文字禍

著者 :
  • ALLVD (2012年9月27日発売)
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感想・レビュー・書評

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  • 「人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。」
    「武の国アッシリヤは、今や、見えざる文字の精霊のために、全く蝕まれてしまった。」

    書物による圧死という最期といい、このはなしは考えれば考えるほど深みにはまって、まさに文字の精霊の思うつぼ。

  • 飛浩隆『自生の夢』を読んでこちらも読む。
    文字には精霊が宿る。メソポタミアの博士は"ゲシュタルト崩壊"を体験してそれに気がつくけれど、こうして事象につけられた名前を知っていると、確かに歓びも智慧も直接入ってこない。
    文字を知らずに歴史を失うか、文字を知って感動を失うか。
    恐れて拒絶した老博士を文字が呪い殺す。文明を記録することは理性のはず。でも徹底された理性とは病に似るのかもしれないとも思った。

  • 『文字渦』を読む前に読んでみた。『山月記』とは全然趣向が違うと思ったが、調べてみるとこの2作は『古譚』という名で同時に公開されたのだとか。「書かれなかった事は、無かった事じゃ」という言葉が、最近観た「serial experiments lain」にも繋がるところがあり感慨深かった。

  • 人に薦められて読んでみたが、考えれば考えるほど大変面白い読み物だと思った。
    この物語の面白さはどこにある?と聞かれて答えるとしたら個人的にはこう答えるだろう。
    ①文字の精霊に関する調査や考えの滑稽さ
    ②歴史と文字に関する考察の下りの納得感
    ③オチがちゃんとついていて面白い
    ④「馬鹿な話だなぁ、この研究者、『文字の精霊』なんていう幻を信じるからこんなことになってしまったんだ」と読み終わったこの本を笑って投げる私達が実は、「文字の精霊」に毒されている可能性があること
    特に④についてはこの本の一番面白い所で、まさにこの本を読んでいる瞬間にも私達は謎のパラレルワールドに投げ込まれるというか、「文字の精霊」が存在していて今もまさに貴方を毒している可能性が急に出現するという所が味わい深い。おそらく多くの人は「馬鹿らしい」と文字の精霊の副作用について鼻で笑うだろうが、まさにその行為が「文字の精霊」によって副作用を受けているせいではないだろうか?本当に「文字の精霊」が存在せず、世の中の様々なことが「文字の精霊」のでせいではないと言い切れるだろうか?…ここは悪魔の証明になるので実は完全にはできず、私達はこの可能性を捨てきれることがないのである。しかし私達はおそらく信じない。それは何故?…と考えていくと深みに嵌っていくようで物凄い読了感である。
    個人的にはとても好きな物語であった。

  • 端的にいうとゲシュタルト崩壊の話。文字をじっと見つめていると、意味や音などを忘れ単なる線のように見えてくる現象である。おそらく誰しも人生に一度はこれを経験しているのではないかと思うが、タイトルの文字禍とは、読んで字のごとく「文字による禍(わざわい)」だが、初めはただのゲシュタルト崩壊から始まり、字を書けるようになったことからの物覚えの悪さや、字を見続けた弊害による近視、引いては物理的に本に押し潰されて死ぬ、というように、読んでいくとその意味がじわじわと広がりを見せていくのが面白かった。また、舞台背景として存在する古代アッシリアの研究者、という立ち位置が、これを「文字の精霊」のため、と認識しているのが科学的な現代人からするとやや滑稽に思いつつも、昔の人は確かにそのように考えていてもおかしくないかもしれない、とやはり興味を引かれてどんどん読み進めてしまった。中島敦は漢語が多い印象があったが、これは比較的読みやすい部類の作品なのかもしれない。読書会のリクエスト作品はどれも面白くて大変ありがたい限り...
    文字とは何か。文字を得ることによって人は物事を書き留めて記録することができるようになった。歴史を著すようにもなった。しかし、歴史書の編纂者は歴史を問うたとき、そこにかかれない事実は歴史として後に存在し得なくなる、という事実もまた存在していた。そういう意味で、引用に示した問いが大変印象的だった。我々が学習して知っているつもりになっている事実は、誰かが書き留めた物事の表層でしかないということを、この話を通じて否応なしに問われているように思えた。
    また、私は以下の文章を読んだときに自分に通じるものを感じた。
    「ナブ・アヘ・エリバ博士は、この男を、文字の精霊の犠牲者の第一に数えた。ただ、こうした外観の惨めさにもかかわらず、この老人は、実に――全く羨ましいほど――いつも幸福そうに見える。」
    外見的に惨めであるように見えるが、本を読んでいる限り老人が幸せである、という表現である。およそ読書という行為は一人で行うのが一般的であり、この老人は文字にとりつかれるあまり、自身の身形に気を配らなくなっていることが読み進めていくとわかるのだが、このように一人でいることになれると周囲のことなど脇目も降らなくなるというのが、我が身を振り返ってみても往々にあったので少し共感できた。私は不注意のあまり、よく「もっと周りを見ろ」と言われる。それが簡単にできたらどんなに楽であろうか。だが己が幸福である人間は、それを捨ててでも周囲に気を配ろうとする意思が芽生えるのだろうか。むしろ、己が幸せであればあるほどに、忠言を切り捨てより殻に閉じ籠ろうとする意思が働くのではないかと思う。下手をしたら、この老人にとっては本で圧死したことすら幸せの部類に入るのかもしれない...そう考えざるをえないのである。
    ところで文アルの中島敦の潜書台詞「文字に取りつかれた人がここに…」というのは、この著作が元ネタなのだろうか。

  • ストーリー性があり、何も考えずに読んでも面白い。しかしながら、権力と文字の関係性など考察して読むとさらに作品に深みが出る。

  • ゲシュタルト崩壊の話。
    文字の精霊のせいで、この現象が起こるのでは?と研究した博士。ラストは(笑うところじゃないんですが、)ちょっと笑ってしまいました。
    こういった中島敦の独特な世界観が個人的にとても好みです。

    文字にならなかった歴史は歴史じゃない、という博士の持論はちょっと悲しいよなぁと思いました。

  • ゲシュタルト崩壊を期に「文字」の魂による意思を見出すようになった古代バビロニアの博士の話.
    文字たちは歴史を記述し,歴史そのものとなる絶大な威力を持つ一方,人間はその利便性を享受することによって物事を直接受け取り思考する力を失ってしまう.
    文字の持つ危険性を指摘した博士は文字の復讐に遭い,ついには命を落としてしまうという結末は,文字を使い続ければ文字に支配され,逆らえば身を滅ぼすという袋小路により一層の空恐ろしさを感じさせる.

  • 円城塔の『文字渦』には関心があったが、中島敦に
    『文字禍』という作品があるのは知らなかった。私は平井和正のファンで、言霊という考え方には強い関心があり、『文字禍』は短い作品を単品で読める青空文庫で読んだ。言葉を口にすると人に影響を与えるというが、『文字禍』では更にはその人の肉体にまで影響を与えるという話などが出てきて、面白く読めた。中島敦の『狐憑』は今度は文字を持たない部族の話らしいので、そのうち読んでみたい。

  • 人間は自分本位な考えにとらわれて真理に辿り着けないという悲喜劇

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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