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Amazon.co.jp ・電子書籍 (27ページ)
AIがまとめたこの本の要点
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みんなの感想まとめ
内省的で映像的な描写が特徴の作品は、読者に深い思索を促します。文語体の独特な表現が、当初は難解に感じられるかもしれませんが、再読を重ねることでその魅力がより鮮明に浮かび上がります。主人公の旅を通じての...
感想・レビュー・書評
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とある青年の懺悔の物語。
16歳で教科書で読んだ時は「ひどい男だ」程度の感想だったのに、30歳を過ぎて読むと、主人公豊太郎の優柔不断と自己嫌悪、それを他者に責任転嫁する赤裸々な弱さ、それでも選んだ道が身に染みてわかりすぎて、胸に迫ってきて、まあ、つらかったこと。
明治21年。5年のドイツ滞在を終え、帰国の途上にいる青年・太田豊太郎。次の停泊地はいよいよ母国日本という、最後の異国の地サイゴンの港に停泊した夜。彼はドイツ出国以来一度も書けなかった真っ白な日記帳に、自分の鬱々とした胸の内を書き記す。それは彼の受動的な弱い心がもたらしたこれまでの人生と罪を告白する物で…。
自らの自発的な意思は何一つ示せず、幼き日は母に、長じてからは所属組織に従い、軌道の上で、生きた辞典や法律(現代的に言えば「機械」)になるところだった人生。
ドイツ留学中に、なんの因果か、舞姫をしていた下層の美少女エリスを助けたことにより、結果的に、ある不幸と不名誉を得る。
とはいえそれは同時に、生まれて始めて軌道を外れたゆえの束の間の自由と、ささやかな幸せを彼にもたらす。
けれどそれも長くは続かない。
親友・相沢の登場によって、心の底に封じこめたはずの思いを蘇らせた豊太郎は、自分より強い周囲の思惑に利用されながら、生来の優柔不断さも相まって自発的な行動をとらなかった。それは彼よりもっと弱い身近な存在に大きな不幸をもたらす。そして、彼はというと…。
豊太郎の行動は決して褒められたものではないけれど。
長く社会に出て会社勤めをしていると、上司の命令や友人の言葉はとりあえず否定はしないで返事をする、その後でどうすべきか、自分に有利なことは何かを考えて、動いたり動かなかったりする…ぐらいのことは、私にとっても日常茶飯事で。
そして時代は、服従と家と立身出世こそ美徳とする江戸の規範を強く残した明治中期で。
私も豊太郎の立場だったら、きっとこれ以外の選択肢はなかった気がします。むしろ、悩んだだけ、豊太郎は人間的で優しいとさえ思う。
彼の友人・相沢などは、悩むことすらしない。そんなのは自分の人生にカケラの利益ももたらさないことがわかっているから。だからこそ、自分に有利な駒として、友人の豊太郎も上司も利用し、弱い誰かを不幸にしても、平然とのし上がっていける。
そして、悩める豊太郎にも、「相沢的な心」があり、それが勝ったからこそ、この結末に辿り着く。豊太郎が本当に憎んでいるのは、きっと、相沢本人ではなくて、「相沢的な自分」。「相沢」は一つの象徴であり、責任転嫁による慰めでしかない。
改めて読むと、10代の頃には思いもしなかった感情と同調が溢れてきてしかたがない作品でした。汚れた心が痛い…。
きっと、鴎外と同世代の明治の知識人は、名誉を重んじる世相の中で、彼らと同じ立場にいる人の弱さやずるさをここまで赤裸々に描いたことに強いショックと共感を得たのだと、なんだか妙に納得した作品でした。 -
kindleでの鴎外再読シリーズ。
文語体なので昔は四苦八苦していたが、今となればそれほどストレスなく読めるようになっているのが不思議だ。本作は、小説としての格については、それほど高くないかもしれないが、全体を読了後、冒頭の文、末尾の文が頭から離れない。作品全体を俯瞰したときに感じ取ることのできる抽象的でメタなイメージが均整のとれたものであることを、鴎外は意識していたと思う。モーツアルトに通じるものがあるのかな? -
「ネタバレ」的な話が、少し含まれていますので、これから「舞姫」を読もうと思われている方は、この感想は、読まれない方が良いと思います。
