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感想・レビュー・書評
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「日本近代詩の父」と言われる萩原朔太郎の詩集をいつか読まなくちゃと思ってました.
句読点を多用した長文が定型だったのかな
お気に入りの詩
「掌状の種」
(抜粋)手のうへの種はいとほしげにも呼吸づけり
「危険な散歩」
(抜粋)たとへどんなことがあつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれはぜつたいぜつめいだ、
おれは病気の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。
「ばくてりやの世界」
(抜粋)ばくてりやが生活するところには、
病人の皮膚をすかすやうに、
べにいろの光線がうすくさしこんで、
そのぶぶんだけほんのりとしてみえ、
じつに、じつに、かなしみたへがたく見える。
ばくてりやがおよいでゐる。
「およぐひと」
(抜粋)およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。
「青樹の梢をあふぎて」
(抜粋)愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である。
寂寥感が半端ないので人となりを調べてみました.
医師の父の偉大さと過大な期待に応えられない病弱さや繊細さから短歌やマンダリンへ傾倒する様子が痛々しく感じました.もう少し詩歌を読んでいきたいと思います.詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
朔太郎と言えば
高校の時の国語の先生が、朔太郎、朔太郎と言ってました。いつか自分も朔太郎がわかるようになるだろうかと思いながら、手付かず。
題名だけ知ってる
教科書程度と言う感じでしょうか?
それも忘れてるが。
これをレビューするか、
もし読んだ方ごめんなさい。いつかは! -
世田谷文学館の『月に吠えよ、萩原朔太郎展』を観に行ったので再読。
「口語自由詩」のインパクトは近代詩の流れや大正初期の視点がないと正直わからないが、今読んでもリズミカルで躍動感があり古臭く感じないのだから、それだけでとてもすごいことだとわかる。
のをあある とをあある やわあ(※犬の遠吠え) -
月に吠える
というタイトルの詩は存在しないのだいうことが衝撃だった。
思ったよりも陰鬱な作風。
空気感が暗く重い。
そして文語体に慣れない。やっぱり現代作家の方が読みやすいかもしれない。
そんな中
ばくてりやの世界
はとても良かった。抜群。 -
月に吠えるというタイトルが気になって読んでみた。寂しさのなかに透明な何かがあって、心が虚しさを感じるのではなく魂を感じ取ることができる。
好きな詩は
およぐひと
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへの月をみる
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詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。(萩原朔太郎『月に吠える』)
上記の言葉たちは、当初、岩波の『言葉の賜物』で出会った。その後この言葉の詳細が気になり、出典元であるこの本を手にとった。実際に本を開いてみて驚いたのは、この言葉は北原白秋が萩原朔太郎に贈った言葉だったということだ。この本は、序文、詩、あとがき(跋文)という構成で成っているが、まさに序文において北原白秋が書いた言葉であった。あとがきでは、田中恭吉という画家が紹介されていた。それも気になってしまい、さっそく画像検索した。わたしはとても驚いた。この本は単なる詩集という枠を超えている。例えるならば前衛的なフレンチレストランの簡単なランチコースのようだ。
「さびしい人格」、「雲雀料理」、「雲雀の巣」、田中恭吉の絵画。これらと出会った。 -
朔太郎が書いた序文の詩文に関する記述からは、文芸とか創作とかに対する関心を高めさせられるし、内容からうかがえる繊細な神経のうごきや多感さは中学生くらいの生徒には共感できるところがあるだろう。描くものと描かないものの境界からにじみ出る「病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめ(序文より引用)」が文語調の文体によって表現されているさまには、感性をくすぐられることであろう。。私もこんな詩がかきたい
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・罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである
「雲雀の巣」より
・五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。
「雲雀料理」より