挑まなければ、得られない Nothing ventured, nothing gained. インプレス選書 [Kindle]
- インプレス (2012年5月18日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (272ページ)
感想・レビュー・書評
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つまり、ソーシャルゲームは、前述のように人が必要としている「娯楽」を提供しているのであり、それは十分、社会に対して意義がある。しかし、もし時間という資源をほかの活動から奪うようであるならば、その対価を人に与えなければいけない。単に娯楽としての快楽だけではなく、ほかの活動で得られていたはずの価値と、同等の価値が提供できるようでないといけないのではないか。突きつめると、ソーシャルゲームの社会的意義とは、こういうことなのではないだろうか。
同じことは、経済的な資源に対しても言える。今まで娯楽に費やしていたのと同じ金額が、ネットと非ネットを合わせたトータルの娯楽費として使われるのならば問題ない。
娯楽として使われていた時間を超えて人を拘束するならば、もしくは費用が従来の娯楽費を超えるならば、時間と費用に見合った新たな価値を提供する必要がある。これが社会的な意義である。それはその人の成長に結びつくものであってもいいだろうし、娯楽の城を超えた体験を与えるものであっても良い。従来の娯楽では味わえなかったほどの快楽を与えるものであってもいい。その対価として得られるものの価値を判断するのは、人であり、社会である。
つまりコンテンツは、それが市場に出た際にすでに作者の手を離れ、再構築されたり、編集されたりして、ひとりで歩きまわっていく。昔からそうではあったが、ネットによりさらに加速している。
裁断された本を見るのが忍びないという気持ちはよくわかる。特に、装丁にこだわった本ならばそうだろう。
だが、本の価値は購入者が決める。どのように使うかも購入者が決める。装丁が好きならば、装丁を大事にした使い方をするだろうし、中身だけに興味があるならば、中身を一番味わえる方法でそれを楽しむ。制作者側に指図されるものではない。
一般的に、標準以外の独自拡張を行う必要が出てくるのは、おおむね以下のようなケースであろう。
1.相互運用や互換などを考慮する必要がほとんどないため、標準化のための作業を一切排除したい場合。
2.標準化にかかる時間が長期にわたるため、早期に市場にその技術を紹介したい場合。
3.標準化のプロセスが複雑であったり、政治的な活動が必要であったりして、そのコストに見合うメリットがないと判断される場合。
4.標準化の前に、意図的に市場でその技術を普及させることを考えている場合。たとえば、政治的な判断でデファクト標準化後にデジュール標準化を図るような場合。
なお、デファクト標準とは、標準化団体などによる標準化への手続きを経ることなく、市場の支持を得るなどして、事実上の標準となったものをいう。インターネットで用いられるネットワークの規約であるTCP/IPなどが代表例だ。一方、デジュール標準とは、標準化団体によって定められた標準で、多くの標準がこの方法によっている。日本における日本工業規格(JIS)もそうであるし、文字コードのUnicodeなども同様である。デフアクト標準化ののちにデジュール標準化を図る例としては、Shift JISがある。もともとはマイクロソフトのOS向けに作られた文字コードであるが、現在ではJISで規定されている。
とりとめもない議論になってしまったが、言いたかったことは、必ずしも標準を支持することだけが常にベストな選択とは限らない点と、ときとしては標準化がイノベーションを阻害することもありうる点、これらを理解しておくことが大切だということだ。適切に標準のサポートを判断するとともに、多くの標準化団体がイノベーションを阻害しないような、時代にあったプロセスを確立することを期待したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示