佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし [Kindle]

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  • 2012年10月1日発売
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  • 高村光雲といえば、「老猿」や上野の西郷隆盛像を作った日本近代彫刻界の巨人である。詩人・高村光太郎の父としても知られる。
    写真を見ると白髭のいかめしそうな人物なのだが、この小品はしかつめらしくなく、すこぶるおもしろい。元々は『光雲懐古談』(万里閣書房・昭和4年)に収録されたもので、聞き書きのような形であったものか、光雲翁が昔を語るといった体裁である。のち、『幕末維新懐古談』(岩波文庫)としてまとめられている。
    この項は特におもしろかったということか、『日本の名随筆』(作品社)にも採用されたため、青空文庫にも独立した形で収められている。

    さて、佐竹の原と聞いてもよくわからないが、現在でいうと台東区台東2~4あたりのことらしい。御徒町駅の東側である。出羽国久保田(秋田)藩、佐竹氏の上屋敷があったところだが、屋敷が維新で撤去され、原っぱになっていた。そこに見世物小屋が立つようになり、一時は佐竹っ原と呼ばれ、それなりに人出のあったところだという。

    若き日の光雲、気の置けない友達(いずれもものづくりが仕事)と世間話をしていて、佐竹っ原の話となる。どうもあそこも今一つ目玉となるものがないね、もう少し人がアッと驚くようなものがないものか、という話の流れで、「大仏を作ったらおもしろいんじゃないか」とふと思いつく。大きながらんどうの大仏を作り、人が中に入れるようにする。梯子を上がって行って、まずは印を結ぶ手のところに出る。そしてさらに上がって大仏の頭のところに出る。目や耳や口からも外が見えるようにする。遠眼鏡を置き、江戸全体が見渡せる。降りてきたら胴体の広いところでいろいろと珍奇なものを並べて見せる。
    要は見世物小屋なのだが、それを大仏様の形にするというのが趣向。
    光雲としては、冗談半分だったのだが、意外に友達が乗ってきて、うち1人は身内に興行師がいたものだから、本当に話が本格化していく。

    ええ?大仏様を作っちゃうのか?と驚くような展開だが、本当に作ってしまうのである。
    まずは光雲が20分の1で雛形を作る。それを元に光雲の兄の大工やら仕事師やら左官やら、たくさんの人が駆り出されて形ができていく。最初は時々見回ればよいかと思っていた光雲だが、なにせ皆作り慣れないものなので、大仏が無暗と角張ってしまう。これじゃだめだよと手を出し口を出ししているうちに、毎日通うようになってしまう光雲である。
    言い出しっぺの責任を感じ、特に友達の身内の興行師に損が出たら申し訳ないという気持ちが先だっていたのが、やはりものづくりが好きということか、作り始めたら本気になるところもおかしい。
    かくして上野の山にほど近いところに、奈良の大仏ほどもあるようなでっかい仏様が出現したのであった。

    蓋を開けてみると大入り満員。
    めでたしめでたしで本稿は終わるのだが、いや、待てよ、今、そんな大仏があるって聞かないけど、その後どうなったのか?と思ったら、別稿に後日談があった。タイトルも「大仏の末路のあわれなはなし」。
    大仏の見世物を始めたのが5月初め。最初はよかったが直に暑くなって、大仏の中はうだるようで開店休業状態。秋口になったら客足も回復するだろうと思っていたら大嵐で漆喰などが剥げてしまい、骨組を残すのみとなってしまった。けれども周りを見渡して、立派な建物は壊れているのに、骨組だけでも残っている大仏は案外とすごいじゃないかと思う光雲であった。

    ともかくも、思いついたらやってしまおうという若気の勢いが楽しい。何となく明治の空気も感じられるような、なかなか興味深い一節である。

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