芋粥 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 今年最初の古典名作の感想会。名前は分からないが、主人公の五位(地位の低い役職)。同僚・町の子供たちにも馬鹿にされみじめな生活。お酒に小便を入れられる始末。しかし彼の夢は「芋粥に飽きてみたい」こと。そこで貴族・藤原利仁が五位に芋粥をたらふく御馳走する。五位は利仁の館で庭一面で煮られた大量の芋粥を振舞われる、が、五位は食べる前からげんなりし、お椀半分食べたところで食べるのをやめてしまう。人間の夢は「夢」のままの方が目標をもって生きられるのだ!という解釈かな。うーん。感想会で皆さんの解釈を知りたいです。⑤

    今回の疑問(1)何故、利仁は惨めで取柄もないな五位に「芋粥を飽きるほど食べたがっている」といった理由で、近所中から山芋を集めて屋敷総出で本当に接待したのか?

    疑問(2)五位は惨めなのか?酒を小便にすり替える同僚たちや、犬をいじめる子供たちや、財力をもってとても飲めない量の芋粥を五位につきつける利仁のお節介の方が惨めに見えてくるのは自分だけか?芥川龍之介は、この矛盾を読者に伝えたかったのではないか?

  • 1. 好きなものを飽きるほど飲んでみたい、そして飽きたい。そんな願望をもったことはないだろうかと自分に問うてみた。


    2. お酒は20代でこそ浴びるように友と飲んだが、今では量よりも質になり味を嗜む程度になった。しかし飽きていない。


    3. 握り寿司は飽きるほど食べてみたいと思っていた一つだ。20代では高かったのでそんなに機会がなかったが、今では良質の食べ放題が楽しめる。握り寿司も不思議と飽きず、食べ終わってもまた食べにきたいと思う。


    4. こう考えてみると、時代が違うのではないかと感じた。昔は階級制度がありなかなか口に入らない馳走があったに違いない。今はお店に行けば何でも食べることができよう。


    5. 時代が便利になった一方で、好きなものを飽きるほど飲んで飽きてみたいという願望自体は、案外贅沢な願望なのかもしれないと思った。

  • 楽しみは取っておく間が楽しいのかもしれないと考えました

  • 景色の描写が味わい深く、とても美しかった。
    これだけで読んで良かったと思う。

    また、五位のなんとも言えないキャラクター。
    みすぼらしく惨めだが、それがいじらしい。同情をひくというか、庇いたくなるというか。
    ふつうおどおどしてばかりのキャラには反感を抱きそうなものだが、五位に対して愛着がわくのは、表現の力なんだろうなあ。

    結末については、自分なりの考えがあったのだけど、ほかのレビューにも納得。「欲望から解放された希望ある終わり」と「欲望を失い惨めな一生」、真逆の結末が生まれる。

    が、欲望を持ち続けたい心と、欲望からの解放は両立するのかもしれない。『地獄変』でも解釈が分かれるような仕掛けを使っていたが、この作品もそうだったりするのだろうか。

    長文なので詳細はブログに:
    http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2015/08/blog-post_3.html

  • 色のさめた水干に,指貫をつけて,飼主のない尨犬のやうに,朱雀大路をうろついて歩く,憐む可き,孤独な彼である.しかし,同時に又,芋粥に飽きたいと云ふ慾望を,唯一人大事に守つてゐた,幸福な彼である.

  • 芋粥は、作品としてはどうかなと思うのですが、でも今まで読んだ芥川の中で1番好きなお話です。
    道中はもっとばっさり切っても良いぐらい冗長に感じてしまうし、その後「鼻」読むと、そう!これだよ!と思いますし。
    ですが、主人公の五位のやるせない魅力が何ともいえずいじらしくて。
    今まで蜘蛛の糸や羅生門、地獄変しか読んだ事のない人には、鼻と合わせてこれを読んでみてもらいたいなぁと思います(あと蜜柑も)。

  • あんなに食べたかった芋粥なのに……。

    フランスの哲学者であるアランの著書『幸福論』には、「人間は他者から与えられた幸福にはうんざりするが、自分で勝ち取った幸福は好きである」とある。

    また、富には種類があると。「作家になりたい」という理想には、作家になることが叶っても、その先に作品を生み出し続けたい、という永続的な理想が連なっています。しかし「芋粥を飽きるほど食べたい」という願望は、叶った先には続きが存在しません。

    後者のような富を、アランは「手に入れると座り込んでしまうような富」と称しています。次の行動や計画を生み出さない種類の富であり、ひいては不幸や不安の根源になり得ると主張しています。

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