それをお金で買いますか 市場主義の限界 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • それもお金で買えたんですか?
    知らない世界はまだまだたくさんある。

    そもそものところで、市場主義の世界に
    そんなものまで参入させているのかこの世の中は、と。

    いつまでも純粋に、世界を見ていたいと思うほど
    子供ではないけれど、驚きと憎悪とが入り混じる
    不思議なものを読んだ気がしました。

    その憎悪には、著者が述べているような
    経済と道徳は均衡を保てるのか、という問いが
    いつまでも孕んでいるし、
    今後もずっと、考え続けることなのでしょう。

    特に考え深かったことは、
    数年前まで自分が身をおいていた企業でも、
    アドバタイズメントで、どこもかしこも
    広告だらけにしていたことがあるということ。

    そこに入る前までは、私も街を歩いていて、
    とても嫌気がさすことはあったし、
    どうにかならんもんかと思うこともあったに、
    いざ従事する側になると、一つでも多く
    広告を展開したい、という気にしかならなくなっていた、
    そういう自分に気づいて驚きました。

  •  ボクは市場に多くを委ねることが自由だと盲信していた。この本を読んであらためて気付く。ただ市場に対して単に嫌悪感を持っているわけではない。その特性を知り個々人がより善く生きるために何をなすべきかを常に問い続けることが重要だと思う。
     アメリカでは想像していた以上にあらゆるものに市場性が持ち込まれていると知った。そしてそれは道徳や<善>を損ねているのではないか、人々の幸せに本当に貢献しているのだろうか、そんな問に考えさせられる。(ただ、<善>も一部のエリートの持ち物ではないとは少し言っておきたい。それは市場がなければ手に入らないかもしれない)
     ところで、多量の広告は本当に市場性に貢献しているのだろうか。市場とは人々の適切な"選択"に委ねられているはずだが、広告はその選択能力をスポイルしている思えてならない。
     適切な市場の領域とはどこまでなのか、それを市場が決めることは出来ない。
     最近の市場は短期的な物サービスの交換に特化してるように感じる。それだけではない善き生のための市場を創造できると信じたい。

  • 核廃棄物を廃棄する場所として最適だという理由で選ばれたスイスの山村。政府が住民に廃棄してよいか、と最初にアンケートを取ったときは賛成意見の方が多かったが、その廃棄物を廃棄する補償金を住民に与える、としたところ反対意見の方が多くなった。
    この原因は、賄賂を与えることによって核廃棄という公共事業を受け入れさせるかのような、アンダーマイニング現象が起きたのが一つの要因であり、公共的な損害を市民が被るのであれば、個人に対する報酬ではなく、コミュニティに対する報酬-例えば公園-を与え、市民の犠牲を誠実に報いるほうがふさわしいとした。

  • 生活を取り巻くさまざまな物事に、金銭的価値をつけて売る、そしてそれを買う。行列や人気を避けるためのプライオリティーや健康や教育、保険の差別化、命名権、現在の社会は富裕層に優先権があるのか?お金で売れるもの売ることだけが資本主義なのか?色々と具体例を提示しながら読者にその判断遠委ねる。

  • 市場は三方よしではなく二方よし、世の中を腐敗させる

    ■概要
    市場に任せれば買い手も売り手ハッピーになるというのが従来の考え方。それは間違いない。あらゆるものがお金で買える様になり、それによって買い手も便益を得る。だったらそれで良いのではないか、という考え方に警鐘を鳴らすのがサンデル氏。
    商品になること、市場に出ることによって本来持つ道徳が腐敗するというもの。また金銭的インセンティブが介在することで、非金銭的なインセンティブである道徳による行動がなくなることを懸念している

    ■感想
    ・経済学というより哲学
    まさにそれをお金で買うこと(売ること)が良いことなのか、を考えることであり、何もかもを商品にするという資本主義の発想とは異なる。マルクス主義ほどではないが、現代の資本主義と考え方が異なる。

    ・事例が多く飽きてくるのが難点

    ・スポーツの広告ビジネス
    命名権ビジネスへの批判は賛成できるところとしかねるところが半々。ただ、それを考えることが大切なのかもしれない。確かにプレーの一つ一つに企業名をつけることは、スポーツの神聖さ、本来持つ価値を毀損しかねず、長期的な繁栄を阻害する可能性もある。一方で、マネタイズする必要性、という発想からはどうしても抜けられないし、稼ぐとは手段であり、結果・評価であると考えると、広告ビジネスをスポーツに持ち込むことをもう少し肯定してもよいのでは、と思った

