駈込み訴え [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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レビュー : 61
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (20ページ)

感想・レビュー・書評

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  • この作品は、太宰治の妻である美知子が太宰治の口述を筆記してできたものであり、「全文、蚕が糸を吐くように口述し、淀みもなく、言い直しもなかった」という美知子の証言がある。
    イエスを裏切ったイスカリオテのユダの心情が、太宰治独自の解釈で「ユダの独白」「ユダの訴え」という形で描かれており、その独白は実に愛憎入り交じったものである。イエスへの愛が深いからこそ見返りを求めてしまい、その見返りが得られないためにかえって憎しみが増大し、かと思えばさらにイエスを狂信したりと、イエスに対するユダの感情がコロコロと変わり、自分自身でもイエスを愛しているのか憎んでいるのか分からなくなっているという人間らしいユダの悲痛な訴えがひしひしと伝わってくる。その切羽詰まったように綴られ続けるユダの訴えを読んでいくうちに、ユダの人間味や寂しさなどが伝わってくる。本当にこんな気持ちだったのかもと思わせるような、ユダのとてもリアルな揺れ動く心理描写が、読み手の心を引きつける作品である。
    イエスを裏切ったのは憎しみからか、それとも愛情からなのか、自ら自問自答するようなユダの訴えが繰り広げられるが、最後にはユダが金への執着を見せ、イエスを裏切ったのは金のためなのだ、と自らに言い聞かせるような様子に、愛憎の果てに壊れていったユダの切なさやつらさを感じた。

  • 以前、太宰治の別の話でみたユダがキリストを売るところの口上にそっくり。
    ですがたぶんこちらのほうが長くよく描かれているのか?
    なかなか良い出来だと思いますがキリスト教関係者が見たらなんと言うのか・・・すこし気になりました。

  • 太宰治が解釈する、ユダの“主”に対する想い。

    溢れ出る感情を叩きつけるような、終始疾走感のある語りです。ユダの告白はキリストへの愛憎混沌を極め狂気に満ち、敬意と愛と嫉妬と怒りが二転三転どころではなく入り乱れる感情の忙しなさ。ふとそんな自分の感情の振り幅に動揺を隠せない様子がなんとも人間らしく滑稽で愛おしい。特別であって然るべきの自分を、なぜあなたは拒むのか。何故?どうして?
    この作品はあまり冷静に振り返らず、ユダの情念に引きずられるように自分も一緒にのめり込んで駆け抜けた方が楽しい。太宰にこういった自問自答して自棄していくような主人公を描かせると見事だなとしみじみ思います。

    とあるフレーズがとても粋だと思ったので引用。作中で見ると自己中心的極まりない発言なのであくまで単発として。
    「私は私の生き方を生き抜く。」

  • 聖人たちの名前が出てくる
    最後の晩餐
    元々貧しい商人
    同い年と共通点はあるはずなのに遠い存在
    好きとは。
    恋愛的なのか、束縛、尊敬
    死ぬ事を察している、裏切り者
    自分では殺すと思っていない
    女に好意を抱いた事ない、これはこれですごい
    嫉妬に狂う、めっちゃ早口で言ってそうw
    結局、ただの人だった
    なら殺してもいいか。
    どこまでも人は落ちる
    最後の晩餐の描写
    裏切り者の存在をキリストは理解していた
    どうしてパンを口に当てたか、薄々最初からそうなるようにキリスト、ユダとも導いていた
    好きだからこそ、思いが強いからこそ殺すしかない。
    最後の銀貨を受け取るやりとり、趣きがある
    イスカリオテ、裏切りの使徒

  • この話は妻美知子が太宰の口述を筆記してできたもの。きちんとしたストーリーだけど、太宰はこれをほぼつっかえることなく語り切ったらしい。ユダが乗り移っていたとしか思えない所業。
    ユダがイエスに心酔しながらも、最後に裏切るまでが描かれている。有名な絵画、最後の晩餐のシーンも。
    イエスのことを好きすぎて苦しくて嫌いになりたいのに、やっぱり好き…というユダの苦しい気持ちが切々と伝わってきました。
    男性同士なのに愛憎入り乱れてる。イエスが足を洗ってあげるシーンなんか色気さえ漂います。
    この話をベースに書かれたのが桑原水菜の「炎の蜃気楼」だと聞いてなんか納得。