関川夏央の「東と西」を読んでいる際に、割と唐突に森鴎外と舞姫の話が出てきた。「東と西」は、横光利一のヨーロッパ滞在と、それを題材にした横光の小説である「旅愁」が中心のテーマ。その「東と西」の中には、ヨーロッパ滞在の経験を持つ作家が何人か出てくるが、森鴎外は、その内の1人。
「舞姫」を、最初に読んだのは、高校生の頃だったと思う。かなり、残酷というか、衝撃を受けた記憶があり、再読してみた。
結末は、記憶に残っていた通りの内容だったけれども、主人公が、こんなに(ある意味で)、だらしない男だったとは、記憶になかった。
関川夏央の本にも出てくるが、この小説のモデルになるような女性が実際にいたということのようだ。森鴎外を追いかけて、ドイツから単身来日し、1か月くらい滞在していたとのこと。森鴎外の実弟と義弟が説得して、ドイツに帰国させたという。ただ、彼女は、小説の設定とは、かなり異なる状況の女性であったようだ。
それは置いておいて。
言葉づかいが、現代文とは大きく違っており、注釈がないと読みこなせない小説であるが、高校生の頃に受けた衝撃的なラストは、読み返しても、なかなか衝撃的だった。 -
船内で書いた回想録というのがいい。あれこれ思いに耽るにはとっておきのシチュエーションだし、船旅は時間の流れとか異国との距離感とか、そういうのを何となく想像させられる。
内省的で、かつとても映像的。文章を追っていると、いつのまにか浮かび上がる絵面を追っている自分がいました。たぶん一息に読める長さというのもちょうどいい。
行きと帰りではまるで変わってしまったことを実感する主人公。いかんともしがたい余韻も含め面白い作品。 -
鴎外先生の本を読むのは初めてじゃないけれど‥‥こんなに文章が古かったかしら?阿部一族も高瀬舟も、もう少し読みやすかった気がする。
話の筋はおおよそ掴めるけれど、これは最早古典!古文や英文を読んでいるようで漠然としている。現代文のようには心に落ちては来ない。 -
高校生のとき現代文で読んで、主人公は最低だなと思ったものだけれど、30年近く経って読み返してみたら、最低というよりどうしようもない男だった。帰国しても周囲の圧力に反応するだけの豊太郎の人生が思い浮かばれてぐんにゃり。それにしても鴎外はこちらが最低だと思う行動を正確に主人公に取らせていて、確信犯なのだが意図が見えない。エリスが無垢すぎなのと、発狂という口封じを使うのは枚数に限りがあったから? 秀才ボンクラが現場から逃げ出す結末に、これでかたがついたと思うなよ、という気持ちになったのだった。
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電子辞書を買ったら、文章を読みつつ音声でも聞ける名作文学シリーズがたまたま入っていたので『舞姫』を久しぶりに聞いて(読んで)みた。
声で聴く文語体はとても味わい深い。
ベネディクトの『菊と刀』を読んだ直後にこれを読み、まさにかの本で言及されている日本人独特の意識「義理」が働いていると強く意識した。
恋人との恋愛成就よりも、親や恩師への義理を果たすことこそ立派な生きざまとされている。
妻のために動くのは義理を果たしていないと非難され、母のために動くのは問題なく義理を返している、というわけだ。
つい明治までは当たり前にそうだったということだ。
最後の独白で、相澤謙吉への恨みの気持ちをひと言述べるところは、息苦しい旧日本社会の成約に縛られた明治日本男児の悲哀というほかはない。
文豪にこんなことを言うのも何だが、鴎外が『舞姫』を書いた根源的な動機は、白人女性と恋愛するという『男の願望』を書きたかっただけなんじゃないかという気もする。
現実には、豊太郎とエリスのようなカップルが成立する確率は少ない。
明治時代は特にそうだったろうが、グローバル化が進んだ現代もそうなりがちだ。
街なかで、白人男性と日本人女性のカップルはよく見かけるのに、その逆はあまりいなくないだろうか。
また欧米人のパートナーとの外国ぐらしや子育てをメディアで発信する人は、ほとんど女性ではないだろうか。
じっさいに日本国内での欧米人との国際結婚の統計を見ると、彼我の差は八倍くらいあるそうだ。
日本人男性が海外でもてないわけではない。単純な国際結婚の総数なら、日本男性のほうが日本女性の二倍以上も多い。
違いは、中国やフィリピンなどアジア圏の女性が多数を占めることだ。
たまにアジア人女性と結婚した男性のブログ等を見かけたりするが、彼らの発信はとてもささやかで、ただのんびり自分たちの日常を描いていることが多い。