  • ファストトラック、医者の予約、ダフ行為等、臓器売買等、市場経済ではお金で買えることが多い。贈り物を現金にする。スピード違反などの罰金も料金と考えることもできる。代理母による妊娠代行6千ドル、米国への移住権50万ドル、クロサイを撃つ権利15万ドル、これらは不平等と腐敗を生む。市場の道徳性には疑問が多く限界がある。ちょっと難しい話が多かった。

  • なかなか答えるのが難しい問題が続々と提起される。
    万人に共通する正解はないのかもしれない。
    自分はどちらかといえば、お金を払って他人より融通されるのであれば、それは賛成という立場だが、広い意味での正義という観点ではどうだろう。
    こういった話を、仲間と共に議論したいと思う。
    その機会を提供してくれる本だと思う。

  • P78
    あるひとが結婚を決めるのは、結婚に期待される効用が、独身でいることに期待される効用や、もっとお似合いの配偶者を探すことに期待される効用を上回っている時だ。同じように、ある既婚者が結婚生活を終わらせるのは、独身になったりほかの人と結婚したりすることに予期される効用が、離別に予期される効用の損失を上回る時だ。こうした損失には、子供との物理的な離別、共有財産の分割、裁判費用などによるものが含まれる。多くの人が配偶者を探しているのだから、結婚の市場は存在するといっていい。

  • 市場経済爆発の問題は、強欲ではなく本来お金で買えないものまでお金で買えるようになってしまったこと。この問題は、二つある。不平等と腐敗。
    市場主義信仰について見直す時がきている。リーマンショックのあとでも見直されなかった。

    本書では一貫して行き過ぎた市場経済を批判する。

    有料で行列に横入りする。
    医者の優先サービスをお金で買う。
    ローマ教皇のミサのダフ行為。
    薬物中毒者の不妊手術への現金支給。
    成績の良い子ども、読書をした子どもにお金を払う。
    中国の出産許可証の売買。
    お金を払って絶滅危惧種を狩る。
    謝罪、結婚式スピーチをお金で買う。
    贈り物の現金化。
    血液を売りに出す。
    企業が従業員に生命保険をかける。
    売られる有名人のサイン、グッズ。
    刑務所、学校、公共施設、あらゆる施設が広告に利用されていること。
    など、現在、世界で起きているあらゆる商業化を例に取り上げて問題点を指摘する。

    いずれも、誰も損をしないのだから何が問題なのだと経済学者は主張するが、お金を払うというインセンティブを与えることで本来の意味を喪失してしまうと著者は指摘する。
    例えば、子どもの読書はお金をもらうために読書をするのでは、本来の読書をする意義が失われてしまう。
    また、友人の結婚式スピーチも、どんなに素晴らしい内容であっても、それがお金で買われたものだと知ってしまうと感動もない。

    一番の問題は、ほとんどのものがお金で解決できるなら格差社会の現代において、持たざるものは日常的に貧困を感じやすくなり、心情的にも益々貧しくなってしまうこと。
    富裕層と貧困層を二分化して全く違う世界に住まわせ、お互いを出会わせない社会というのは相互理解に欠けた社会になると著者は危惧する。

    個人的に印象に残ったのは、死亡債という金融商品について。これはアメリカで発達した保険二次商品。
    例えば余命いくばもない老人が生命保険をかけていたとして今すぐお金が欲しい場合、投資家がその保険を買い取って割り引いた保険金を老人に支払う。
    そして、その老人が死亡した場合に満額の保険料を投資家が受け取る。
    老人が早く死亡するほどに投資家が儲かる仕組みになっているため倫理的にかなり問題がある。
    が、金融的には誰も損していないため確かに需要はあると思う。
    現在でもアメリカで売られている商品かわからないが、アメリカらしい発想の金融商品だと思った。
    日本では絶対にこういう金融商品の販売は出来ないだろう。

