地獄変 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 地獄変 芥川龍之介

    地獄変は大雑把に言うと良秀という男の話である。
    良秀という男は高名な絵師であり、その見た目は醜い老人のようであった。
    そんな良秀は一人娘がおり、娘は良秀には似ておらず愛嬌のある娘であった。そんな娘に想いを寄せている大殿。大殿はあるとき良秀に地獄変の絵を描くようにと依頼する。目で見たものを描きたい良秀は弟子などを使ってリアリティに溢れる地獄変を作り上げていく。良秀は最後に牛車の中で燃え上がる女性という描写を描くことができないため、大殿にその光景が見たいと申し出る。そんな依頼を受けた大殿は用意できたので良秀を山荘に呼んだのであった。そして良秀が中の女を見るとそこにいたのはなんと良秀の一人娘であった。初めはそれこそ悲しい表情を浮かべるも助けには行かず眺めていたのであった。
    なんとも残酷な話であるが良秀の絵に対する思いの強さが遠回しに伝わってくる。絵に対する思いが強いため娘を助けることも無かった。しかし良秀には人間らしい部分もあり絵が完成した後は娘を助けなかった自分の行動を見つめ直し自害してしまう。
    地獄変では奇妙な人間の心理を描いており、普通の考え方を失うほど何かに夢中になる素晴らしさ、または恐ろしさを描いているのである。

  • 堀川の大殿様に仕える絵師の良秀はケチで高慢な人柄。一方、屋敷で働く良秀の娘は可愛がられ、良秀にも溺愛される。ある時良秀は大殿様から地獄絵屏風を描くよう命じられる。良秀は直に見たものしか描けない。ある日、牛車に女性を乗せて燃やた場面を描きたいと大殿様に直訴する。牛車で燃やされたのは良秀の娘でだった。良秀は目の前で苦しみながら死んでいく娘の姿を描き、屏風を完成させ、その後自殺する。この話しは何が言いたかったのか?芸術への我欲、芸術家のプライド、大殿様の狂気的サイコパスなど多々あるが、大殿様が一番ヤバイ人。⑤

    • ポプラ並木さん
      アールグレイさん
      こんにちは!
      そうそう、芥川作品はインパクトあるね。
      この本で結構、トラウマになっている人がいるようです。
      でも芥...
      アールグレイさん
      こんにちは!
      そうそう、芥川作品はインパクトあるね。
      この本で結構、トラウマになっている人がいるようです。
      でも芥川作品はインパクトは凄いね。
      2023/03/21
    • アールグレイさん
      私はゆるりと、女性タクシードライバーのお話を楽しみました。
      近々、帆立7作目を読みますよ!
      来月になると思う。
      (´ヘ`;)
      私はゆるりと、女性タクシードライバーのお話を楽しみました。
      近々、帆立7作目を読みますよ!
      来月になると思う。
      (´ヘ`;)
      2023/03/21
    • ポプラ並木さん
      帆立さん、どんどんいきますね!楽しんでね。
      最近自分は斜線堂友紀好きです(^^♪
      こっちもどんどんいきますよ。
      ではでは~
      帆立さん、どんどんいきますね!楽しんでね。
      最近自分は斜線堂友紀好きです(^^♪
      こっちもどんどんいきますよ。
      ではでは~
      2023/03/21
  • 芸術至上主義がテーマと言われている芥川中期の作品。地獄の絵を完成させるため、気が狂う良秀。最愛の娘が燃やされる様を見て、絵を完成させるも、地獄を目にして我に返ったか自殺する。
    猿の良秀は、良秀が芸術に取り憑かれていなかったら…という姿を現しているのだろう。娘のピンチを救った語り手にお辞儀をする姿や、火車に飛び込む姿が印象的。
    語り手が大殿様贔屓なので、大殿様の人物像把握が難しい。娘に拒絶された腹いせをするような残虐な人物なのか。大殿様の方こそが残虐なショーを好む芸術至上主義者なのか。はたまた、語り手が言うように、芸術に没頭する良秀を懲らしめたかったのか。
    ---その中でたった、御縁の上の大殿様だけは、まるで別人かと思はれる程、御顔の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫の膝を両手にしつかり御つかみになつて、丁度喉の渇いた獣のやうに喘ぎつゞけていらつしやいました。……
    この描写は、芸術家を貫く良秀を恐れを成したという解釈で良いのか。興奮しているようには、とりにくい。

  • 昔読んだけど久しぶりに再読。
    娘を手籠にできぬ歯痒さからか残酷な仕打ちをする大殿様と、伸ばした手を組み芸術をとった良秀。娘とお猿だけがただただ可哀想で悲しい。
    良秀は、己の罪か醜さか恐ろしさに気付いたのか、最後は自死するが、大殿様はどうなんだろう。語り手の爺さんは大殿様をお褒めあそばしてるけど、私はこの殿こそ結構な元凶だと思うし、世の中に「バチ」ってのがあるなら、殿様にも当ててほしいなだって思う。
    人間より、サルの方が賢く正しく感じられるのは、皮肉なのかなぁ。

