- Amazon.co.jp ・電子書籍 (346ページ)
感想・レビュー・書評
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それもお金で買えたんですか?
知らない世界はまだまだたくさんある。
そもそものところで、市場主義の世界に
そんなものまで参入させているのかこの世の中は、と。
いつまでも純粋に、世界を見ていたいと思うほど
子供ではないけれど、驚きと憎悪とが入り混じる
不思議なものを読んだ気がしました。
その憎悪には、著者が述べているような
経済と道徳は均衡を保てるのか、という問いが
いつまでも孕んでいるし、
今後もずっと、考え続けることなのでしょう。
特に考え深かったことは、
数年前まで自分が身をおいていた企業でも、
アドバタイズメントで、どこもかしこも
広告だらけにしていたことがあるということ。
そこに入る前までは、私も街を歩いていて、
とても嫌気がさすことはあったし、
どうにかならんもんかと思うこともあったに、
いざ従事する側になると、一つでも多く
広告を展開したい、という気にしかならなくなっていた、
そういう自分に気づいて驚きました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ボクは市場に多くを委ねることが自由だと盲信していた。この本を読んであらためて気付く。ただ市場に対して単に嫌悪感を持っているわけではない。その特性を知り個々人がより善く生きるために何をなすべきかを常に問い続けることが重要だと思う。
アメリカでは想像していた以上にあらゆるものに市場性が持ち込まれていると知った。そしてそれは道徳や<善>を損ねているのではないか、人々の幸せに本当に貢献しているのだろうか、そんな問に考えさせられる。(ただ、<善>も一部のエリートの持ち物ではないとは少し言っておきたい。それは市場がなければ手に入らないかもしれない)
ところで、多量の広告は本当に市場性に貢献しているのだろうか。市場とは人々の適切な"選択"に委ねられているはずだが、広告はその選択能力をスポイルしている思えてならない。
適切な市場の領域とはどこまでなのか、それを市場が決めることは出来ない。
最近の市場は短期的な物サービスの交換に特化してるように感じる。それだけではない善き生のための市場を創造できると信じたい。 -
核廃棄物を廃棄する場所として最適だという理由で選ばれたスイスの山村。政府が住民に廃棄してよいか、と最初にアンケートを取ったときは賛成意見の方が多かったが、その廃棄物を廃棄する補償金を住民に与える、としたところ反対意見の方が多くなった。
この原因は、賄賂を与えることによって核廃棄という公共事業を受け入れさせるかのような、アンダーマイニング現象が起きたのが一つの要因であり、公共的な損害を市民が被るのであれば、個人に対する報酬ではなく、コミュニティに対する報酬-例えば公園-を与え、市民の犠牲を誠実に報いるほうがふさわしいとした。 -
生活を取り巻くさまざまな物事に、金銭的価値をつけて売る、そしてそれを買う。行列や人気を避けるためのプライオリティーや健康や教育、保険の差別化、命名権、現在の社会は富裕層に優先権があるのか?お金で売れるもの売ることだけが資本主義なのか?色々と具体例を提示しながら読者にその判断遠委ねる。
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市場は三方よしではなく二方よし、世の中を腐敗させる
■概要
市場に任せれば買い手も売り手ハッピーになるというのが従来の考え方。それは間違いない。あらゆるものがお金で買える様になり、それによって買い手も便益を得る。だったらそれで良いのではないか、という考え方に警鐘を鳴らすのがサンデル氏。
商品になること、市場に出ることによって本来持つ道徳が腐敗するというもの。また金銭的インセンティブが介在することで、非金銭的なインセンティブである道徳による行動がなくなることを懸念している
■感想
・経済学というより哲学
まさにそれをお金で買うこと(売ること)が良いことなのか、を考えることであり、何もかもを商品にするという資本主義の発想とは異なる。マルクス主義ほどではないが、現代の資本主義と考え方が異なる。
