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感想・レビュー・書評
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アールグレイさん
こんにちは!
そうそう、芥川作品はインパクトあるね。
この本で結構、トラウマになっている人がいるようです。
でも芥...アールグレイさん
こんにちは!
そうそう、芥川作品はインパクトあるね。
この本で結構、トラウマになっている人がいるようです。
でも芥川作品はインパクトは凄いね。2023/03/21 -
私はゆるりと、女性タクシードライバーのお話を楽しみました。
近々、帆立7作目を読みますよ!
来月になると思う。
(´ヘ`;)私はゆるりと、女性タクシードライバーのお話を楽しみました。
近々、帆立7作目を読みますよ!
来月になると思う。
(´ヘ`;)2023/03/21 -
帆立さん、どんどんいきますね!楽しんでね。
最近自分は斜線堂友紀好きです(^^♪
こっちもどんどんいきますよ。
ではでは~帆立さん、どんどんいきますね!楽しんでね。
最近自分は斜線堂友紀好きです(^^♪
こっちもどんどんいきますよ。
ではでは~2023/03/21
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昔読んだけど久しぶりに再読。
娘を手籠にできぬ歯痒さからか残酷な仕打ちをする大殿様と、伸ばした手を組み芸術をとった良秀。娘とお猿だけがただただ可哀想で悲しい。
良秀は、己の罪か醜さか恐ろしさに気付いたのか、最後は自死するが、大殿様はどうなんだろう。語り手の爺さんは大殿様をお褒めあそばしてるけど、私はこの殿こそ結構な元凶だと思うし、世の中に「バチ」ってのがあるなら、殿様にも当ててほしいなだって思う。
人間より、サルの方が賢く正しく感じられるのは、皮肉なのかなぁ。
いやな予感だけが先走る、先々読めてしまうお話だった。 -
平安時代の高名で高慢な絵仏師(画師)・良秀(よしひで)が、堀川の大殿様から屏風絵《地獄変》を描くよう仰せつけられます。良秀は「地獄変を屏風に描くには、地獄を見なければなりませぬ」大殿は「艶やかな罪人の女を乗せた牛車に火を放ち、逃げ惑う様こそは地獄絵図となろうぞ」。罪人の女とは、大殿の御屋敷に仕える良秀の一人娘であったことに愕然とするばかりでした。横柄、傲慢、恥知らずと世間の悪評にめげず、ひたすら画師道に専念する反面、子煩悩な良秀でありました。ゆえに《この世の地獄》を目の当たりにした良秀は・・・。
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芥川龍之介の「芸術至上主義」を体現した短編。
「アートのためにどこまでを犠牲に出来るか」
という今も尚取り扱われる命題に真っ向から挑む狂気の物語。
魂が籠った地獄変の屏風、人生で一度でいいから見てみたいね。 -
芥川の古典もの。『宇治拾遺集』に原典が見られる(巻第三ノ六『絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事』)が、ごく短い。物語の骨組は芥川の創作である。
絵師、良秀は技こそ優れているが、性格が卑しく、吝嗇で高慢、そのうえ容貌も醜かったため、人からは忌み嫌われていた。猿にそっくりであることから、猿秀と陰口をたたかれる始末。絵に掛ける情熱は並々ならぬものがあり、罪人を描きたいからと人を縛めたり、怪しい獣を飼ったりして、弟子からも気味悪がれ、嫌われていた。
一方、その一人娘は極めて性格がよく、かわいらしい少女であった。親思いで心優しく、素直で皆に愛された。
物語のもう1人の主要人物は堀川の大殿様。位も高く、常人には計り知れない器量を持つ大人物であった。
堀川の大殿は良秀の娘に目をかけ、屋敷に召し抱えている。娘を手元に置いておきたかった良秀はそれを不満に思っている。
あるとき、大殿が良秀に「地獄変」(地獄の様子を描いたもの。地獄絵)の屏風を描くように申し付けたところから、悲劇の歯車が回り始める。
奇怪で異様な話である。
読み終わっても紅蓮の炎が脳裏を去らない。
良秀の絵への執着をまずは見るべきなのだろうが、この悲劇が成立するのは、一人、良秀がいたためではない。大殿も娘の小女房も、深遠な闇を抱えていたように見えてくるのだ。
芥川の別の有名作『藪の中』をどこか連想させる。登場人物たちの思いや視線は、互いに向かっているようですれ違い、永遠に交わることはない。虚空に置かれたねじれたベクトルのように。
そして宙のどこかで彼らを見つめる芥川の視線もまた、孤独で冷たい。
永遠の業火に焼かれるのは、誰だ。
*『牛車で行こう!』の檳榔毛車で思い出しました。自分でもこれを思い出すのはどうかと思いますけど(^^;)。 -
これぞ正しく芸術至上主義!