  • 政治哲学と修正資本主義を広めた一冊といえるのではないでしょうか?
    扇動されてるな、と時折気を引き締めつつ、いろいろに思考を及ばせてくれた。

  • 例がたくさん出てきてわかりやすかった

    市場主義がなぜ問題なのか、善の腐敗という考え方が勉強になった

  • ■名誉権
    ・コカコーラは600万ドルを支払ってカリフォルニア州ハンティントンビーチの公式飲料となった。

  • 毎度のことながら色々と考えさせられた。
    すべてを市場主義に任せるのは反対だけど、その理由についてはまだ明確には見つけられなかった。

    本の最後の方のスカイボックスの下りが大きなヒントになった。

  • 娯楽や嗜好が金に侵食されている現代における、道徳や善の在り方について作者は疑問を投げかけている。
    本書内でネーミングライツ問題について言及されていたが、私自身が体験した例として、グリーンスタジアム神戸の一件がある。阪急ブレーブス→オリックスブルーウェーブが本拠地とし、阪神淡路大震災後、「頑張ろうKOBE」をスローガンに日本一に輝いた、当時球児だった私にとってなじみ深い球場だった。それが2011年からほっともっとフィールドに名前が変わったときは悲しみを覚えるとともに、日本のプロ野球の経営に危機感を覚えた。
    ベースに広告が印字されないだけ、まだ神聖さは保たれているのだろうか。

  • ハーバード大学にいるカリスマ教授、マイケル・サンデル氏の著書「それをお金で買いますか」を読みました。
    東大でも授業をし、NHKのテレビでも放送していました。受講生と対話しながら進める講義、あれです、あの人です。

    アメリカ人は何でも金にする。こんなものも「売り物」にしているのか、という驚きの事例を次々と紹介。事例は、アメリカに限らず、各国のものが。

    <いや、理屈はそうかもしれないけど・・・系>
    ・1晩1人82ドル払うと、アメリカの一部の州では、非暴力犯なら、清潔で静かな独房に入ることができる。
    ・南アフリカでは、15万ドルで一定数のクロサイを殺す権利をハンターに販売することが牧場主に認められている。
    牧場主は絶減危惧種であるクロサイを育てて守ろうとするので全てにメリットがあるという理屈。
    ・カナダ政府はイヌイットだけに認めているセイウチ猟の権利をハンターに売ってもいいことにした。
    イヌイットに認められている頭数の範囲内で、イヌイットのガイドによりハンターが撃ち、肉と皮はイヌイットが手にして、獲物は従来通り、お金は貧しいイヌイットの福祉に回せる、という理屈。しかし、おとなしいセイウチをトロフィーハンティングの対象にしていいのかという批判。


    <割り込み系>
    ・アメリカでは、1500ドルから2万5000ドルの年会費を払うと、医師の携帯電話の番号を教えてもらえ、電話やメールで当日予約が取れる「コンシェルジュ」ドクターがますます増えている。
    待たされることが一切なし。そして、そのドクターの手に負えない場合は専門医を捜して予約してくれる(横入りをしてくれる)。
    ・ユニバーサルスタジオは2倍の料金を払うと行列アトラクションに優先して入れる
    ・議会の公聴会に出席したいロビイストの席をとるため、連邦議会議事堂の行列に徹夜で並ぶ:1時間に15〜20ドル。 などなど

    <人の不幸で儲ける系>
    ・生命保険を本人が生きている内に買い取り、そこまでの掛け金分の死亡保険金を本人に払い、残りの掛け金は投資家が払うが、死亡保険金は投資家が受け取る。
    これは、エイズがまだ絶望的な病気だったころ、日本でも登場したことを覚えています。投資家にすると、本人が早く死んでくれた方が儲かることになります。
    ・高齢者向けのスピンライフ型保険
    生命保険に入っていない高齢者に入らせ、上記とほぼ同じ仕組みで儲ける。証券化して売ることもあるため、買った方は罪の意識もない。
    *一般の生命保険と違うのは、儲けるために早く死んでくれと願う点。生命保険は逆に長生きしてくれた方が保険会社は儲かる。