    いやな予感だけが先走る、先々読めてしまうお話だった。

  • 平安時代の高名で高慢な絵仏師(画師)・良秀(よしひで)が、堀川の大殿様から屏風絵《地獄変》を描くよう仰せつけられます。良秀は「地獄変を屏風に描くには、地獄を見なければなりませぬ」大殿は「艶やかな罪人の女を乗せた牛車に火を放ち、逃げ惑う様こそは地獄絵図となろうぞ」。罪人の女とは、大殿の御屋敷に仕える良秀の一人娘であったことに愕然とするばかりでした。横柄、傲慢、恥知らずと世間の悪評にめげず、ひたすら画師道に専念する反面、子煩悩な良秀でありました。ゆえに《この世の地獄》を目の当たりにした良秀は・・・。

  • 芥川龍之介の「芸術至上主義」を体現した短編。
    「アートのためにどこまでを犠牲に出来るか」
    という今も尚取り扱われる命題に真っ向から挑む狂気の物語。
    魂が籠った地獄変の屏風、人生で一度でいいから見てみたいね。

  • 久々に芥川龍之介を読んだ。最後に読んだのはいつだろうと思ったら、多分第二回読書会『雛』以来なのではないだろうか?
    一言で言うならば「大殿様に”地獄変”の絵を描けと依頼された絵師・良秀が、その絵に熱を入れるあまり、実際の人物に地獄変に出てくる人物の様子を弟子などに演じさせ、最後には愛していた娘さえも絵の犠牲としてしまう」という趣旨の話。良秀は地獄変を描くために確かにみみずくに弟子を襲わせたり、蛇を部屋に潜ませたりしているのだが、最後の娘の犠牲だけは、良秀本人は「檳榔毛(びらうげ)の車が燃やしたい」と言っただけで、大殿様が中に良秀の娘を入れることを思いついた。良秀は、遂に地獄変の絵を完成させるが、その翌日に自ら縊れて命を絶ってしまう。

    この話は語り手である「私」から良秀や大殿様や良秀の娘の様子を描いている。また、「~と言われている」という『藪の中』にも用いられているあいまいな書き方・事実かどうかをあえてぼかしているような書き方や、まるで芸術至上主義に徹しているように良秀を描いておきながら、最後の最後に自殺させてしまう点が、何とも非常に芥川らしい。例えばだが、最後の部分で良秀が自殺しなかったとしたら、この話の私の印象は全く別物になっていた。だが、良秀が死んだことによって、この話は物語を物語として完結させようとしている感じが見られる。どことなく”いかに芸術至上主義に身をゆだねたように見える人間でも、娘を思う情はあるのだ”という風に読めてしまうのである。
    明治文学ばかり読んでると、確かにこれを斬新と思うような気がするし、実際私はそう思った。と同時に全体的に商品らしい商品・整えられた文学、という感じもあって、もう少し泥臭くてもいいんじゃないかと思わなくもない。

    加えて言えばこの話が出来たのは大正七年の頃。前時代となりつつあった自然主義から芥川が何か思うところがあったのかなと思う話であった。

  • 芥川の古典もの。『宇治拾遺集』に原典が見られる(巻第三ノ六『絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事』)が、ごく短い。物語の骨組は芥川の創作である。

    絵師、良秀は技こそ優れているが、性格が卑しく、吝嗇で高慢、そのうえ容貌も醜かったため、人からは忌み嫌われていた。猿にそっくりであることから、猿秀と陰口をたたかれる始末。絵に掛ける情熱は並々ならぬものがあり、罪人を描きたいからと人を縛めたり、怪しい獣を飼ったりして、弟子からも気味悪がれ、嫌われていた。
    一方、その一人娘は極めて性格がよく、かわいらしい少女であった。親思いで心優しく、素直で皆に愛された。
    物語のもう1人の主要人物は堀川の大殿様。位も高く、常人には計り知れない器量を持つ大人物であった。
    堀川の大殿は良秀の娘に目をかけ、屋敷に召し抱えている。娘を手元に置いておきたかった良秀はそれを不満に思っている。
    あるとき、大殿が良秀に「地獄変」(地獄の様子を描いたもの。地獄絵)の屏風を描くように申し付けたところから、悲劇の歯車が回り始める。

    奇怪で異様な話である。
    読み終わっても紅蓮の炎が脳裏を去らない。
    良秀の絵への執着をまずは見るべきなのだろうが、この悲劇が成立するのは、一人、良秀がいたためではない。大殿も娘の小女房も、深遠な闇を抱えていたように見えてくるのだ。
    芥川の別の有名作『藪の中』をどこか連想させる。登場人物たちの思いや視線は、互いに向かっているようですれ違い、永遠に交わることはない。虚空に置かれたねじれたベクトルのように。
    そして宙のどこかで彼らを見つめる芥川の視線もまた、孤独で冷たい。