くらべて、欧米人のパートナーとの外国ぐらしや子育てをメディアで発信する女性たちの文章は、一様に幸せそうだ。
一見何気なく毎日の暮らしを記しているようで、記事を読むであろう読者(おもに女性)に対して誇示したい、何らかのなまな意識を行間にひそませることに余念がない。
正直いって『舞姫』を書いた鴎外自身の動機は、上記の欧米男性と結ばれた現代女性たちが記事を発信するものと、そう違わないのではないか。
鴎外自身がドイツ留学をしてじっさいに現地女性と関係があったとも云われるが、それは明治時代の男児にとってはおそらく奇跡に近いことだったのだから。
エリスが下層階級の踊り子とはいえ、白人女性と相思相愛になることなど、そもそも海外旅行の機会さえない明治の日本男児にとっては別世界のロマンスだったと思う。
あなたのような黒い瞳の子が産まれてくるのが楽しみ、とまでエリスに言わせて、鴎外自身も当時の男性読者も、さぞかし悦楽にひたれただろう。
当時、目鼻立ちや髪の色や骨格のちがう外国人を見慣れていなかった日本人が、外国人の異性に魅力を感じることはなかったという話も聞くが、それには懐疑的だ。
じっさいに人が発言したことを基にしているのなら、それはあてにならない。
義理と恥の意識に縛られた明治の人間が、心で感じた異性への印象を、真実を正直に語るだろうか。
しかも破局後、傷は女性であるエリスのほうがより重たい。
豊太郎は愛する女を狂わせ捨てたという心の傷はあるものの、社会的にはみごとに栄達の道を歩んでいく。
この、現地妻は潔く切れば男の体面が傷つかないという結末も、旅の恥はかきすてという鴎外の『男のロマン』を感じる。 -
あっさり書いてますが、現在なら炎上必至とでも申しましょうか。他人の恋愛ごとなのでとやかく言う必要ないんですがけれども。
小説としては物足りなさすぎ、正直言って。あらすじですか?という感じで。うーん、こんなものなのかな? -
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『舞姫』森鴎外
想像以上の男のクズの話でした。男前だろうと頭よかろうと、「こんおとこはすかん!(宮崎弁)」。金原ひとみに言わせると「オートフィクション」なんでしょうね、森鴎外の半自伝的小説。
主人公である太田豊太郎のドイツ人女性エリス(設定は未成年)の扱いも後半にグダグダになっていって、同じ男性として全く同情できないどころか女性関係にだらしない自分でもそこは糾弾したくなる酷い顛末なのです。映画『アデルの恋の物語』くらい女性が攻めていればまだ救いの余地もあったのでしょうが、太田の子を身籠ったエリスが「あなたのような黒い瞳の子が生まれるのが楽しみ」だと愛を訴えているのに、仕事を優先してエリスを切り捨てるクズ男太田。僕は完全に『舞姫』太田よりドストエフスキー『白夜』の主人公青年に共感の意を示します。
梶井基次郎『檸檬』前半の街なかを歩く主人公の寄る辺なさの表現が大好きなのですが、こちらも、作品前半の国を背負った特権意識を盾にヨーロッパで片意地張っている様が痛々しいです。それを上手に書けけたのも森鴎外の才能故ですし政府の仕事で海外留学できたのも森鴎外の努力と学識あってのことでしょう。だけどそれ以上に当時の欧州でのアジア人の卑屈が身につまされます。ちなみに谷崎、夏目、梶原らは全然問題無いのですが森鴎外の文体だとオーディオブックで聞くのはキツいです。なるほど、意識高い系なのですね、森鴎外。
話は少し飛躍しますが、戊辰背戦争~西南戦争、日清、日露にかけて兵隊が脚気でたくさん死んだのですけど、森鴎外はそれを伝染病と言い張っていました。それに反論していたのは我らが郷土宮崎出身の高木兼寛です(参考:吉村昭『白い航路』)。森鴎外のドイツ医学理論派と高木兼寛のイギリス実践医学派の対立とも捉えることが可能です。結果、高木兼寛のほうが正しくて、森鴎外のせいでたくさんの兵隊が死んだことになり、高木兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるようになりました。ただ本人は脚気の原因を栄養素不足とまでは特定できていたのですが、特定のビタミンとまでは断定できていなかったのです(炭水化物の摂り過ぎ、タンパク質不足と考えていた)。
東京慈恵会医科大学の学祖が高木兼寛です。 -
これは、ただのクズの話ではないか?