    <罰金が料金化する時>
    ・グランドキャニオンにごみのポイ捨てをした人に罰金を科したとしても、裕福な人にすればお金を払えば人が掃除してくれる、という感覚になり平気で捨てるだろう
    ・身障者用の駐車場に健常者が停めたら罰金、としても、事情は同じだろう
    ・ビデオレンタル店が延滞料を取ると、逆にそれは「いいお客様」となる。
    図書館に遅れて返しに行くときのような罪悪感はなく、お金を余分に払うお客様になる。
    ・パリの地下鉄に2ドルの料金を払わずに乗ったのがばれると60ドルのペナルティが科される可能性がある。不正乗車仲間は、毎月一定額を出して基金として積み立て、ばれたときにそこから払う。
    ・イスラエルの保育所では迎えに来るのが遅れる親が多かったので、遅れた場合に追加料金を徴収したところ、逆に遅刻者が増えた。お金さえ払えば面倒みてくれるんだろうと勘違い。

    <善意、やる気をそぐお金>
    ・スイスで核廃棄物処理場の候補地となったある山村では、最初はぎりぎり過半数の賛成を得ていたが、村民一人一人に毎年補償金を払うことを提案すると、受け入れ賛成者は減って25%となった。
    ・イスラエルの高校生が毎年行う「寄付の日」の寄付集めでは、無報酬のグループが一番成績がよく、歩合給が高いグループほど成績が悪かった

    その他、興味深い事例がいっぱいでした。
    恐ろしき、アメリカ(だけではないが)。

  • あらゆるものが市場で売買される今、「お金で買うべきではないもの」はあるのか?市場の役割とは?

    この30年間に社会に起こった決定的な変化は、市場と市場価値が「それらがなじまない生活領域へと拡大した」こと。
    かつては健康や教育、環境保護など、社会的善の分配には市場を利用しなかったが、今は、当然のように利用されている。

    すべてが売り物となる社会では、次の2つが心配される。
    ・お金の重要性が増し「不平等」の痛みが一層ひどくなる。
    ・生きていく上で大切なものに値段をつけると、それが「腐敗」してしまう恐れがある。

    大切にすべき価値は、人によって異なる。
    従って、お金で買うことを許されるもの・許されないものを決めるには、社会・市民生活の様々な領域を律すべき価値が何かを決める必要がある。

    我々は、市場の道徳性をめぐる問題について議論を尽くしてこなかった。
    その結果「市場経済(生産活動を統制するための道具)を持つ状態」から、「市場社会(人の営みのあらゆる側面に市場価値が浸透した生活様式)である状態」へ陥ってしまった。

    遊園地で人気の乗り物は何時間も並ぶ。だが、お金を多く払えば、行列の先頭へ行ける。
    こうした取引は、「行列の倫理」(自分の順番を待つ)を「市場の倫理」(お金を払って早くサービスを受ける)に置き換える。
    市場と行列は、物事を分配する異なる方法であり、それぞれ異なる活動に適している。

    お金で友人は買えない。雇った友人は本物とは違う。お金で買った途端、友情は消滅する。
    しかし、謝罪や結婚式の挨拶は代行会社で買うことができ、人間関係も壊れない。
    ただし、お金で買われたそれらは汚され、傷つけられており、質は劣る。

  • 市場至上主義と倫理について。いつになく豊富(過ぎて飽きることも)な例示が彼の国のいつもながらの過剰なはしゃっぎっぷりが悪寒を誘うほど。善や正義のサンデルの価値や意識は既刊のものより主張が強く感じられた。

  • 「正義の話をしよう」の経済学版。したがって、本書では、何をお金で買うと問題か?について、道徳的、哲学的に考えます。良く、人に迷惑かけなければ良いというような論評がありますが、それに従い、女をお金で買えば、売春罪成立です。売春が罪にならない国は少数派なので、「人に迷惑かけない」クライテリアは、「何をお金で買うと問題か?」の答えになりません。と、まあ、こんなことをいろいろと考えます。

  • ・b・・・フ・ェ・・・ェ・ュ・オ・キ・ュ・A・_・・・フ・W・J・・・・・l・ネ・C・ェ・オ・ト・A・ウ・`・フ・b・フ・ニ・ォ・フ・・・、・ネ・A・ョ・「・ョ・「・・・ォ・・・ワ・・・・・・・、・ネ・エ・カ・ェ・ネ・ゥ・チ・ス・B・@・F・X・ネ・ソ・l・マ・ノ・ツ・「・ト・ト・l・キ・・・ニ・「・、・_・ナ・ヘ・A・・・・・ノ・・・「・{

  • 正義の話に引き続き

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

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