名人伝 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 『名人ともなれば、逆に』というパターンだろうか。2人目の師匠はどんな修行を紀昌にさせたのだろうか。これ廃人では?新興宗教のトリックでは?!色々想像してみるとおもしろい。

    紀昌という男は真面目で努力家。一度傾倒するとそれに突き進む性格。

    矢を射ることを学び、その後矢を射ずに同じ結果を得ることを学んだ。2人の師匠の教えを体得した紀昌は真の名人という名声を得た。

    紀昌は矢を射ずに、弓さえも手に取らずに名人として称えられる。挙句には弓矢とは何かすらわからなくなる。

    それに倣って周囲が真似するところは滑稽である。

    • nejidonさん
      ツカチヨさん、こんにちは。
      私は絵本版で読みましたが、そちらも面白かったですよ。
      かなりデフォルメが効いていて、笑ったり呆れたり。
      中...
      ツカチヨさん、こんにちは。
      私は絵本版で読みましたが、そちらも面白かったですよ。
      かなりデフォルメが効いていて、笑ったり呆れたり。
      中島敦は何を伝えたかったのでしょうね。
      いまだに分かりませんが。
      2021/01/25
    • ツカチヨさん
      nejidonさん
      こんにちは。
      短い小説なのでサクッと読めました。
      小説内での歳月はかなり長期なので、修行に向かう姿勢を茶化すつもり...
      nejidonさん
      こんにちは。
      短い小説なのでサクッと読めました。
      小説内での歳月はかなり長期なので、修行に向かう姿勢を茶化すつもりはないのですが、私の解釈では、どうもツッコミたくなります。
      2021/01/25
  • 「中島自身、その短い人生の晩年になって、文体を練りあげても、小説が成功するかどうかは、文の巧みさだけによるのではないことを悟ったにちがいない。そのため、多くの批評家はこの短編を「自伝的」作品としている。」

    どの分野でも、スキルや技術の研鑽だけではそれ以上を望めない領域があって、それを超克するのは、無私の境地だったり、情熱だったり、精神の強靭さだったり、私には理解できていない何かなんだろう。そんな話題をテーマとする、文学的作品。

  • 中島敦の短編。
    弓の名人を目指す男が厳しい修行を重ね、大家に学び、ついに真の名人に到達するまで、なのだが。
    漢語を駆使した流麗壮大な文体なのだが、書いている内容は何だかすっ呆けている。笑っていいのか感嘆すべきなのか、何だか煙に巻かれるような話である。

    趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が弓の名人になろうと志を立てる。
    紀昌はまず、飛衛という名人の弟子になろうとする。ところが、飛衛は、弓を教わる前に、瞬きをしない練習をせよという。紀昌は妻が機織りをする下に潜り込んで、妻に嫌がられながら、行ったり来たりする牽挺を見つけ続ける。ついには、牽挺が睫毛に触れても瞬きをしないようになる。
    ・・・いや、そんなことできるかい!?

    喜び勇んで師の飛衛のところに行くと、飛衛はいやまだまだ、今度は視る練習をせよ、小さいものが大きく見えるまで鍛錬するのだ、という。そこで虱を髪の毛で結んでつるし、これを見つめ続ける。見つめること3年、ついには虱が馬ほどに見える。これを射てみると、見事虱の心臓を貫き、つるしてある髪も切れぬままであった。
    ・・・絶対やな、ほんまやな!?

    ここに至って飛衛も紀昌を認め、奥義の伝授を行う。めきめきと力をつけ、百本の矢を連写すれば、百本が1つに連なるほどとなった。
    あるとき、妻と諍いをした紀昌。妻を諫めようと目に向けて射た。矢は妻の睫毛3本を射抜いたが、妻はまったくこれに気付かず、なおも紀昌を罵り続けていた。
    ・・・大概にせぇよ。

