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感想・レビュー・書評
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或いはKの溺死 1962年
梶井基次郎 檸檬忌
海岸近くで療養生活を送る、Kと“私”。私は、満月の夜、K君の浜辺で不思議な行動を見かける。思わず声をかけて交流する。
その後、私がその地を離れた後、K君は溺死する。
K君の友人に宛てた、私の彼の死について思うところが手紙となっている。
K君は、自分の影が彼の人格を奪っていくと感じている様子をシューベルトのドッペルゲンガーに重ねて書かれていきます。
満月の夜、自分の影が徐々に肉体となり魂は離れて、月に昇天していく。幻想的な情景が描かれています。
梶井基次郎自身、不眠と病気で苦しみ、物悲しい文章だけれども、肉体と精神の分離、月への昇天は夢幻的な希望のように感じました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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こんにちは♪ポプラさん
この本は、読書会での課題本だったのですね!
レビューを読む限り、私も不思議な感じの本だなと思っています。
読書会楽...こんにちは♪ポプラさん
この本は、読書会での課題本だったのですね!
レビューを読む限り、私も不思議な感じの本だなと思っています。
読書会楽しみですね。
(@^^)/~~~
2023/08/25 -
アールグレイさん、こんばんは。
9月なのでまだまだ読み返そうと思います。
まだ咀嚼途中で呑み込めていません。。。
読書会、皆さん色んな...アールグレイさん、こんばんは。
9月なのでまだまだ読み返そうと思います。
まだ咀嚼途中で呑み込めていません。。。
読書会、皆さん色んな感想が出てくるので、面白いんだよ~
待ち遠しい。
2023/08/25
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満月の夜、療養地の海岸でK君は溺死する。
K君と親しくなったばかりだった“私”は、K君の死を推測する。
そしてK君の魂が月へ昇天していったのだと結論づける。
K君の病気はすでに進行し"死"が迫ってきていた。
身も心も痛くて苦しくて辛かったに違いない。
苦しみや悲しみの果てに…やっとそれらから解放されたんだね。
触れられないほど鋭く尖った心。それを解してくれる"私"の優しい語り口から思い浮かぶ情景は、この上なく幻想的で美しく、切なかった。
K君の苦しみをこんなにもわかる"私"も、"私"が宛てた手紙の相手の"あなた"もまた、同じ苦しみを抱えた人なのかもしれない。
K君の魂は月の世界に行ったのだと、私も信じたい。 -
副題「或はKの溺死」
こんどはシューベルトの『海辺にて』『ドッペルゲンゲル』を聞きながら読む -
精神世界への誘い、といった印象。病に侵されていた梶井基次郎だからこその表現が多く見受けられる。病気と精神の疲弊がKを蝕んでいく様子が作中では第三者目線で描かれている。昇天、ということばを用いて死を演出している点が面白く、儚く美しい。
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Kの昇天
ー或はKの溺死
美しい文章というのは、ぞっとするような怖さを秘めてる文章なのかもしれないなあと思った。この作品も然り、Kが満月の夜に海辺で揺らめいている姿も怪しげで怖かった。
月に照らされた影を見つめていると、自分の人格が徐々に影の中へ吸い込まれていく…
そしてKは月へと昇天していき、もうひとりの彼は影を追って海へと墜落していく、という構図も綺麗だなと思った。
でも、こういう綺麗な文章を読むとなんともいえない気持ち悪さを感じてしまうの、なんでだろう?
月食の日に、偶然にも月が関係するお話を読めたのはなんだか不思議で、わくわくした。