李陵 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 格調高い!いまこういう文体で、書ける人いないだろうな。司馬遷すごい

  • 20201108
    圧倒的な手触り感で、李陵を通じて歴史上有名な司馬遷、蘇武、武帝を描く
    ・聡明、偉大でありながら激昂しやすく、後年神仙の類への傾倒と失望から疑心暗鬼に囚われた武帝
    ・重臣のなかでは下役に過ぎず、議論好きで味方のいない中で李陵擁護の論陣をはり武帝の怒りを買った司馬遷。硬骨漢としての矜持と宮刑という恥辱の相克に悩みながら、修史という宿命に突き動かされた
    ・名将でありながら無理な役割を与えられ、なお奮戦しながら捕らえられた李陵。虜囚となっても漢への忠義は捨てなかったが、一族を滅せられついに匈奴に投降する。その行動に非ありとは言えないが、状況として李陵とおなじく投降しても仕方がない状況であっても心から漢への愛情をもち節をまげなかった蘇武

  • 蘇武のような生き方は憧れるけど無理

  • 「李陵」自体はたかだか50ページほどの短編であるし、読み終えるのも二晩くらいの時間だったが、読後感は短編のそれとは異なるものだった。と言うのも、長編を読み終えたような感じを持ったのである。長大な時間軸、多彩な登場人物、様々な事件、広大な舞台に関して、各々記述が省略されているとは思えない描き方で書かれているにも関わらず、短い中にきれいに収まっていたことがその印象の理由かと思われる。

    これだけの内容だったので、恐らく読む時の精神状態や精神年齢によって、感情を揺さぶられる箇所も変わると思う。今現在の私が感じたことに関して言えば、恐らくオーソドックスな感想の一つと思うが、蘇武の漢人としての生粋さの前に沈黙する、李陵の心中が印象に残った。

    李陵も蘇武も、匈奴に捕らえられた漢人であるが、李陵が結局匈奴に降って匈奴で重用されたのに対し、蘇武は匈奴に降ることを潔しとせず、バイカル湖のほとりに流刑のような形で抑留されていたと言う違いがある。

    李陵自身、最初は匈奴に降る素振りを見せていたに過ぎず、つまり匈奴の構造の中に組み込まれるのを心中では拒んでいたため、蘇武とあまり変わらない立場を保っていたと思うが、母国における武帝の誤解に起因する家族の悲劇を聞いて、匈奴への心根からの同化が一気に進むと言う展開があり、後年のお互いの違いが出た。勿論、そこに至るまでに緩やかな匈奴への転回は進んでいたが、李陵の匈奴への完全な転身は、家族の悲劇と言う「至極真っ当な言い訳」によって正当化、と言うと何だが、とにかくそんな形で殆ど完成してしまったと思う。

    李陵の変わり身には従って、仕方ない、無理もないと言う印象は持つことが出来る。ただ、漢人としての立場を捨てず、北辺で呻吟しながら尚も匈奴へ属するのを拒み続ける蘇武を目の前にして、自らの成り果てについて思う李陵の苦しさは、非常に際立っている。至極真っ当だった筈の言い訳が口から衝いて出ず、久し振りに再会した蘇武を前に、曖昧な沈黙を守らざるを得ないような態度は、何とも苦々しく辛い李陵の境遇を表現している。

    但し、さらなる衝撃は、武帝の崩御によって引き起こされることになっている。

    李陵は蘇武の姿勢を「生来の頑固さ」から理解し、そこまで頑固を通せる蘇武に尊敬までしていた節がある。しかし、武帝の崩御を李陵から聞かされた蘇武はその場で泣き崩れ、あまりの悲嘆に吐血までしてしまうことで、頑固さのみならず蘇武の漢人としての自覚が摩耗していないことを表すことになり、さらに李陵はショックを受けている。蘇武にしても武帝から親族を処刑されたりした厳しい制裁を加えられており、武帝その人への全面的な尊敬を持っていたとは言い難い状況だったので、武帝への慟哭は母国の象徴としての武帝の死に対する慟哭であり、これは母国への慟哭と同値であり、従って蘇武は全くの漢人であり続けていることを示していると言う。

