山月記 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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  • 中島敦のデビュー作。

    唐の時代、秀才と名高かった李徴。詩で身を立てようと考えるが、その道は容易ではなく、生活に困窮してしまう。妻子を養うために地方官吏となることを決意。だがそれは一方で、自らの詩業に絶望したためでもあった。
    自分よりも劣ると思うものの下で心を殺して勤めたが、一年ほどの後、耐え切れなくなった彼は発狂して失踪する。
    翌年、袁傪という人物が、任務でそのあたりを通りかかる。そこは昼でなければ人喰虎が出ると言われている地だった。周囲は止めたが、袁傪は一行が多人数であることを頼りに、夜がまだ明けきらぬ中、歩を進める。だが案の定、虎は出る。袁傪を襲うかと見えた虎だったが、突然身を翻し、叢に逃げ込む。それはかつての李徴だった。李徴と袁傪は友人同士だったのだった。
    李徴は己の姿を恥じ、虎となったいきさつ、その後の暮らしを袁傪に縷々として語る。虎になってなお諦めきれなかった詩を袁傪に披露する。そして残された家族の暮らしを袁傪に託し、最後に虎の姿を白日に晒し、再び叢へと消えてゆく。

    若き中島の才を感じさせる、漢語を駆使した流麗さが光る。
    元となる話は唐代の伝奇小説に見られ、中島はこれを脚色した「人虎伝」をベースとしている。
    教科書等にもしばしば採られる有名作であるが、読み直すと「虎になるとはどういうことか」、その問いは重い。
    自分には才能があるという慢心、大概の者は自分より劣るという傲岸、家族のために身を落とすのだという自虐。そして自ら拠り所としている詩作に関しても、実は他者の批判を恐れ、人目にさらして切磋琢磨することもなかった。
    もしも己が珠ではなかったら。いや、己が珠でないことなどあるはずがない。肥大した自尊心と隠れた羞恥心の狭間で、彼の心は自らを食い破り、ついには「虎」になるしかなかった。
    しかし心は「虎」では居続けない。「人」に戻った時、「虎」の自分の浅ましい所業に心はさいなまれる。
    「虎」の姿を嘆く一方、彼は旧友に詩を詠じてみせる。妻子のことを頼む前に、まず己の才を見せようとするのだ。
    彼はいずれ「虎」になりきることを恐れている。その日は遠くはないのかもしれず、その方が心の平安は訪れるのかもしれない。だが冷たいことを言えば、彼には実のところ、この半虎・半人の姿が最もふさわしいようにも思える。

    虎が吼える。残月に吼える。
    やるせなさが身に沁み渡る。

  • 先頃亡くなられた中国文学研究者である井波律子さんの出版物が面白くて次々と手を出し、今は「書物の愉しみ」という書評集を読んでいますが、1987年から2018年にかけての大部なもので、いくら読んでも終わりません。その中で、時折り中島敦について触れられます。高校以来ですが「山月記」を読み返しました。漢語が頻出する格調高い文章ですが、今読んでもわかりやすい。異類変身譚を近代の不条理劇にしています。残念なのは李徴が最後に残した漢詩のことです。教養に欠ける私には訳文をつけてもらわないと意味不明。自信作を味わえませんでした。

  • 内容は語るまでもない、有名な、虎になった詩人・李徴の話。短い小説ですが、その手ごろな読みやすさもあって、長く語り継がれる。
    多くの人が多かれ少なかれ「臆病な自尊心」を持ち、李徴のように虎になってしまうことを恐れている。孤独な自意識とは実に恐ろしい。己は虎にならずにいられるだろうか?十年後にまた読みましょう。

  • 学生の時分ではただただ難解な文章だと思っていましたが、再読を重ねるごとに味わい深いものだと思わせられる作品です。
    この語調の良い文章は後にも先にもこの人ただ一人にしか書けないのではないでしょうか。短命だったのが実におしい。

