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感想・レビュー・書評
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遠い昔に読んでたから、久しぶりの出会い
別視点のおはなし好きなのよね詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
滲み出る人間臭さと文章の歯切れのよさはまさに太宰の専売特許といったところ。
いつも以上の疾走感があると思っていたら、本書が夫人の口述筆記だったと知り納得。
聖書の行間のちょうど語られていないあたりを太宰が小説化したものであるが、キリスト教に詳しい人が見て矛盾や明らかに変なところがあったりするのか気になった。調べた範囲だと、解釈の差は別として、明確にそんなシーンはないとされているのは1箇所くらいらしい。聖書は薄っすらした知識しかないので改めて読もうと思った。 -
「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の短編。初出は「中央公論」[1940(昭和15)年]。聖書から素材を採った作品で、「あの人は酷い。酷い。厭な奴です。悪い人です。」という誹謗から始まって、ユダの心のゆれ動きが迫力に満ちた告白体で一気に綴られている。ユダの中にあるキリストに対するアンビバレンツな愛憎を、切実に心理的に表現した傑作として名高い。
(amazon概要)
読み終わった最初の印象は、
ユダの情緒不安定すぎ。
の一言に尽きる。
人間は両価的な側面があるから、心理的な動きは理解できないこともないが、あまりにも極端すぎて、一緒にいたら疲れそう。
と、これだけで感想を終えるとあまりにも浅いので、ほかにも付け加えてみる。
〇”情緒不安定”をポジティブに捉える
”情緒不安定”はかなりネガティブな響きを持つワードだが、敢えてポジティブに捉えなおしてみる。
例えば、”心理的に柔軟”という言い方は可能かもしれない。
キリストに対する尊敬・感謝・愛という感情に固執せず、状況に応じて柔軟に考えを改めることができる、と考えれば、長所と捉えることも無理ではないかも?
あと、ユダがこのような告白を旦那にしているという行為自体も、
”自らの弱さを曝け出すことができる”という強みと捉え直すことも可能かもしれない。
〇なぜ、太宰治はこのような小説を書いたのか?
Wikiによると、太宰治はキリスト教に強い関心を抱き、キリスト教を題材にした作品をいくつも作っている。
そして、ユダの裏切りは、神学的にも謎が多い問題らしい。
・イエスは裏切りを予知していた。ならばなぜ回避できなかったのか?
・ユダはいつから背信の心を持ったのか?
・裏切りの動機は何か? そもそも彼の自由意志によるものか?
それに対して、太宰治は一つの解釈を提示したのだ、と考えることもできそう。
〇駈と駆の違い
「駈」という漢字を初めて見たが、これは「駆」と同じく”ける”を付けて「かける」と訓読みするようだ。
駈は旧字体、駆は新字体。
https://okjiten.jp/kanji1230.html
たまに調べるが、漢字の成り立ちって興味深くて結構好き。 -
話者の自己陶酔、正直なところ、建前でそれらしいことを言い訳するところ、みみっちい本音が覗くところが人間臭くて共感できた。
口述筆記の作品であるためか80年くらい昔の作品だけれど読みやすかった。 -
太宰の、の使い方が存分に発揮されている~
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今日6/13は太宰の命日です。(ちなみに桜桃忌は6/19)
冒頭から引き込まれる。
エンタメ色強めの作品。
「花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、剪らなければならぬ」
↑ここいっつも太宰の物憂げな顔が脳内に浮かんでしまう -
そこで終わるのかぁ、と心を揺さぶられたことを思い出す、そんな太宰の有名作の1つ、『駆込み訴え』です。
聖書的に言えば、この後イエスを売ったユダは、イエスを捕え来た兵士と共に彼の前に現れて、「こいつがイエスだ」とイエスに接吻をする《ユダの接吻》というエピソードがあったりします。ですが、イエスが捕らえられピラトの宮殿に連れていかれてしまうと、ユダは自責の念に駆られて自殺してしまうのです!
多分太宰がユダを書きたいと思ったきっかけがこの《ユダの自殺》であり、本作では敢えて(だと思うのですが)そこが伏せてある。そこに太宰の技の巧みさを感じずにはいられないですよね。また、どこかユダが女性的に書かれてもいて、太宰の解釈するユダがすごくアンビバレントな気持ちに苛まれた複雑な気持ちの持ち主となっているのがまた、読んでいてとてもしっくりきますよね。やっぱり太宰ってすごいわ。 -
オーディブルで読み聞かせてもらった。
感情のアップダウン、特に荒ぶる瞬間の表現は、太宰治らしくて最高かと。
超個人的な雑感としては、主人を尊ぶところは、HUNTER×HUNTERのプフっぽさを感じた。(プフは王を裏切ろうとはしないけど)
このあと齋藤孝の本書の解説を読みたいと思う。