芥川龍之介の中期作品にして、緻密な描写と圧巻の語彙でおぞましさと芸術性を地獄変という1枚の屏風に具備させて、その厳かさが私をひたすらに陶然とさせる、ものすごく好きな作品。三島由紀夫『金閣寺』、月岡芳年『英名二十八衆句』とかじゃないけれど、そのような情緒が芥川の文体で堪能できるので、分かりやすい展開でありながら非常に深いです…… -
じっちゃんの名にかけて謎がすべて解けるのもまぁ良いんだけど、そうすると話は一方向というか、読者の介在する余地がないわけで、ここまであやふやなパーツがばらまかれてしまうと、もう伏線を回収するとかそういう次元ではなく、読者が好き勝手に妄想するでOKなわけですよ。
まずは語り手が怪しい、殿様に心酔しててバイアスかかってることは間違いない。信用できん。
父ちゃんは最初から怪しげなんで除外。
殿様は狂気に落ちていくというのが、でもありきたりすぎるよなぁ。
唐突に現れる人食いキャラの使いみちは?
などと適当なことを言って楽しむのも、忙しい現代人ではありますが、たまには良いんじゃないか。 -
芸術家肌の人間って何か自分の心を抉られるようなこととか、物凄い人生に対しての寂しさとか己に対しての憎悪とかを感じないとどこまでも残酷になれるのかなと思った。それに気づいてしまったらもう生きていけない、生きるべきではないって思うんだろうな…。
良秀が、一時の間手を伸ばしたことだけが読者の救いになった気がする。 -
良秀が如何に人であったか。器量のある者、それを取り巻く者、讃える者が如何なるものか。良秀が作品を創るにあたっての振る舞いは、決して天才ではなく真摯で努力家で。人は、理解のできないもの、不気味なものに、恐れを感じるもの。目に見える良秀の風貌出立や振舞いのそれらや噂話、それに似つかわしくないその力量に恐れを抱いている。それを受け留めることのできない人の浅さ。業火の中、焼死にゆく愛娘を如何ともできないその生き地獄。戻ることのできない愛娘の命の絶えゆく道を覚えゆけばゆく程、生き地獄は良秀の血肉となり、愛娘の死を悟ったとき、そうして愛娘を生かすことを覚えたのだろうか。良秀は受け止めた。そして生かした。良秀は受け止めた。そして、自ら死んだ。人の心を持つ良秀だった。愛娘とともに地獄変の中で生きることを選んだかのように感じる。醜く不気味で得体の知れないものを人は恐れ奇人変人扱いをするが、それは不覚なる者であることも多い。わかりやすいもの、人が安楽的に依るところのものを人は讃え易いが、その実は如何に。大腹中の御器量のあるお方というのはそのようなものなのだろうな。この物語を語る者はそれを自覚していながらもまだそのように振る舞う。或いは、それを読む人もまたそうかもしれない。平安も大正も今も、それは変わらないのだろうな。
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芸術のための芸術。
炎熱地獄の屏風を完成させるのに愛娘が、犠牲になってしまった。
至上の芸術家とは哀しい性なのか。
良秀というあだ名が付けられた、お猿の存在が和ませてくれる。 -
自分の目で見た物しか描くことができない天才絵師・良秀は、地獄変の屏風絵を完成させるには、炎と黒煙とに攻められて、檳榔毛の車の中の女が、悶え死をする姿を描きたいと。
大殿様が用意したその状況、車の中の女は良秀の娘だった。しかし、恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら佇む良秀は、一月後には見事な絵を描き上げた。我に返った良秀は娘を死なせてしまったことに耐えられず次の日に自ら命を絶った。
行き過ぎた芸術至上主義で理解はできないけど、「不思議に厳かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じる」という良秀の屏風絵は恐ろしいけど、観てみたいような気がする。 -
旧仮名遣いなのにすごく読みやすかったような...
何も娘を燃やすまでしなくてもよかったのに
良秀の素行を改めさせるためだったのだろうか
良秀は絵師としての狂気を最後まで捨てなかった。その時の殿様の表情の描写がとても印象に残っている