    さて、飛衛から学ぶべきはすべて学んだ紀昌。
    次なる師としたのは、甘蠅老師であった。勇んで技を見せる紀昌だが、老師は笑って、「それは所詮、射之射。好漢いまだ不射之射を知らぬと見える」という。何だい、そりゃ、とむっとする紀昌。その紀昌に老師が見せた技がすごい。
    ・・・うぅむ、ここまで来ると何だか唸るしかない。

    老師の元で修行を積んだ紀昌は、元の師の飛衛すら感嘆するほどの境地に立っていた。
    しかし、外見は何のことはない、「木偶のごとく愚者のごとき容貌」である。
    老いた紀昌は弓を手に取ることもなく、しかしながら、やはり厳然と弓の名人であり続けたのである。
    最晩年、ある人の元を訪れた紀昌はそこで1つの道具を見る。はてな、これは確かに見たことがあるようだが、何というもので何に使うものだったかな・・・? 紀昌に尋ねられたその家の人は驚いた。
    ・・・察しのよい方なら、これが何だかもうおわかりだろう。
    不射之射、ここに極まれり。

    禅語に「忘筌」という言葉がある。筌は魚を捕るための道具で、大事なものだが、それに固執していてはならぬ、あくまでも大切なのは目的である。それと同様、悟りを開くにも手段は必要だが、手段に捕らわれてはならず、悟りを得ることを第一義とせねばならない、といったような意味と思われる。
    何となく、この話を読んでいてこれを思い出したのだが、さて、本当に同じことを言っているのか、もう一段突き抜けているのか、何だかよくわからぬのが凡人の悲しさなのかもしれない(^^;)。

  • 何かを極めるということ。不射之射。
    なんかもうすごいけど、技を極める先には、悟りの境地が開ける。
    天上天下唯我独尊、ってこんな感じなのかなってちょっと思った。

  • 弓の道を究め、「名人」の行き着いた先は……。技がどうこう言っているうちは下の下と言うことでしょうか。カーズの「考えるのをやめた」はここから来ているのではないかと思ったくらいです。何度読んでも新たな発見がありますね。曖昧さや迷いがまったくない文章には「名人」を感じさせます。

  • ・美食家の斉の桓公が己のいまだ味わったことのない珍味を求めた時、厨宰の易牙は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた
    ・それは所詮射之射というもの、好漢いまだ不射之射を知らぬと見える

  • 中島敦の「名人伝」は、弓術の名人を目指す紀昌の物語を通じて、技術の極致とその超越を描いた深遠な作品です。紀昌は飛衛に師事し、厳しい修行の末に弓術の奥義を会得しますが、彼の探求はそこで止まらず、さらなる真理を求めて甘蠅という老師に出会います。甘蠅によって示された不射の射、つまり矢を放たずに鳥を射落とす技は、紀昌の価値観を根本から変え、彼は名人としての技を披露することなく、弓の名前すら忘れ去るという境地に至ります。

    この物語の見どころは、紀昌が甘蠅に出会い、不射の射を学ぶ場面です。技術の習得だけが名人への道ではないことを示唆するかのようですね。私は読んでいて、紀昌の内面の変化と、彼が最終的にたどり着いた境地に感動しました。彼の旅は、外見上の成功や名声を超えた、自己実現の物語と言えるかもしれません。

    総評として、「名人伝」は、技術の習得という表面的な物語を超え、読む者に内面的な探求と自己超越の重要性を問いかける作品です。

  • 中島敦の作品、やっぱり好きだ。
    基礎訓練の大切さ、道具に頼るうちは名人とは言えない、といったことを教えてくれている気がしました。
    短編なのでサクッと読めて、途中の少年漫画のようなくだりも面白かったです。

  • 「超越の棋士 羽生善治との対話」に羽生さんが読んで、云々みたいなくだりがあったので、その文をより深く理解するために読んで見た。
    で、読み終わってみて、さすが中島敦と思った。

  • 今日(2018/9/29)の新聞で今年中日ドラゴンズを引退する岩瀬投手の好きな物語として紹介されていた。弓を扱う主人公が修行を積みながら名人になるお話。最期には弓のことを忘れる。読後に心に不思議な広がりを感じました。

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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