山月記 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 先頃亡くなられた中国文学研究者である井波律子さんの出版物が面白くて次々と手を出し、今は「書物の愉しみ」という書評集を読んでいますが、1987年から2018年にかけての大部なもので、いくら読んでも終わりません。その中で、時折り中島敦について触れられます。高校以来ですが「山月記」を読み返しました。漢語が頻出する格調高い文章ですが、今読んでもわかりやすい。異類変身譚を近代の不条理劇にしています。残念なのは李徴が最後に残した漢詩のことです。教養に欠ける私には訳文をつけてもらわないと意味不明。自信作を味わえませんでした。

  • 学生の時分ではただただ難解な文章だと思っていましたが、再読を重ねるごとに味わい深いものだと思わせられる作品です。
    この語調の良い文章は後にも先にもこの人ただ一人にしか書けないのではないでしょうか。短命だったのが実におしい。

    中身に関しては文章によって糖衣されているものの、アリとキリギリスのような寓話に近いと私は考えています。

    鈍物と気にも留めなかった同輩は長い研鑽を通じて高位に進み、尊大な羞恥心を捨て去らなかった李徴は詩家の名を残すこともなく虎と化す。
    博学才穎、儁才という衣に身を包み、人と交わろうともしなかったが故に彼は虎として、自らの悲哀を誰にも伝えることが出来なくなったのでしょう。
    李徴が自身の才に飲まれる最後の際、袁さんという理解者を登場させたのは偏に中島敦の優しさなのではないかと思います。
    孤独の中にあって、自責の念に苛まれ、最後にようやっと気づけたと人と交わることが出来たのですから。

  • 教科書で読んだ記憶は曖昧で、虎がでてきたな、という程度。改めて読み、心に突き刺さりました。 他者に傷つけられることを恐れる臆病な自尊心と、恥をかかないよう横柄にふるまう羞恥心から、虎になってしまった男、李徴。 妻子の今後より、自分の詩を後世に伝えてほしいという願いを先に口にしてしまうところが、虎になっても変わらず笑えてしまう。ただ、笑えるのに切ない。 他人から否定されたくない、恥をかきたくない、そんな気持ちは誰にでもあるはず。自尊心がない人は、それはそれで心配だと思う。 ただ、成長には謙虚さが必要だ。

  • 面白かった

  • 再読。高校生以来2度目。自分で気づいていなかったが希望に満ちていたあの頃から数十年が経過した今、従来の姿を失おうとしているまさに李徴と同じ境遇にある自分に気がつきました。悔いることばかりです。

  • 高校の時、教科書に載ってた。初読の時も思ったけど、改めて再読すると李徴の傲慢な部分が気に掛かる。李徴にとっては周りはすべて見下し対象なのだろうと思う。だから誰にも理解されないと壁を作っている。結果は、人間でいた時も孤独。虎になっても一人。
    山月記には元ネタがあって、そこで変化したのが虎だったから、山月記でも李徴が虎になった。
    虎は位の高い生き物なんだけど、この話では位の高さではなく愚かさの象徴であり、自分の強さに酔っている存在として書かれているような気がする。

    それから、袁と李徴が藪で再会した時、李徴が袁を襲いそうになって「あぶないところだった」って呟くのが激しく萌えた。
    ひらがなで言ってるのがイイ。獣になりかけているという演出なのかな。
    その直後に名乗るシーンでは「如何にも自分は隴西の李徴である」とお堅いので
    「あぶないとこだったー」という素の声みたいなのにギャップを感じた。

    あと、袁は李徴の友と言ってる割に、「漢詩だめやん」とかなり辛辣。
    漢詩の部分は私には良し悪しが判断できないけど、解説サイトなどを見ると大して上手くないらしい。
    久し振りに友にあって、自信作を聞かせていたつもりなのだろうと思う。何だかいろいろと身につまされた。

  • 自分が何者でもないことに直面するおそれ、羞恥心から、人との交わりを拒み、教えを請わず、「井の中の蛙」になっていた李徴…今読み返すと、人それぞれが持っている「獣」と対決して、自分を前に進めていく努力をしないといけない、自分の弱点を分かっているだけでは成長しない(李徴は最後まで、分かっていながらまだ自分の中に閉じこもっている)ことを教えてくれる。

  • 山月記の李徴は言う
    「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。」

    詩人になろうとして 詩人になれずに 虎になってしまった。
    そして、最初は なぜ虎になったのだろう と考えるが、
    いまは、なぜ人間だったのだろうと 考えるようになった。

    それでも、旧友の前では 人間らしさが 存在し
    自分の想いを伝える 李徴。
    自分の変身したことは、矛盾であるが
    理屈では説明できず、受け入れることで
    初めて、自分の存在が 成り立つことになる。

    李徴は言う
    「この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

    このわずかな物語の中に 人間の中に住む 魔性が存在し
    その魔性が どうしようなくなる ことを 伝える。

  • 家庭用のエアロバイクをしながら読了^^(ipad for kindle) 山月記、先入観なくよんだ。こういう話だとは思わなかったので驚いた。(もっと文学している小難しい話を想像)これ傑作!自分みたいな幻想、怪奇の好きな人は必読です。自分の中の獣はなんだろうと思わずにいられない。岩の上、月に照らされた、虎の姿が目に浮かびます。哀愁ただようラストシーン。好き!

  • 短いのになんだかぐっときた

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著者プロフィール

中島敦

一九〇九年(明治四二)、東京・四谷に生まれる。三〇年、東京大学国文学科入学。三三年に卒業し、横浜高等女学校に国語科教師として就職。職の傍ら執筆活動に取り組み、「中央公論」の公募に応じた『虎狩』(一九三四)で作家としての地位を確立。四一年七月、パラオ南洋庁国語編修書記として赴任。持病の喘息と闘いつつ『山月記』『文字禍』『光と風と夢』等の傑作を書き上げる。四二年(昭和十七)、職を辞して作家生活に入ろうとしたが、喘息が重篤となり、同年十二月に夭折。

「2019年 『南洋通信 増補新版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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