  • 中島敦の西遊記ものが大好きなんだが、なんとなくそれに似た雰囲気。中島敦の「悟浄歎異」では、沙悟浄が三蔵法師を「法師さまはどうしようもなく弱い、けどそれゆえに強い」(たぶんちょっと違う)と評しながら敬愛してやまない。今回の「駆け込み訴え」でもユダがイエスを「あの人には実際何にも出来やしないのだ。でも美しい人なのだ」と言って愛している。それで調べてみると、太宰治と中島敦は共に1909年生まれ、両作品の発表年も1941か1942頃、でとても近かった。もっとも中島敦は1941に病死していて、西遊記シリーズは死後の発表のようですが。ちなみに太宰治の自殺は1948。

    「駆け込み訴え」は、イスカリオテのユダの裏切りのシーン、ユダのひとり語り一本勝負の作品。いわゆる「人間としてのイエス・キリスト」もの。新約聖書に書かれた、イエスの行動の(現代日本人的に)解せない部分を、「ユダのイエスへの行きすぎた愛と献身」によって解釈している作品、としても読める。例えば、
    *イエスの行う数々の「奇跡」は、元商人であり実務能力に長けたユダのお膳立てによってはじめて為し得ていたことである。五つのパンと二つの魚で大群衆の飢えを満たすという奇跡、あれは実はユダが裏で苦しいやりくりをした上で食糧を調達していたのだ、とか。
    *ベタニアの家で食事をしたとき。忙しく働き回ってあれこれ給仕してくれた姉のマルタよりも、黙ってイエスの話を聞き、香油をイエスの体にかけ、自分の髪でイエスの足を拭った妹のマリヤを、イエスは庇う。ユダの言うには、このときイエスは美しいマリヤに対して恋のような感情を抱いていたという。
    *逮捕そして死が近づくにつれての、イエスの数々の強気発言(商いに汚れたエルサレムの宮は壊してしまえ、三日で私が建て直す、とか)。これらをユダは、イエスもやきがまわったと評し、幼い強がりをしているだけだと見抜いている。

    面白いのは、ユダ自身も、マリヤかわいいよなって実は思っていたところ。でも気高くあるべき、私の愛するイエスが、(私も抱いちゃったのと同じ)卑しい感情にほだされて、私の愛する気高いイエスとしてあるまじき発言をしているのを見て、ムラムラと、イエスへの殺意がわく。
    そして謎の強がり発言を繰り返すイエスを見て、もうこんなの私の愛する気高いイエスじゃない、いっそ私の手で殺し、私も死ぬ。と、ここまで行き着く。最後の晩餐でのユダの心の葛藤もみどころ。

    こういうイエスの描き方、いまの時点でキリスト教圏でどれくらい「タブー」度が高いのか低いのかわかりませんが、短いながらも読みごたえがあり、とても面白かったです。

  • 談話室で言及されていたので、読んだけれど、これ、短いけどインパクトある。太宰がこんな話を書いていたとは露知らず。イスカリオテのユダの視点からキリストを裏切る話を語っているんだが、これが説得力ある。ユダは心底キリストを愛していたのに、キリストがユダを裏切るように仕向けていた。深いよ、これは。

  • JCSを見たあとなので、ユダの悲痛な苦しみ、嫉妬、その裏にある愛を文章からひしひしと感じた。感情のジェットコースターのように、自分でも制御できないユダ。そのまま、劇場での姿に重なる。

  • 感情が止めどなく溢れて、整理できず、愛と憎しみが入り混じる。人間としてのユダとキリスト、信頼と裏切りと誇りと辱め。強烈な感情の起伏に気圧される。

  • 「自分こそがあの人のほんとうを知っているのに、あの人は自分のことをなにもわかっていない」と思っている というところが良かった

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著者プロフィール

小説家。 本名は津島 修治。昭和前期に活躍し、現在も絶大な人気を誇る作家。代表作は『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』など。表題作の『走れメロス』は、中学校の教科書で今も親しまれている。本書に同時収録の『駈込み訴え』『富嶽百景』『親友交歓』もいずれ劣らぬ名短編である。

「2020年 『大活字本 走れメロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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