文字禍 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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レビュー : 17
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感想・レビュー・書評

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  • 文字に祟られたというべき人の物語。

  • ブンゴウメール11月前半の配信作品。

    著者の作品はひとつも読んだことがなかったけど、読みやすい文章でした。

    でも内容は“その感覚わかる”という部分と、考えすぎて頭の中ぐるぐるしすぎてわからなくなる部分が混在。

    紙の本でまとめて読み返してみたいかも。

  • 文字中毒。

  • 『文字渦』を読んでこちらを思い出し再読。文字の禍ということで文字が人間に禍をもたらしていく内容。舞台が図書館から始まるのがすき。文字には不思議な力がある…

  • 何度、読んでもおもしろい。
    心あたりがあるから?

  • 青空文庫

    息抜きに一編。
    おもしろかった。
    中島敦は名人伝もなかなかぶっ飛んでたけど、ギャグなのかな?って時々思う。

  • 名作

  • 端的にいうとゲシュタルト崩壊の話。文字をじっと見つめていると、意味や音などを忘れ単なる線のように見えてくる現象である。おそらく誰しも人生に一度はこれを経験しているのではないかと思うが、タイトルの文字禍とは、読んで字のごとく「文字による禍(わざわい)」だが、初めはただのゲシュタルト崩壊から始まり、字を書けるようになったことからの物覚えの悪さや、字を見続けた弊害による近視、引いては物理的に本に押し潰されて死ぬ、というように、読んでいくとその意味がじわじわと広がりを見せていくのが面白かった。また、舞台背景として存在する古代アッシリアの研究者、という立ち位置が、これを「文字の精霊」のため、と認識しているのが科学的な現代人からするとやや滑稽に思いつつも、昔の人は確かにそのように考えていてもおかしくないかもしれない、とやはり興味を引かれてどんどん読み進めてしまった。中島敦は漢語が多い印象があったが、これは比較的読みやすい部類の作品なのかもしれない。読書会のリクエスト作品はどれも面白くて大変ありがたい限り...
    文字とは何か。文字を得ることによって人は物事を書き留めて記録することができるようになった。歴史を著すようにもなった。しかし、歴史書の編纂者は歴史を問うたとき、そこにかかれない事実は歴史として後に存在し得なくなる、という事実もまた存在していた。そういう意味で、引用に示した問いが大変印象的だった。我々が学習して知っているつもりになっている事実は、誰かが書き留めた物事の表層でしかないということを、この話を通じて否応なしに問われているように思えた。
    また、私は以下の文章を読んだときに自分に通じるものを感じた。
    「ナブ・アヘ・エリバ博士は、この男を、文字の精霊の犠牲者の第一に数えた。ただ、こうした外観の惨めさにもかかわらず、この老人は、実に――全く羨ましいほど――いつも幸福そうに見える。」
    外見的に惨めであるように見えるが、本を読んでいる限り老人が幸せである、という表現である。およそ読書という行為は一人で行うのが一般的であり、この老人は文字にとりつかれるあまり、自身の身形に気を配らなくなっていることが読み進めていくとわかるのだが、このように一人でいることになれると周囲のことなど脇目も降らなくなるというのが、我が身を振り返ってみても往々にあったので少し共感できた。私は不注意のあまり、よく「もっと周りを見ろ」と言われる。それが簡単にできたらどんなに楽であろうか。だが己が幸福である人間は、それを捨ててでも周囲に気を配ろうとする意思が芽生えるのだろうか。むしろ、己が幸せであればあるほどに、忠言を切り捨てより殻に閉じ籠ろうとする意思が働くのではないかと思う。下手をしたら、この老人にとっては本で圧死したことすら幸せの部類に入るのかもしれない...そう考えざるをえないのである。
    ところで文アルの中島敦の潜書台詞「文字に取りつかれた人がここに…」というのは、この著作が元ネタなのだろうか。

  • すごく短い短編。『文字「鍋」?』と思ったら「禍」だった。
    太古アッシリア、アッシュル・バニ・アパル大王に「文字の精霊」を研究するよう命じられた老博士の物語。この王は実在したようだ。Wikiに、「有名なニネヴェ図書館を建設した王、文書の記録や収集に情熱を持っていたと知られている」とある。老博士の方は著者の創作らしい。こんな話、よく考えつくものだ。

  • いつ読んでもほんと面白い。「文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師りょうしは獅子を射損うことが多くなった。これは統計の明らかに示す所である。文字に親しむようになってから、女を抱いても一向楽しゅうなくなったという訴えもあった。もっとも、こう言出したのは、七十歳を越こした老人であるから、これは文字のせいではないかも知れぬ。」
    「思わぬご不興に愕然とした博士は、直ちに、これが奸譎な文字の霊の復讐ふくしゅうであることを悟さとった。」

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著者プロフィール

中島敦

一九〇九年(明治四二)、東京・四谷に生まれる。三〇年、東京大学国文学科入学。三三年に卒業し、横浜高等女学校に国語科教師として就職。職の傍ら執筆活動に取り組み、「中央公論」の公募に応じた『虎狩』(一九三四)で作家としての地位を確立。四一年七月、パラオ南洋庁国語編修書記として赴任。持病の喘息と闘いつつ『山月記』『文字禍』『光と風と夢』等の傑作を書き上げる。四二年(昭和十七)、職を辞して作家生活に入ろうとしたが、喘息が重篤となり、同年十二月に夭折。

「2019年 『南洋通信 増補新版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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