱にくるくると回るメリーゴーランドを眺めているような、そんな気さえしてくる。自分自身の変化ほど気づきにくいものはない。この時読者である私たちはキャス自身の変化を知覚できぬまま、キャスの周囲の変化を体感させられることになる。変わっていく周囲、変わらない(と感じてしまう)自分、そんな景色を眺めながら、どうしても思ってしまうのだ。「ああ、置いて行かれた」と。

    この物語の一番恐ろしいところは、この寂寥感を否が応にもこちらに叩きこんでくるところにあるのではないか。何も知らないまっさらな状態からキャスの回想の片棒を担がされ、やがては自分自身がキャスであるかのように錯覚し、そして自分を置いて変化していく周囲への寂寥感を掘り起こされる。子供のころの思い出に戻りたいと思う自分。しかし変わってしまった周囲を見て戻れないと思い知ってしまう時。過ぎ去りし日を懐古して胸を潰した思い出。一度でもその体感をしたことがある人には同じ感情を掘り起こさせ、今まで感じたことない人にも同じだけの寂寥感を呼び起こす。この物語にはそれだけの力があると感じる。

    ここまでくればおのずとこの物語のタイトルの意味も分かるだろう。『わたしを離さないで』。わたしを離さないで、置いていかないで、皆一緒に居て。戻れないと知っているのに言わずにはいられない、懐かしいあの日に焦がれる気持ち。過ぎ去りし日の思い出に強制的に分離させられたキャスの悲鳴が、そうとは知らず聞こえてくるような気さえする。ただし、強調しておきたいのはこの物語はそのメロドラマティックな感傷を徹底的に排除している点だ。主題とその悲劇としてこの寂寥感を軸にはしているが、そのことに引っ張られすぎて感傷に堕してはいない。素晴らしいバランス感覚だと感じる。

    小説の主題がこの置き去りにされる感傷、寂寥感を一番の主題として置いているなら、臓器提供とは何だったのか?単に物語を引っ張っていくための軸と謎として配置されただけだったのか。私はこれも違うと感じている。臓器提供する彼らは、悲劇を背負った可哀想な子供たちではない。過去の思い出を切り離し、時には切り捨て、忘れ去って。そうやって大切なものを少しずつ失いつつも死に向かって生きていく、私たち自身のことだろう。大人になるにつれて失った大切なもの。子供らしい素直さや大胆さ、かつて大事にしていた宝物、忘れたくない思い出。そう言ったものを切り捨てながら成長し、『大人』になった私たち。そしていずれ死に向かう私たち。臓器を切り取りされる彼らの生きざまは、私たちの人生と重なる点があると、私はそう思わずにいられない。

    『わたしを離さないで』そう叫んでも結局のところ運命のたどり着く先は変わらない。大切な臓器を切り取られ、宝物を捨て、大切にしていたカセットテープは変わりの物をすぐに買うことが出来る。何もかもが代替品で済み、周囲はいつの間にか変化し進んでいて、懐かしいあの頃には戻れない。目いっぱいの寂寥感とやるせなさ、それを抱えてそれでも生きていくしかない。そして最後に行きつく先は死。ありとあらゆる寂しさと諦観に満ちた、素晴らしい小説だったと思う。

  • カズオ・イシグロ独特の静かな音楽が流れるような感じがする物語。
    臓器提供の為に生まれた子どもたちが臓器提供して使命を果たすまでの話。
    物語の内容を面白いと思いながらも、登場人物に感情移入できないのは、外国文学(外国人が主人公)だからではないからだと思う。
    もし、小説のような世界があったとしたら、臓器提供を受ける側の人間だと思っているからで、する側だと思っていないからだと思う。また、臓器提供する人がいると知りながらエミリ先生やマダムのように何かするのではなく、見て見ぬふりをしてしまう側だからだと思う。
    先進国で何不自由なく暮らしている自分がちっぽけに思えてきた。

  • 読んでいて居心地の悪さを感じるくらい生々しい人間関係や感情の描写に、ページを捲る手が進む。怒りや羞恥などの表現は鮮明なのに、主人公の回顧という語り口だからか、妙に淡々とした印象を受ける。それが、自分達の存在価値と行く末をただ受け入れるしかない、という諦観を覚えるラストに繋がっていて、やるせない。

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著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

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