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感想・レビュー・書評
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ツルゲーネフの小品。二葉亭四迷の訳。
序文には「今度徳富先生の御依頼で訳してみました」とある。
1888年、『国民之友』(徳富蘇峰創刊)に掲載されたときのものかと思われる。
ごく短い、スケッチのような作品である。
1人の男が秋の林を散策している。しばらく樹の根元でうとうとし、目が覚めたところで、農夫の娘らしき少女が近くにいるのに気づく。
清らかであどけない少女は、人待ち顔である。男が物陰から様子を窺っていると、優男がやってくる。
金持ちの召使然としたその男はまったく鼻持ちならない輩で、高慢ちきな様子である。しかし少女の方はすっかり優男に夢中なのだ。とはいえ、ご主人さまに連れられて、束の間、この地に滞在しただけの男。いずれは去っていくことはわかっている。少女に手を出したのも一時の気まぐれで、もちろん結婚などするつもりもないし、少女がぞっこんなのがわかっていてわざと冷淡にあしらっている。
実際、この「あいびき」とて、別れを告げるためのものだった。明日、優男は遠くへ旅立つ。少女が見たこともない、おそらく生涯見ることもない、大都会ペテルブルグへと。
悲嘆にくれる少女に、優男は最後まで優しい言葉の1つも掛けない。
そんな一幕の悲劇を、物陰から盗み見ている男の視点で語る短編である。
短い中にも、空を流れる白い雲や木々のざわめきといった最初の自然描写、なめるように服装から風貌まで詳細につづられる娘の様子、悲しみをこらえながらせめて別れに温かいひとことをと願う娘に対して邪慳に答える優男の冷淡さなど、目の前に浮かび上がるような鮮やかさである。まるで語り手とともに森で愁嘆場に出くわしたかのようだ。
言文一致や写実を追求した二葉亭には、訳しがいのある作品だったというところだろうか。
会話文は、江戸っ子風な感じもするし、江戸の町娘のようでもあるし、果たしてロシアの金持ちの召使や村娘がこんな風に話すものだろうか?といささかすわりが悪い感じもするが、ではどういう語りなら納得がいくのかと考えるとなかなか難しい。日本の話し言葉も激動期であったのかもしれないし、生活環境や身分制度も違うロシアの登場人物に日本語をしゃべらせるのは案外に難しいものだったのかもしれない。
あいびきを目撃した男は、娘が落とした花束を持ち帰る。
干からびてもなお捨てられない花束は、はかなく、どこか忘れがたい悲しい恋のエピソードそのもののようでもある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
教育を受ける権利が保証されていないというのは恐ろしいことだ。
教育を受けられれば、自分は大海を漂う木っ端ではなく、オールや帆や、なんならエンジンまで備えたボートかなんかだという幻想に浸ることだってできる。 -
明治21年頃でコレ、ということに驚いた。もう全然現代語なのだ。前年作の『浮雲』がお手上げだったので余計びっくりした。学のない農家の娘が都会に憧れる場面があるが、異国を見たことも無い明治の人達にロシアも異文化もきっと同じように映っただろう。
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四迷訳はさすがに古いわ。地の文は気にならないけど、会話文はちょっとなぁ。
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貧しい農奴の生活を綴った「猟人日記」中の1編を翻訳された著書です。
二葉亭四迷さんが訳されていて、"言文一致の名訳"と知られているそうです。
現代文ではないので、慣れていない人は読みづらいかもしれませんが(自分も慣れてません)、描写が素晴らしいのか不思議と想像できます。
「あいびき」では男女の恋愛を描いてますが、農奴制からの農民の苦しい立場など踏まえて読むと感情移入しやすいと思います。