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感想・レビュー・書評
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ハンセン病の原因や、治療法がわからなかった時代のお話です。
作者が、ハンセン病で自らの実体験を綴った私小説。
患者を施設に隔離し、酷い差別がなされてきた。
施設に入所した初日、病室のベッドで苦しむハンセン病患者たちと、一夜を供にする苦痛な長い夜。
患者たちは生きていくなかで、どうやって希望を見つけたらよいのだろうか。
しかし、そんな世界でも生きてみることだと、強い思いがある人もいる。
終盤は燦然な太陽が見えてきた思いがした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
Eテレ「100分de名著」、2023年2月度テキストとして採用されていたもの。青空文庫に収録されているとは、ありがたい。中江さんの的確な読みに誘われて読み進めることができた。
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流麗な文章で、途中で止めるのがもったいなく感じ一気に読んだ。
「生命」とは、なんと原初的な響きだろう。
肉体が崩れ、それでも生きていく恐怖を思うと震える。
凄惨なのに不思議な清々しさがあり、元気をもらったような気がして、すごい作品だと思った。 -
「意志のないものに絶望などあろうはずがないじゃありませんか 。生きる意志こそ絶望の源泉だと常に思っているのです 。」
最初読んだ時はハンセン病の話とは知らず、画像検索してその病気について知りました。
生きる意志は絶望の源泉、実体験を元に書かれた作者にしかできない表現であるように感じる。魂が震えました。
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「尾田さん、あなたは、あの人たちを人間だと思いますか」
ハンセン病のサナトリウムにおける、生命の力強さを描いた短編。
よくこれ、出版したなあ。北条氏も角川もすごい。
癩、というのはもともと乞食という意味があって、栄養不足だったりして免疫が低下している、それこそ乞食のような人びとが罹りやすい病気とされた。
乞食という意味があるから、癩という言葉は差別だとして、その名前はハンセン病に改められた。
ハンセン病は日本では目にすることはなくなったけれど、根絶したわけではない。遠い国だけじゃない。インドや中国、東南アジアでもまだ苦しんでいる人がいる。 -
死にたい気持ち、人間の本質に触れる時のこと、大事なことに出会えた。自分に起こればつらいけれど、大事なことだとわかった
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主人公が、自殺をしようか迷っているところは、これが人間なんだとつくづく感じるところ。場面によっては、どこかユーモア(どこか、ではなく完全な笑い)すら盛り込まれている。”この人、まだ死なないな”と分かる。
主人公の尾田と、他の患者の世話をする佐柄木。名の出てくる唯一のふたり。尾田は、ハンセン病患者になったばかりの頃の著者、北条民雄で、佐柄木は、作家になりたくて必死に書きまくっている頃の北条だと思う。尾田と佐柄木の会話は、北条自身の内的独白のようだ。
悲惨な姿でも生きている、死ぬことのできない重症患者のさまを見て尾田は、「生命の醜悪な根強さ」におののくが、佐柄木は励ますように、彼らはいのちそのものだという。単純な読者だと、わかりもしないのに”そうか!”と感動してしまうが、尾田は佐柄木の言葉をすぐに真に受けない。逡巡する。これは北条の感じたことそのものだろう。尾田はまだ、自分のいる状況に”なりきっていない”。
そう、この作品は尾田が病院(というか、隔離施設)へやってきた、約1日間のはなしなのだ。最後の場面は、なんとなく前向きになれそうな感じがするけど、分からない。主人公の気持ちに沿うと、まだ、分からない。だから続きが読みたくなる。 -
なにかを諦めなければいけない時、失った時、その幻想に縋るか、新たな自分を得るかはどんなときも当人に委ねられる。後半に佐柄木の見せた思想がこれを突きつけてくる。短くて読みやすく、胸が熱くなる。とても面白いので是非!
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2015/06/17