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感想・レビュー・書評
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大阪生まれの筆者、昭和一桁の時代に東京大阪を必ず飛行機で往復していたらしい。価格は当時の値段で片道30円、今の価値でいうと、7万5000円くらい。でも当時の感覚では、かなり贅沢な乗り物だったようだ。
「飛行機は、二時間半でくる。十一時に宿へ着くと、すぐ湯に入って、私は原稿を書けるし本を読める。恋人にも会えるし、そうした時間の利用に、超特急よりも夜行列車よりも経済的である」
搭乗実績も日本でトップだったらしく、この様な合理的な考え方は当時はかなり斬新だったようである。そんな筆者は当時の大阪をどのようにとらえていたんだろうか?
梅田駅前は三流都市の下品さ、とこきおろす。大阪の文化は、過去と歴史に胡坐をかいて研究と進歩をしない。いや、もはや文化とすらいえない、と言い切る。
料理も商人も女も、外のものを取り入れて工夫することがない。“大阪”という土地に矜持をし過ぎており、プライドが高すぎる。その割に、実は中身も薄いという。
昭和一桁といえば、大大阪時代。大阪が東京をも凌駕する都市に成長を遂げた時期だ。でもそんな筆者にかかれば、大大阪もコテンパンに扱き下ろされたもんだ。
「つまり、ハイカラなものは、大阪より東京に多いということで、極つまらないことであるが、これをつまらそうと思うと、私は大阪生まれの文化的職業家の一人として、一つ言いたいことがある。それは大阪科学研究所の設立である」
筆者は、大阪が本当に東京を凌駕するには、常に新しいものを取り入れ、創意工夫をすることが肝要と考えている。そこを理解していない大阪と大阪人に対して、忸怩たる思いをもっていたのだろう。
筆者が死去したのは1935年。まだまだ大大阪の時代だ。しかし、太平洋戦争、戦後にかけて大阪の地位はどんどん低下していく。筆者はどこまで予想していたのだろうか?戦後の大阪を見たなら、何て言っただろうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示