    永遠の業火に焼かれるのは、誰だ。


    *『牛車で行こう!』の檳榔毛車で思い出しました。自分でもこれを思い出すのはどうかと思いますけど(^^;)。

  • 至高の芸術
    絵師としての狂人的なまでのあり方
    猿は良秀の良心か

  • 色んなコトが曖昧で、沢山の解釈の仕方がありそうでそこが難しいしとても面白かった。


    読み終わって色々考えた。
    私なりの地獄変の解釈は今のところこんな感じって事残しておこうかな。
    まず、この語り手が大殿様について言ってる事ほぼ嘘…というか捻じ曲げてると思う。この人所謂暴君じゃん。この話も大殿様賛美に満ちてるように語ってるけど、分かりにくい内部告発じゃない?

    良秀は俗世じゃなくて芸術に生きている故に周りから浮いていたかもしれないけど、天才ゆえの孤独というか"理解されない"人だった。
    狐憑きとか神憑り的な事って芸術家にはままあるよね?ゾーンに入ると作品以外は意識の外になる。そういうのは狂気というか病気みたいなもので本人にはどうしようもない。
    でもそれって決して芸術に魂を売ったとかじゃなくて、単にその人の一面なの。家族や弟子を蔑ろにするのは愛がないからじゃなくて、芸術に対する比重が大き過ぎて隠れてしまうだけ。
    この語り手が言う程ヤバい人じゃないと思うなぁ良秀。あ、わざとか?大殿様を正当化するために。

    地獄を見ないと描ききる事ができなかった地獄変。
    だから、愛する娘が目の前で焼き殺されるという地獄を見た事で完成させられた。
    大殿様は良秀に地獄変を書かせようと思った時点で良秀が地獄を見ることになるのは分かってたんだろうな。むしろ地獄を見せてやろうと思って命じたんでしょう。それは、良秀にも分かった。
    だからうなされ、泣きながら描いた。
    何が起こるか心の底では分かっていながら「美しい女が乗った牛車が燃えるところが見たい」と大殿様に言った。
    小猿の良秀は、画家の良秀の分身でしょう。
    人間の部分。良心というか。
    だから、小猿が娘と一緒に焼け死んだ瞬間、芸術家としての面しかなくなってゾーンに入った。これで描けるぞ!地獄を!
    その人間を捨てた姿は最早神の域ってことかな。

    地獄変を完成させて自ら命を絶った良秀。
    良秀は自分が描いた地獄変に何を見たんでしょうね?

  • これぞ正しく芸術至上主義!
    芥川龍之介の中期作品にして、緻密な描写と圧巻の語彙でおぞましさと芸術性を地獄変という1枚の屏風に具備させて、その厳かさが私をひたすらに陶然とさせる、ものすごく好きな作品。三島由紀夫『金閣寺』、月岡芳年『英名二十八衆句』とかじゃないけれど、そのような情緒が芥川の文体で堪能できるので、分かりやすい展開でありながら非常に深いです……

  • 人間の悪意にどうしてこうも惹き付けられるのか、その厳かさに美を見出すからかも。(否社会的動物にとって規範保全こそ種の存続に不可欠なものだから、って反駁は尤も!)自己の希求の充足の為、不要な障壁を容易く切り捨てる知性は、淘汰する自然の美しさに通じるものを感じた。

    そして大殿様の振舞いには、人間の害意がより研ぎ澄まされた悪意の前では極めて脆弱なものであることも窺える。

    しかし悪の大成と言っていいような構成にも関わらず最後良秀に自死を選ばせた芥川龍之介、実は性善説の支持者だったりしない? 否だとしたら良英の人間としての愛情や善意を小猿になぞらえたりしないかな。つまり、怠惰で人は自殺できるってこと?

  • じっちゃんの名にかけて謎がすべて解けるのもまぁ良いんだけど、そうすると話は一方向というか、読者の介在する余地がないわけで、ここまであやふやなパーツがばらまかれてしまうと、もう伏線を回収するとかそういう次元ではなく、読者が好き勝手に妄想するでOKなわけですよ。
    まずは語り手が怪しい、殿様に心酔しててバイアスかかってることは間違いない。信用できん。
    父ちゃんは最初から怪しげなんで除外。
    殿様は狂気に落ちていくというのが、でもありきたりすぎるよなぁ。
    唐突に現れる人食いキャラの使いみちは?
    などと適当なことを言って楽しむのも、忙しい現代人ではありますが、たまには良いんじゃないか。