・事例が多く飽きてくるのが難点
・スポーツの広告ビジネス
命名権ビジネスへの批判は賛成できるところとしかねるところが半々。ただ、それを考えることが大切なのかもしれない。確かにプレーの一つ一つに企業名をつけることは、スポーツの神聖さ、本来持つ価値を毀損しかねず、長期的な繁栄を阻害する可能性もある。一方で、マネタイズする必要性、という発想からはどうしても抜けられないし、稼ぐとは手段であり、結果・評価であると考えると、広告ビジネスをスポーツに持ち込むことをもう少し肯定してもよいのでは、と思った -
なかなか答えるのが難しい問題が続々と提起される。
万人に共通する正解はないのかもしれない。
自分はどちらかといえば、お金を払って他人より融通されるのであれば、それは賛成という立場だが、広い意味での正義という観点ではどうだろう。
こういった話を、仲間と共に議論したいと思う。
その機会を提供してくれる本だと思う。 -
P78
あるひとが結婚を決めるのは、結婚に期待される効用が、独身でいることに期待される効用や、もっとお似合いの配偶者を探すことに期待される効用を上回っている時だ。同じように、ある既婚者が結婚生活を終わらせるのは、独身になったりほかの人と結婚したりすることに予期される効用が、離別に予期される効用の損失を上回る時だ。こうした損失には、子供との物理的な離別、共有財産の分割、裁判費用などによるものが含まれる。多くの人が配偶者を探しているのだから、結婚の市場は存在するといっていい。 -
市場経済爆発の問題は、強欲ではなく本来お金で買えないものまでお金で買えるようになってしまったこと。この問題は、二つある。不平等と腐敗。
市場主義信仰について見直す時がきている。リーマンショックのあとでも見直されなかった。
本書では一貫して行き過ぎた市場経済を批判する。
有料で行列に横入りする。
医者の優先サービスをお金で買う。
ローマ教皇のミサのダフ行為。
薬物中毒者の不妊手術への現金支給。
成績の良い子ども、読書をした子どもにお金を払う。
中国の出産許可証の売買。
お金を払って絶滅危惧種を狩る。
謝罪、結婚式スピーチをお金で買う。
贈り物の現金化。
血液を売りに出す。
企業が従業員に生命保険をかける。
売られる有名人のサイン、グッズ。
刑務所、学校、公共施設、あらゆる施設が広告に利用されていること。
など、現在、世界で起きているあらゆる商業化を例に取り上げて問題点を指摘する。
いずれも、誰も損をしないのだから何が問題なのだと経済学者は主張するが、お金を払うというインセンティブを与えることで本来の意味を喪失してしまうと著者は指摘する。
例えば、子どもの読書はお金をもらうために読書をするのでは、本来の読書をする意義が失われてしまう。
また、友人の結婚式スピーチも、どんなに素晴らしい内容であっても、それがお金で買われたものだと知ってしまうと感動もない。
一番の問題は、ほとんどのものがお金で解決できるなら格差社会の現代において、持たざるものは日常的に貧困を感じやすくなり、心情的にも益々貧しくなってしまうこと。
富裕層と貧困層を二分化して全く違う世界に住まわせ、お互いを出会わせない社会というのは相互理解に欠けた社会になると著者は危惧する。
個人的に印象に残ったのは、死亡債という金融商品について。これはアメリカで発達した保険二次商品。
例えば余命いくばもない老人が生命保険をかけていたとして今すぐお金が欲しい場合、投資家がその保険を買い取って割り引いた保険金を老人に支払う。
そして、その老人が死亡した場合に満額の保険料を投資家が受け取る。
老人が早く死亡するほどに投資家が儲かる仕組みになっているため倫理的にかなり問題がある。
が、金融的には誰も損していないため確かに需要はあると思う。
現在でもアメリカで売られている商品かわからないが、アメリカらしい発想の金融商品だと思った。
日本では絶対にこういう金融商品の販売は出来ないだろう。 -
政治哲学と修正資本主義を広めた一冊といえるのではないでしょうか?
扇動されてるな、と時折気を引き締めつつ、いろいろに思考を及ばせてくれた。