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感想・レビュー・書評
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面白い本であった。「いき」ということがどういうことなのかわかった気がする。今後の生き方を考えるについて参考としたい。
〇内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「 媚態」である。第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命をも惜しまない 町火消、 鳶者は寒中でも白足袋はだし、法被一枚の「 男伊達」を尚んだ。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。第三の徴表は「 諦め」である。
〇「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している。
〇「いき」は媚態の「 粋」である。
〇「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在実現を完成したものであるということができる。
〇この豊かな特彩をもつ意識現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「 垢抜して(諦)、 張のある(意気地)、 色っぽさ(媚態)」ということができないであろう。
〇一般に「いき」は知見を含むもので、したがって「年の功」を前提としている。
〇「いき」の所有者は、「垢のぬけたる苦労人」でなければならない。
〇「上品」は対立者として「下品」をもっている。「派手」は対立者に「地味」を有する。「いき」の対立者は「野暮」である。ただ、「渋味」だけは判然たる対立者をもっていない。
〇上品とは品柄の勝れたもの、下品とは品柄の劣ったものを指している。
〇派手とは葉が外へ出るのである。「葉出」の義である。地味とは根が地を味わうのである。「地の味」の義である。
〇「いき」はさきにもいったように字通りの「意気」である。「気象」である。そうして「気象の精粋」の意味とともに、「世態人情に通暁すること」「異性的特殊社会のことに明るいこと」「 垢抜 していること」を意味してきている。
〇この種の「いき」は普通は一語の発音の仕方、語尾の抑揚などに特色をもってくる。すなわち、一語を普通よりもやや長く引いて発音し、しかる後、急に抑揚を附けて言い切ることは言葉遣としての「いき」の基礎をなしている。
〇音声としては、 甲走った最高音よりも、ややさびの加わった次高音の方が「いき」である。
〇全身に関しては、 姿勢を軽く崩すことが「いき」の表現である。
〇全身に関して「いき」の表現と見られるのは うすものを身に纏うことである。
〇「いき」な姿としては 湯上り姿もある。
〇一般的にいえば丸顔よりも細おもての方が「いき」に適合している。
〇眼については、流眄が媚態の普通の表現である。
〇微笑としての「いき」は、快活な長音階よりはむしろやや悲調を帯びた短音階を択ぶのが普通である。
〇なお「いき」なものとしては抜き衣紋が江戸時代から屋敷方以外で一般に流行していた。
〇第一に、「いき」な味とは、味覚が味覚だけで独立したような単純なものではない。「いき」な味とは、味覚の上に、例えば「きのめ」や柚の嗅覚や、山椒や山葵の触覚のようなものの加わった、刺戟の強い、複雑なものである。第二の点として、「いき」な味は、濃厚なものではない。淡白なものである。要するに「いき」な味とは、味覚のほかに嗅覚や触覚も共に働いて有機体に強い刺戟を与えるもの、しかも、あっさりした淡白なものである。
〇絵画については輪廓本位の線画であること、色彩が濃厚でないこと、構図の煩雑でないことなどが「いき」の表現に適合する形式上の条件となり、模様として縞が「いき」と看做されるのは決して偶然ではない。
〇絵画的模様はその性質上、二元性をすっきりと言表わすという可能性を、幾何学的模様ほどにはもっていない。
〇「いき」が模様として客観化されるのは幾何学的模様のうちにおいてである。また幾何学的模様が真の意味の模様である。
〇西鶴のいわゆる「十二色のたたみ帯」、だんだら染、友禅染など元禄時代に起ったものに見られるようなあまり雑多な色取をもつことは「いき」ではない。
〇「いき」な色彩とは、まず灰色、褐色、青色の三系統のいずれにか属するものと考えて差支ないであろう。第一に、鼠色は「 深川ねずみ辰巳ふう」といわれるように「いき」なもので、第二に、褐色すなわち茶色ほど「いき」として好まれる色はほかにないであろう。第三に、青系統の色は何故「いき」であるか。紺や藍は「いき」であることがわかる。
〇「いき」が模様に客観化されるに当って形状と色彩との二契機を具備する場合には、形状としては、「いき」の質料因たる二元性を表現するために平行線が使用され、色彩としては、「いき」の形相因たる非現実的理想性を表現するために一般に黒味を帯びて飽和弱いものまたは冷たい色調が択ばれる。
〇床框の内部に畳または薄縁を敷くことは「いき」ではない。
〇「趣味」はまず体験として「味わう」ことに始まる。我々は文字通りに「味を覚える」。更に、覚えた味を基礎として価値判断をする。
〇「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本独特の美意識である「いき」をヨーロッパ哲学をベースに解読を試みた本。
本書では「いき」を「諦(垢抜して)」「意気地(張のある)」「媚態(色っぽさ)」と定義しています。 -
佐藤優氏推薦。
ロシアのインテリジェンス・オフィサーが「外交交渉でも日本人を相手にするときは、ロシア側の主張を一歩手前であとどめた、すべてを出し尽くさないほうがよりよい成果を得ることができる。結論を原語にせず、一歩前でとめるのが、いきで、すべて言い切ってしまうと野暮になる。ロシアは野暮な交渉ばかりしていたので、日本との戦略的提携が出来なかった」と言っている(『読書の技法』より)。
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四角柱を使った説明がとても分かりやすかった。音についてはいまいち掴めず・・・。
2010年に越後のど派手に上げまくる花火を「いきですねぇ」と言ったアナウンサーがいたが、ふざけるんじゃないよ。あんなモンが「いき」であってたまるかい。「いき」ってのはこういうことを言うんだよっ
あぁもう簡単に「いき」って言葉を使ってくれるな。カッコいいとは全然別物なんだから・・・。 -
ビブリオバトル2012のチャンプで、青空文庫にあったので手にとってみたのだが…。すいません。断念しました。
「いき」という感覚が、現代ではすでに廃れてしまっているのもあるような気がするけど、全く持って頭に入ってきませんでした。
おすすめするプレゼンが上手いのと、本が面白いのとは別なのかな…。