  • 芸術家肌の人間って何か自分の心を抉られるようなこととか、物凄い人生に対しての寂しさとか己に対しての憎悪とかを感じないとどこまでも残酷になれるのかなと思った。それに気づいてしまったらもう生きていけない、生きるべきではないって思うんだろうな…。
    良秀が、一時の間手を伸ばしたことだけが読者の救いになった気がする。

  • 良秀が如何に人であったか。器量のある者、それを取り巻く者、讃える者が如何なるものか。良秀が作品を創るにあたっての振る舞いは、決して天才ではなく真摯で努力家で。人は、理解のできないもの、不気味なものに、恐れを感じるもの。目に見える良秀の風貌出立や振舞いのそれらや噂話、それに似つかわしくないその力量に恐れを抱いている。それを受け留めることのできない人の浅さ。業火の中、焼死にゆく愛娘を如何ともできないその生き地獄。戻ることのできない愛娘の命の絶えゆく道を覚えゆけばゆく程、生き地獄は良秀の血肉となり、愛娘の死を悟ったとき、そうして愛娘を生かすことを覚えたのだろうか。良秀は受け止めた。そして生かした。良秀は受け止めた。そして、自ら死んだ。人の心を持つ良秀だった。愛娘とともに地獄変の中で生きることを選んだかのように感じる。醜く不気味で得体の知れないものを人は恐れ奇人変人扱いをするが、それは不覚なる者であることも多い。わかりやすいもの、人が安楽的に依るところのものを人は讃え易いが、その実は如何に。大腹中の御器量のあるお方というのはそのようなものなのだろうな。この物語を語る者はそれを自覚していながらもまだそのように振る舞う。或いは、それを読む人もまたそうかもしれない。平安も大正も今も、それは変わらないのだろうな。

  • 芸術家というもの、何かを極めることは非情になり棄てねばないものがたくさんある。
    絵師良秀は、大殿様からご依頼を受けた地獄変という屏風を描くにあたって本物の地獄を見なければならないという。弟子にも辛い思いをさせたり、何かが憑依したような状態になったりする。
    唯一、子煩悩なところがあり大殿様に仕える娘を大切にしていた。
    ただ、大殿様のご寵愛を受けていたこの娘に起きた悲劇から考えると良秀親子は大殿様に操られていたのかもしくは試されていたのではないかと考える。
    燃える娘を見た後地獄変を描き上げる良秀。
    芸術を極め、その後自ら命を経つ良秀…
    両親の苦しむ姿を見たくないから仙人になるのを止め普通の暮らしを求めた杜子春とは真逆である。
    地獄変の良秀と杜子春との違いに気付いたときやっぱり芥川龍之介はすごい!!と感心した。

    ある夜、娘が大殿様から逃げていたと思われるシーンがある。もしかしたら、娘が生きていたら良秀は地獄変を仕上げることはないし、娘も生き地獄だったのかも知れないなぁ…

  • この作品は、古典文学を題材とした作品を多く遺している、芥川龍之介の作品だ。『地獄変』も『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を基に書かれた作品だと言われている。
    私はこの作品から、芥川自身の「地獄」がどんな物だと考えていたのかを読み取ることができるように感じた。この作品は、かなり壮絶な経験をした美術家を描いている。娘を犠牲にしてでも創作を続ける美術家の姿は、どこか芥川と同じ雰囲気を感じることがあった。彼自身死の淵は何度もさまよっているが、この美術家との類似点として女性を犠牲にしてしまっている部分がある。また、犠牲にしても作品の創作を続けていたという点は一致する物を感じた。
    そのため、遺された側がどれほどの「地獄」を味わっているのかを世に示しているのではないかと考えた。

  • 芸術のための芸術。

    炎熱地獄の屏風を完成させるのに愛娘が、犠牲になってしまった。
    至上の芸術家とは哀しい性なのか。

    良秀というあだ名が付けられた、お猿の存在が和ませてくれる。

  • 自分の目で見た物しか描くことができない天才絵師・良秀は、地獄変の屏風絵を完成させるには、炎と黒煙とに攻められて、檳榔毛の車の中の女が、悶え死をする姿を描きたいと。
    大殿様が用意したその状況、車の中の女は良秀の娘だった。しかし、恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら佇む良秀は、一月後には見事な絵を描き上げた。我に返った良秀は娘を死なせてしまったことに耐えられず次の日に自ら命を絶った。
    行き過ぎた芸術至上主義で理解はできないけど、「不思議に厳かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じる」という良秀の屏風絵は恐ろしいけど、観てみたいような気がする。

  • 旧仮名遣いなのにすごく読みやすかったような...
    何も娘を燃やすまでしなくてもよかったのに
    良秀の素行を改めさせるためだったのだろうか
    良秀は絵師としての狂気を最後まで捨てなかった。その時の殿様の表情の描写がとても印象に残っている

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