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感想・レビュー・書評
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1. 好きなものを飽きるほど飲んでみたい、そして飽きたい。そんな願望をもったことはないだろうかと自分に問うてみた。
2. お酒は20代でこそ浴びるように友と飲んだが、今では量よりも質になり味を嗜む程度になった。しかし飽きていない。
3. 握り寿司は飽きるほど食べてみたいと思っていた一つだ。20代では高かったのでそんなに機会がなかったが、今では良質の食べ放題が楽しめる。握り寿司も不思議と飽きず、食べ終わってもまた食べにきたいと思う。
4. こう考えてみると、時代が違うのではないかと感じた。昔は階級制度がありなかなか口に入らない馳走があったに違いない。今はお店に行けば何でも食べることができよう。
5. 時代が便利になった一方で、好きなものを飽きるほど飲んで飽きてみたいという願望自体は、案外贅沢な願望なのかもしれないと思った。 -
楽しみは取っておく間が楽しいのかもしれないと考えました
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景色の描写が味わい深く、とても美しかった。
これだけで読んで良かったと思う。
また、五位のなんとも言えないキャラクター。
みすぼらしく惨めだが、それがいじらしい。同情をひくというか、庇いたくなるというか。
ふつうおどおどしてばかりのキャラには反感を抱きそうなものだが、五位に対して愛着がわくのは、表現の力なんだろうなあ。
結末については、自分なりの考えがあったのだけど、ほかのレビューにも納得。「欲望から解放された希望ある終わり」と「欲望を失い惨めな一生」、真逆の結末が生まれる。
が、欲望を持ち続けたい心と、欲望からの解放は両立するのかもしれない。『地獄変』でも解釈が分かれるような仕掛けを使っていたが、この作品もそうだったりするのだろうか。
長文なので詳細はブログに:
http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2015/08/blog-post_3.html -
芋粥は、作品としてはどうかなと思うのですが、でも今まで読んだ芥川の中で1番好きなお話です。
道中はもっとばっさり切っても良いぐらい冗長に感じてしまうし、その後「鼻」読むと、そう!これだよ!と思いますし。
ですが、主人公の五位のやるせない魅力が何ともいえずいじらしくて。
今まで蜘蛛の糸や羅生門、地獄変しか読んだ事のない人には、鼻と合わせてこれを読んでみてもらいたいなぁと思います(あと蜜柑も)。 -
あんなに食べたかった芋粥なのに……。
フランスの哲学者であるアランの著書『幸福論』には、「人間は他者から与えられた幸福にはうんざりするが、自分で勝ち取った幸福は好きである」とある。
また、富には種類があると。「作家になりたい」という理想には、作家になることが叶っても、その先に作品を生み出し続けたい、という永続的な理想が連なっています。しかし「芋粥を飽きるほど食べたい」という願望は、叶った先には続きが存在しません。
後者のような富を、アランは「手に入れると座り込んでしまうような富」と称しています。次の行動や計画を生み出さない種類の富であり、ひいては不幸や不安の根源になり得ると主張しています。