- 本 ・ゲーム (12ページ)
感想・レビュー・書評
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さっき読んだphaさんの本に引用があったのでさっそくダウンロードして読みました。短い作品。最近自分がぼんやり、人間は情報や文字やお金の奴隷だな、と思っていましたが、中島敦は船中にもう同じことを考えていたかと思うと、人の想像力の豊かさにはひょっとしたら底があるのでは?と少し寂しくなりました。
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文字の霊は存在するのか、その功罪は、ということを研究テーマにしたある老博士の末路。面白かった。
私はこの作品を、ブク友さんの「乙女の本棚」シリーズ版のレビューで知り、読んでみたいと思ったのだが、まあ乙女でなくともいいかとAudibleで聴くことにした(定額制だから使わなきゃだし)。長さはたったの二十五分、再生速度を上げたので洗濯物を畳んだり干したりしながらの十五分ほどで聴き終わった。
(古典作品ですし私としては「あり」の範疇ですが、何が書いてあるか知りたくない方はこの先は読まないほうがいいかもしれません。)
老博士が「文字の霊は存在する」と判断するに至ったきっかけが、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」を経験したことであった。文字がただの線の交差にしか見えなくなり、こんなものが意味や音を持つと人々が思い込むだなんて、霊の仕業としか考えられない、ということから、文字の霊は存在するとの結論が導き出されたのだ。
ああこのシーンは、ぜひ文字で読むべきだったなあと、音声で聴きながら思った。文字ってただの線の交差ですよね、と文字で書いてあるだなんて。発狂しそうになるスリルを味わえそうだ。
その後も文字の霊の研究を続ける老博士。文字を知ると人はどうなってしまうか、その害悪をつぶさに調べ尽くす一方で、ある若者に対しては文字の力を礼賛するような講釈を垂れてしまい、後でそんな自分自身に愕然とする。また、文字だけでなく家や人体などまわりのあらゆるものがただの素材の集合にしか見えなくなり、「もはや、人間生活のすべての根底が疑わしいものに見える」状態になる。
このまま続けていては危険だ、と感じた老博士は、研究をまとめあげ王に報告し、任務を終わらせる。ここでこのまま研究にのめり込んで狂人になっていくさまを描く方向に行かないところが中島敦らしくて好きだ。ふう、これでひと安心、と思ったら、文字の霊の復讐が老博士を襲う。オチも秀逸。アッシリアと掛けてるのかなあ。。。 -
「人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。」
「武の国アッシリヤは、今や、見えざる文字の精霊のために、全く蝕まれてしまった。」
書物による圧死という最期といい、このはなしは考えれば考えるほど深みにはまって、まさに文字の精霊の思うつぼ。 -
ストーリー性があり、何も考えずに読んでも面白い。しかしながら、権力と文字の関係性など考察して読むとさらに作品に深みが出る。
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ゲシュタルト崩壊の話。
文字の精霊のせいで、この現象が起こるのでは?と研究した博士。ラストは(笑うところじゃないんですが、)ちょっと笑ってしまいました。
こういった中島敦の独特な世界観が個人的にとても好みです。
文字にならなかった歴史は歴史じゃない、という博士の持論はちょっと悲しいよなぁと思いました。 -
円城塔の『文字渦』には関心があったが、中島敦に
『文字禍』という作品があるのは知らなかった。私は平井和正のファンで、言霊という考え方には強い関心があり、『文字禍』は短い作品を単品で読める青空文庫で読んだ。言葉を口にすると人に影響を与えるというが、『文字禍』では更にはその人の肉体にまで影響を与えるという話などが出てきて、面白く読めた。中島敦の『狐憑』は今度は文字を持たない部族の話らしいので、そのうち読んでみたい。 -
人間は自分本位な考えにとらわれて真理に辿り着けないという悲喜劇
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『文字渦』を読む前に読んでみた。『山月記』とは全然趣向が違うと思ったが、調べてみるとこの2作は『古譚』という名で同時に公開されたのだとか。「書かれなかった事は、無かった事じゃ」という言葉が、最近観た「serial experiments lain」にも繋がるところがあり感慨深かった。
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