    対して李陵は武帝崩御の報に接しても涙の一筋も最早出ず、従って蘇武の激しい動揺を見るにつけ今の自分の境涯を強く自覚せざるを得ない妙な「強い淋しさ」が描かれている。李陵は、恐らく自身が匈奴に住む漢人であると、その時点まで思っていたのかも知れない。それは、自分は漢の人間であって、匈奴の人間にはなり切っていないと言う認識であると思う。ただ、武帝の死に対する驚くほどの無感動は、自分が最早漢の人間では無いと言う自覚をさせられ、一方で匈奴の人間でも無いような認識も放棄出来ないと言う、最も不可解な「恐らく、そのどちらでもない」という状況に陥っている、と言うように感じる。

    国や民族と言った共同体だけでなく、都市や村に関しても、上記感じることがあるのではないだろうか。要は、生まれ育った街から違う街に移り住んで数年経った時、果たしてその人は、生まれ育った街の人間と言えるのか、それとも今住んでいる街の人間と言えるのか、その両方なのか、もしくは、結局そのどちらでも無いのか。

    上記は、現在の私が最も印象に残ったところだったが、数年経って、齢を重ねて読み返した時、違うところがガツンと来ると思われる。仕事から引退した時は、司馬遷の史記完成のシーンに、強い揺さぶりを受けるのだろうか、とか。

  • 中島敦は、山月記が好き。
    山月記と雰囲気が同じで、よし。

  • 中島敦の「李陵」は、前漢時代を舞台に、三人の異なる運命を辿る男たちの物語を描いた歴史小説です。匈奴との戦いで捕虜となった李陵、19年の苦難の末に漢に帰還した蘇武、そして宮刑に処されながらも歴史書「史記」を完成させた司馬遷。これら三者の生き様を通じて、人間の尊厳と選択の意味を問いかける作品となっています。

    本書の最大の見どころは、主人公たちが直面する苦難と、それに対する彼らの反応の描写にあります。特に李陵の心理描写は秀逸で、祖国への忠誠と個人の尊厳の間で揺れ動く姿が印象的でした。例えば、李陵が匈奴の単于から厚遇を受けながらも、自らの立場に苦悩する場面です。

    また、蘇武の不屈の精神と、司馬遷の学者としての使命感も印象的に描かれています。蘇武が19年もの間、過酷な環境下で漢への忠誠を貫く様子は、人間の意志の強さを示す象徴となっています。一方、司馬遷が屈辱的な刑罰を受けながらも「史記」の執筆を続ける姿は、歴史家としての使命感と知識人の矜持を体現しています。

    本書を読んで特に感じたのは、人間の尊厳と選択の重さです。李陵、蘇武、司馬遷の三者三様の選択は、それぞれに重い意味を持っています。李陵の匈奴への帰順は裏切りとも解釈できますが、その選択の背景には複雑な心情があります。蘇武の不屈の精神は賞賛に値しますが、同時に個人の犠牲の大きさも示しています。

    本書は、歴史上の出来事を題材としながら、人間の本質的な問題に迫る作品です。歴史小説の枠を超えた、普遍的な人間ドラマとして、本作は日本文学の重要な一角を占める作品と言えます。

  • 難しいけれど、一読の価値がある作品。
    志はあっても遂げられないある意味人間らしい李陵。
    それに対して、突き抜けた蘇武。
    私を含めて、多くの人は李陵の気持ちがわかる部分が多いのではないかと思います。
    難しくてよくわからない部分もありましたが、中島敦の美しい文章に浸れました。

  • 文章が美しいから必ず読むようにと、塾の世界史の先生に言われた一冊。高校生の時に読んだが、今度はaudibleで聞いてみた。
    内容も、祖国への思いと手放すことができなくなった愛すべき現状のギャップや、自分より誠実に生きているように見える他者への複雑な感情(うらやましさ。自分が劣っている、みじめだと感じる)といった、ほとんどすべての人間に共通する苦悩を題材としており、感じるところがあった。

    それだけでなく、やはり文章そのものが美しい。音にされるとなお美しいと思えるところもあった。

    先生、紹介してくれてありがとう。

  • 中島敦の文章はリズム感というか、読んでて心地いい。

  • 超難解な言葉ばかりで読みにくい本だが、それだけ得られる知識は多いし、勉強にはなる。

    ストーリーとしての面白さは、そうでもないと思うが、日本史とは違ったアプローチで、中国の歴史を辿っているようで面白い。

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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