文学的に優れているのかもしれませんが、あまりにも無責任な主人公に、ただただ胸くそでした。
情欲・肉欲を美しい恋に仕立て上げようとする著者の言い訳が透けて見える気がしました。 -
原文で読む意義を感じられる、ギリ読める文語。読了後に口語のあらすじも読んだけど、印象に残る部分はストレートにそのまま入ってくる感じがあるなあと思った。これ教科書に載ってた?記憶にない。
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何度も読んでいるのだが今までの中で一番エリスの気持ちになってしまい、豊太郎ひどすぎる!「許さん!」となってしまった。朗読だったからかもしれない。文字で読むと難しい言葉とかに引っかかってしまい、その世界に入りきれなかったのかも。朗読は若干わからない言葉があっても、聞き取れない言葉と共に無視して、でもストーリーはわかっているので、その世界に入り込めたのだと思う。もちろん文章も美しい。たまたまオーディオブックを何編も聞く機会があったのだが、とても良い。大収穫だ。
今でも高校の教科書に載っているのだろうか。言葉の難しさに時間が取られそうだが、内容がこれではそんなことよりも何よりも、特に男子生徒にしっかりと考えてもらいたい教材ではないか。 -
久々に読み返しても、最後の一文がすごいです。相沢さんのせいじゃなかろうw
しかし主人公のエリートっぷりが半端ないです。 -
「「目指せ欧米!」の気分に呼応した鴎外の武勇伝」
その昔、郷ひろみ主演『舞姫』という映画を見た。郷ひろみが豊太郎に合っていたかどうかはおいておいて、この実写版のクライマックス、豊太郎の仕打ちに髪を振り乱して「トヨタロ~!!」と叫ぶなまエリスをみたときの気持ちはなにやら「こっぱずかしい…」というものだった。
日本人としてはちょっと自虐っぽい話になるけれど、少なくとも明治時代くらいまでは、白人夫に日本人現地妻という組みあわせが圧倒的に多かっただろう。そのせいか、蝶々夫人や唐人お吉にヨヨヨ…となることはあっても、維新からたかだか30年そこそこでこの逆パターンてどうよ…今思えば、それが恥ずかしさの中身だったと思う。あるいは男女関係においても急速な、当時の基準によるところの「欧米化」が進んだとみるべきだったのか。
これを読んだ当時の明治の人たちはどう感じたのだろうか。欧米に追いつけ追い越せの気分の中で、彼らの中に白人コンプレックスが全く無かったとは思えない。例えば自分が明治時代の小市民なら「青い目のお妾さんだってよ。へぇ~世の中変わったもんだねぇ~」ほどの感想を持ち、さらに男ならやっかみ半分「してやったり!」くらいのことは言ったかもしれないと想像してみる。
いくら世の中が変わったとはいえエリート官僚として外国に渡り、あまつさえ現地の、しかも白人女性との恋愛体験など決して普通のことではなかったでしょうからね。だから鴎外は、非情で不実、ダメダメな自分を書きたかったというよりは、当時の日本にとっての「世にも稀なる貴重な体験」を書きたかったのかもしれない。膨大な「意味調べ」の宿題を課し高校生の私を苦しめたこの文語体での流暢な描写も、さてはそのあたりの本音を見せないためのカムフラージュだったのではっ…
豊太郎、あるいは鴎外のエリスへの愛がどれほど純なものであったか、今となっては知る由もないが、期せずして『舞姫』は欧米化を急ぐ日本にとって鴎外の武勇伝と化していたのかもしれない。 -
当時の時代背景を考えると異国で日本人がその土地の美女と出会い、助けたことで恋に落ちるというセンセーショナルな内容なのでしょう。
ただ現在の価値観で見るとあまりにも主人公がクズに見えてしまうのが難点です。子供ができていなければまだ悲恋として見れたかとしれませんが……。
あと勝手に長編だと思っていたので短くて驚きました。 -
豊太郎は留学先のドイツで出会ったエリスへの愛と自身の立身出世との間でふらふらと迷った挙句、立身出世を選ぶ。エリスをドイツに置いて日本に帰国。妊娠していたエリスは発狂し、廃人に。読後感はあまり良いものではない。外国人女性との結婚の体裁の悪さや、立身出世主義的風潮など、明治の価値観が伝わってきた。
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何度か挫折していた本書を青空文庫と朗読音声読み上げで読了。文章が文語体なので所々分からない部分が有りましたが概ね筋は分かりました。
立身出世と留学地に残した恋人との恋愛文学。
ドイツと言う地で、文明開化したばかりの大日本帝国とユダヤ人の恋と言う設定がまた味噌なのかな、と思いました。
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森鴎外の作品
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感想 :

こんばんは。こんな取り留めのない長文に対してそうおっしゃっていただけると、あの時読んで様々思ったことを頑張って整理して見...
こんばんは。こんな取り留めのない長文に対してそうおっしゃっていただけると、あの時読んで様々思ったことを頑張って整理して見てよかったなと思います。ありがとうございます。