    中身に関しては文章によって糖衣されているものの、アリとキリギリスのような寓話に近いと私は考えています。

    鈍物と気にも留めなかった同輩は長い研鑽を通じて高位に進み、尊大な羞恥心を捨て去らなかった李徴は詩家の名を残すこともなく虎と化す。
    博学才穎、儁才という衣に身を包み、人と交わろうともしなかったが故に彼は虎として、自らの悲哀を誰にも伝えることが出来なくなったのでしょう。
    李徴が自身の才に飲まれる最後の際、袁さんという理解者を登場させたのは偏に中島敦の優しさなのではないかと思います。
    孤独の中にあって、自責の念に苛まれ、最後にようやっと気づけたと人と交わることが出来たのですから。

  • 教科書で読んだ記憶は曖昧で、虎がでてきたな、という程度。改めて読み、心に突き刺さりました。 他者に傷つけられることを恐れる臆病な自尊心と、恥をかかないよう横柄にふるまう羞恥心から、虎になってしまった男、李徴。 妻子の今後より、自分の詩を後世に伝えてほしいという願いを先に口にしてしまうところが、虎になっても変わらず笑えてしまう。ただ、笑えるのに切ない。 他人から否定されたくない、恥をかきたくない、そんな気持ちは誰にでもあるはず。自尊心がない人は、それはそれで心配だと思う。 ただ、成長には謙虚さが必要だ。

  • 面白かった

  • 再読。高校生以来2度目。自分で気づいていなかったが希望に満ちていたあの頃から数十年が経過した今、従来の姿を失おうとしているまさに李徴と同じ境遇にある自分に気がつきました。悔いることばかりです。

  • 高校の時、教科書に載ってた。初読の時も思ったけど、改めて再読すると李徴の傲慢な部分が気に掛かる。李徴にとっては周りはすべて見下し対象なのだろうと思う。だから誰にも理解されないと壁を作っている。結果は、人間でいた時も孤独。虎になっても一人。
    山月記には元ネタがあって、そこで変化したのが虎だったから、山月記でも李徴が虎になった。
    虎は位の高い生き物なんだけど、この話では位の高さではなく愚かさの象徴であり、自分の強さに酔っている存在として書かれているような気がする。

    それから、袁と李徴が藪で再会した時、李徴が袁を襲いそうになって「あぶないところだった」って呟くのが激しく萌えた。
    ひらがなで言ってるのがイイ。獣になりかけているという演出なのかな。
    その直後に名乗るシーンでは「如何にも自分は隴西の李徴である」とお堅いので
    「あぶないとこだったー」という素の声みたいなのにギャップを感じた。

    あと、袁は李徴の友と言ってる割に、「漢詩だめやん」とかなり辛辣。
    漢詩の部分は私には良し悪しが判断できないけど、解説サイトなどを見ると大して上手くないらしい。
    久し振りに友にあって、自信作を聞かせていたつもりなのだろうと思う。何だかいろいろと身につまされた。


  • 漢文を言えたらかっこよくて覚えようとしたけれど、1日坊主になってしまった。

    どうしてこんなにも感情を物語に載せられるのか、語彙力がなくて表現しきれないが、良かった。

  • 自分が何者でもないことに直面するおそれ、羞恥心から、人との交わりを拒み、教えを請わず、「井の中の蛙」になっていた李徴…今読み返すと、人それぞれが持っている「獣」と対決して、自分を前に進めていく努力をしないといけない、自分の弱点を分かっているだけでは成長しない(李徴は最後まで、分かっていながらまだ自分の中に閉じこもっている)ことを教えてくれる。

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著者プロフィール

東京四谷に生まれる。昭和8年、東大国文科卒。横浜高女で教鞭を執りつつ、作家を志し、「山月記」等発表。昭和17年12月、33歳の若さでぜんそくの悪化により夭折。死後に「弟子」「李陵」などが発表され、その異才が惜しまれた。

「2020年 『文字禍・牛人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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