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感想・レビュー・書評
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「南洋通信」からの「山月記」読んでみたらビビってきました。虎になった李徴に中島敦の背中がみえました。
官僚に再就職したら同期はみんな偉くなっててストレスで心の病になっちゃったのかぁ。
才能が足りないとこ暴露するかもしれないと恐れ、人々から遠ざかった臆病な自尊心と尊大な羞恥心。
コミュ症にはありがちだな。
自意識過剰そんなのが虎に変えたのかあ。
虎になってまで未練がましく自分の詩を後代に伝えたいとか考えるんだ。
今でゆう承認要求モンスター的なかまってちゃん。
イメージ的には虎と言うよりハリネズミなんだけど。虎じゃなく猫になれば可愛がってもらえたのにって思いました。
でも虎になって山野を駆け巡るのも案外いいんじゃないかなて思ってしまうのですが・・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
青空文庫で最高アクセス数の本は何だ?と思い検索、その結果、中島敦・山月記?知らないぞ、この本。早速、文字を追い聴いてみる。主人公の李徴は詩を書くが半ば挫折する。地方官吏の職を得るが、公用の旅の途中、彼は突然姿を消す。李徴のかつての旧友・袁参は1匹の虎を見つけ、虎が李徴であることを知る。李徴は自身が虎になった理由として、「人との交流を拒否してしまい、臆病な自尊心と、尊大な羞恥心が増大した」ためだと悟る。詩を書くことの挫折、芸術家のナルシシシズム、大成しない不条理、色んな感情が噴出し、憤怒につながったのか。
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中島敦のデビュー作。
唐の時代、秀才と名高かった李徴。詩で身を立てようと考えるが、その道は容易ではなく、生活に困窮してしまう。妻子を養うために地方官吏となることを決意。だがそれは一方で、自らの詩業に絶望したためでもあった。
自分よりも劣ると思うものの下で心を殺して勤めたが、一年ほどの後、耐え切れなくなった彼は発狂して失踪する。
翌年、袁傪という人物が、任務でそのあたりを通りかかる。そこは昼でなければ人喰虎が出ると言われている地だった。周囲は止めたが、袁傪は一行が多人数であることを頼りに、夜がまだ明けきらぬ中、歩を進める。だが案の定、虎は出る。袁傪を襲うかと見えた虎だったが、突然身を翻し、叢に逃げ込む。それはかつての李徴だった。李徴と袁傪は友人同士だったのだった。
李徴は己の姿を恥じ、虎となったいきさつ、その後の暮らしを袁傪に縷々として語る。虎になってなお諦めきれなかった詩を袁傪に披露する。そして残された家族の暮らしを袁傪に託し、最後に虎の姿を白日に晒し、再び叢へと消えてゆく。
若き中島の才を感じさせる、漢語を駆使した流麗さが光る。
元となる話は唐代の伝奇小説に見られ、中島はこれを脚色した「人虎伝」をベースとしている。
教科書等にもしばしば採られる有名作であるが、読み直すと「虎になるとはどういうことか」、その問いは重い。
自分には才能があるという慢心、大概の者は自分より劣るという傲岸、家族のために身を落とすのだという自虐。そして自ら拠り所としている詩作に関しても、実は他者の批判を恐れ、人目にさらして切磋琢磨することもなかった。
もしも己が珠ではなかったら。いや、己が珠でないことなどあるはずがない。肥大した自尊心と隠れた羞恥心の狭間で、彼の心は自らを食い破り、ついには「虎」になるしかなかった。
しかし心は「虎」では居続けない。「人」に戻った時、「虎」の自分の浅ましい所業に心はさいなまれる。
「虎」の姿を嘆く一方、彼は旧友に詩を詠じてみせる。妻子のことを頼む前に、まず己の才を見せようとするのだ。
彼はいずれ「虎」になりきることを恐れている。その日は遠くはないのかもしれず、その方が心の平安は訪れるのかもしれない。だが冷たいことを言えば、彼には実のところ、この半虎・半人の姿が最もふさわしいようにも思える。
虎が吼える。残月に吼える。
やるせなさが身に沁み渡る。 -
先頃亡くなられた中国文学研究者である井波律子さんの出版物が面白くて次々と手を出し、今は「書物の愉しみ」という書評集を読んでいますが、1987年から2018年にかけての大部なもので、いくら読んでも終わりません。その中で、時折り中島敦について触れられます。高校以来ですが「山月記」を読み返しました。漢語が頻出する格調高い文章ですが、今読んでもわかりやすい。異類変身譚を近代の不条理劇にしています。残念なのは李徴が最後に残した漢詩のことです。教養に欠ける私には訳文をつけてもらわないと意味不明。自信作を味わえませんでした。
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内容は語るまでもない、有名な、虎になった詩人・李徴の話。短い小説ですが、その手ごろな読みやすさもあって、長く語り継がれる。
多くの人が多かれ少なかれ「臆病な自尊心」を持ち、李徴のように虎になってしまうことを恐れている。孤独な自意識とは実に恐ろしい。己は虎にならずにいられるだろうか?十年後にまた読みましょう。 -
学生の時分ではただただ難解な文章だと思っていましたが、再読を重ねるごとに味わい深いものだと思わせられる作品です。
この語調の良い文章は後にも先にもこの人ただ一人にしか書けないのではないでしょうか。短命だったのが実におしい。
中身に関しては文章によって糖衣されているものの、アリとキリギリスのような寓話に近いと私は考えています。
鈍物と気にも留めなかった同輩は長い研鑽を通じて高位に進み、尊大な羞恥心を捨て去らなかった李徴は詩家の名を残すこともなく虎と化す。
博学才穎、儁才という衣に身を包み、人と交わろうともしなかったが故に彼は虎として、自らの悲哀を誰にも伝えることが出来なくなったのでしょう。
李徴が自身の才に飲まれる最後の際、袁さんという理解者を登場させたのは偏に中島敦の優しさなのではないかと思います。
孤独の中にあって、自責の念に苛まれ、最後にようやっと気づけたと人と交わることが出来たのですから。 -
漢文を言えたらかっこよくて覚えようとしたけれど、1日坊主になってしまった。
どうしてこんなにも感情を物語に載せられるのか、語彙力がなくて表現しきれないが、良かった。 -
再読。高校生以来2度目。自分で気づいていなかったが希望に満ちていたあの頃から数十年が経過した今、従来の姿を失おうとしているまさに李徴と同じ境遇にある自分に気がつきました。悔いることばかりです。
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面白かった