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感想・レビュー・書評
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大正時代のたばこ・雑貨店の常連客であった教師の保吉が、仔猫のようなあどけなさが残る店番をする若い娘を見るうちに、いつの間にか気持ちが揺らいでいきました。きっかけを作ってみたくて足繁く店に通い詰めるるうちに、その娘の姿が見えなくなりました。一年ほど後のこと、煙草屋の店先で赤ん坊を抱いた女が「あ~あばばばば~」と言うのを見つめる保吉でありました。
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母強よし
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女は母親になるとマジ最強だなっ!ていう感慨を小さな物語にまとめました、という作品。芥川龍ちゃん、面白い。
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あばばばば、面白いですよね。私も好きな短編です。お母さんになるのではなく、お母さんは生まれてくるものだ、という感じです。あばばばば、面白いですよね。私も好きな短編です。お母さんになるのではなく、お母さんは生まれてくるものだ、という感じです。2018/05/31
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>猿川西瓜さん
コメントありがとうございます。題名のつけ方といい、内容といい、秀逸ですよね。
なるのではなく、生まれてくるもの…、なるほど!>猿川西瓜さん
コメントありがとうございます。題名のつけ方といい、内容といい、秀逸ですよね。
なるのではなく、生まれてくるもの…、なるほど!2018/05/31
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タイトルに惹かれて読んだが女は子供産むと強くなるなっていうエッセイみたいな話だった。
バンホーテンて随分古くから日本に入ってきてたのね。 -
見返してやりたい時に読み返す本
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タイトルが気になって読んでみた。芥川面白すぎた。
古い書き方であるため、すんなりと頭に入ってくるわけではないが、時代を感じさせるような、今日的なストーリーが、ショートに書かれている。今となっては一人一台となるほど普及したスマホ。大正時代は固定電話で、全ての家になかったのか、(少なくとも主人公の家にはない)よく行く店の電話を借りるという行動は、現代ではまずないだろう。そんなノスタルジックな日常がここにある。
主人公は新卒の教師で、タバコやココアを買いに来る。普段は仏頂面の店主と小僧しかいなかったのに、ある時から天使のような若い女性がいるようになった。対応の辿々しい様子から、微笑ましさを感じさせた。話すたびに、顔を赤らめるような恥ずかしい素振りをされていたので、おそらく主人公は、自分に気があると思っていたのだろう。気になる存在だったが、ある日から見かけなくなった。最後に見たのは、玄米珈琲について店主と話している姿だった。そして、次に店に見えた時は、その若い女性は母になっており、人目を気にせず声を出し、子をあやしていた。このタイトルは子をあやす時の言葉だった。母になった若い女性の主人公に対する表情が、悪魔的に見えた。という話。
主人公は、他人の関係性が見えてなかった、かつ、若い女が妊娠していたとは知らずに会っていた。しかもちょっと自分に気があるような素振りまでされていたので、母親になった事を知った際に、天使から悪魔的に見えたのだろう。この一瞬の出来事で、好きな女が天使から悪事をもたらした恐ろしい『母』になった、と表現するくらい、怒りやショック、絶望感を抱いたのだと思う。
玄米珈琲なんてあるんだと思いながら読み進めたが、
後々調べてみれば、玄米珈琲はノンカフェインらしい。つまりここで、妊娠している事が主人公にバばれてしまったかもと若い女性が恥ずかしそうにしている。とても顔を赤らめていたのは、そう言う理由だった。しかし恋は盲目とは言ったもので、主人公は玄米珈琲が示す事(妊娠)に気づかず、顔を赤らめているのは自分に気があるため(しかもどんどん顔が赤くなっていくもんだから確信づいてきたのだろう)、この2人の頭上に天使が飛んでいるように見えるのだ。笑
この失恋は、告白して嫌いと言われるよりも、恋が叶うことはもうこの先絶対にありえないと、奈落の底に落とされたような絶望感を感じさせるタイプの失恋だと。好きだった人が、結婚した時、その人はとても幸せを感じているが、その一方で、過去一酷い悪さと言うくらい恨む気持ちを感じる人もいるのだ。
この恨みは、もちろん若い女に対するものでもあるが、一方で、主人公が勝手に自分に気があると勘違いしてしまった自分自身に対する恨みもある、だけど自分が悪いと思いたくないから、相手が滅茶苦茶酷い!と完全に相手のせいにしている心理が描かれているのだと思う。